福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2014年12月11日木曜日

2014年12月11日定期活動レポート

福島応援OnSong定期街頭活動
参加者:20名

寒い中、20名の仲間と数多くの募金が集まりました



 「選挙も近いし、思いを何らかの行動にしていくことが大事なんじゃないか、
平和の鐘、自由の鐘をならすのは誰かではなく私であり、あなたなんだ、
と伝えたくて『あの鐘を鳴らすのはあなた』を歌ってみましたが
みんなで歌うには難しい歌ですね」
とギターのしかまさんが自らリクエストし歌っていました

みなさま、お疲れ様でした

2014年12月10日水曜日

2014年12月11日定期活動のお知らせ

福島応援OnSong定期活動
日時:2014年12月11日(木)14:00~15:00
場所:フォーリス府中前(京王線府中駅/JR南武線府中本町駅下車徒歩5分 大国魂神社前けやき並木沿い)

プログラム
1.歌と挨拶
2.原発紙芝居
3.詩の朗読
4.リクエストコーナー
5.歌と挨拶

温かい格好でご一緒しましょう

福島応援OnSong事務局

2014年11月11日火曜日

2014年11月11日チラシ④

~被災者の声~

ブログ「福島の現実―福岡百子の声」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。インターネットに接続できない方から「こういった情報をもっと知らせてほしい。」との声が寄せられています。
ここに載せ切れなかった、被災した方の切実な声が伝えられています。ご一読ください。

【中間貯蔵施設建設予定地の土地買い取り価格】
被災者からの情報によると、中間貯蔵施設建設予定地(双葉町、大熊町)の土地の買い取り価格(1㎡あたりの地価)は以下のようになっています(「福島民報」掲載)。

・町道沿い宅地 
 農家集落 双葉、大熊¥4,050
 工業団地 双葉¥3,300、大熊は北側が¥2,950、他は¥3,150
 住宅地 双葉¥5,950、大熊は¥5,250と¥6,200
 内陸部 大熊¥2,800と¥3,350

・農地
 田、北 双葉、大熊¥1,200
 田、南 双葉¥1,150、大熊¥1,200
 畑 双葉、大熊¥1,150

・山林  双葉、大熊¥520

皆様、驚きではありませんか? 通常、土地価格はもっと高価なものです。どうして被災地はそんなに安価にするのでしょう? それでは被災者は再建をできるはずはないでしょうと思いますが、いかがなものでしょうか? 

ご参考にいくつかの土地価格(公示地価)を紹介させていただきます(2014年1㎡あたりの地価。

「土地代データ」http//www.tochidai.info)。
・群馬県平均 ¥44,853 宅地¥34,119 商業地¥61,044
・千葉県松戸市平均 ¥173,959 宅地¥133,048 商業地¥335,826
・埼玉県平均 ¥137,732 宅地¥113,957 商業地¥271,312
・岡山県平均 ¥52,385 宅地¥36,834 商業地¥96,963
・秋田県平均 ¥27,084 宅地¥17,716 商業地¥32,032
・新潟県平均 ¥47,171 宅地¥31,902 商業地¥77,152
・福島県平均 ¥29,970 宅地¥25,219 商業地¥50,017
(郡山市¥53,194、福島市¥45,920、いわき¥35,601、会津¥35,330、南相馬¥25,540、
二本松¥22,224、三春¥21,723、田村市¥12,457)

福島の現実-福岡百子の声 momfukuoka.exblog.jp

2014年11月11日チラシ③

~何が起きているのか・沖縄との対話~

福島応援OnSongで毎回歌を歌いに来てくださった島袋さんは現在、郷里である沖縄に帰り介護の仕事を始めようとしています。しかし、沖縄県は今、高江のヘリパット建設や辺野古への基地増設が国によって押し切られ、県民は賛成派と反対派、保革入り乱れて分断されています。11月16日に沖縄県知事選挙が行われますが、その行く先はどちらにしても険しい未来への道です。そのような状況下で福島応援OnSongの佐々木さんとメールのやり取りがありました。一部掲載します。


転送して頂いたメール拝見致しました。選挙は予断を許さない状況だと思いますが頑張らねばと思います。九州原発再稼動の動きもしかり、やるせなく悲しくワジーワジー(怒りの感情表現のウチナー語)する事多く、出来る事は少し。佐々木さんのエネルギーに生きる姿勢に若輩の私が言える事ではありませんが感動です。東京から離れてみて、如何に沖縄が不条理な生活を強いられてきたか目の当たりにする毎日です。折れそうになると佐々木さんの本を読みます。素敵な言葉ありがとうございました。寒さに向かい外での活動厳しくなりますがお体ご自愛下さいまして私たちに力を与え続けて下さい。暖かい沖縄より 島袋



本当にその通りですね。悲しいですね。基地賛成派は儲けようとするものと止むに止まれぬ食う為に、反対派は自然と命を守るたたかい。そこがむずかしいです。スコットランドのひとたちがよく言っていた「心は独立賛成、頭は反対」に似ています。私たちも頑張ります。引き続きよろしくお願いします。
わしらはもはや欺されぬ
老いた固きてのひらは
野良の仕事の傷の跡
一坪たりとも渡すまい
ここがたまらなく好きです。
 佐々木公一


基地と核(原子力)。どこか似通った仕組みが見え隠れしています。これは福島県や沖縄県だけの問題でしょうか。彼ら県民だけの問題でしょうか。彼らに押し付けられているものは一体何なのでしょうか。知る事、考える事、そして動く事が今求められています。昨年12月6日に強行採決された特定秘密保護法は、来月施行されます。

2014年11月11日チラシ②

~福島を考える事は日本の未来を考えること~

福島応援OnSongで10月27日(月)に伊東達也さん(原発問題住民運動全国連絡センター)をお招きして勉強会を開催しました。前日の10月26日(日)は福島県知事選挙があり、現職の佐藤雄平知事の後継者が当選を果たしています。その中で福島県の問題は何か、そしてどのような未来を描いてゆくのか。勉強会での資料を要約してみました

被害があまりにも深刻で、きわめて広範囲にわたり、その被害額が極めて大きく地域の復旧・復興に途方もない長い時間がかかることがはっきりしている「日本史上最大にして最悪の公害」としての原発事故は3年8ヶ月たった今も福島県民に苦悩をもたらし続けている。人の住んでいない強制避難区域の面積は1000平方キロ(参考値:東京都の面積は2187平方キロ)となり、これは国土の喪失を意味する。苛烈な避難生活が続き、「震災関連死」は増え続けており、今も命が奪われ続けている(この講演があった10月27日の時点で「1787人になりました。震災や津波でなくなった方は1603人です。毎日増え続けています」と伊東さんは話されました)。

福島県は全産業に損失を被っており、とりわけ漁業、農業、林業、観光の操業は深刻な状況である。そして教育、医療、福祉などあらゆる分野に被害が及び、教育問題で言えば、子どもは学校を奪われ、先生からも切り離され、家族・友人からも引き離されたままである。そのような中で避難先から帰れない人が激増している。

そして、強制避難区域以外の大部分の地域でも依然として自然放射線量を越える人工放射線量にさらされており、多くの住民が不安やストレスの中で暮らさざるを得ない。加えて地域社会が「原発からの距離」で分断され、「放射線量」で分断され、「賠償」で分断され、津波被災と原発被災との対応の違いなど県民の中に対立が持ち込まれている。さらにこの大事故の責任を誰も取らない事への怒り、不満が沈殿している。本来、みんなが力を合わせて困難を乗り越え、東電や政府などに解決を求めるのが当たり前なのに、被害者同士が対立し、不満・不安・怒りからくる鬱憤が同じ被害者に向けられている。

にもかかわらず甚大な損害に対する賠償について東電と政府はあくまでも狭く小さくしようと総力を挙げており、県民の怒りは大きい。強制避難者への賠償の基本的な問題点はそれまでの生活を丸ごと奪われた被害実態に目をやらず、生活再建にほど遠いものとなっている事にある。また、強制避難地区以外の地域に住む人々への基本的な問題点は低線量被曝の健康に対する不安などを全く聴かず、わずかばかりの一時金額を通知して終わりにしようとしている所にある。政府と東電がこうした問題点にまともに応えようとしない。そのため福島地裁をはじめ18地裁・支部で20の集団による裁判に立ち上がっている。

福島県は事故から4年目を迎えている。課題は数え切れないほどあるが5点に絞る。

①    事故収束と廃炉などの見通しの確立
②    放射線による低線量被曝の健康診断、検査、医療の継続的な保障
③    いわれなき偏見による差別を広げないための学校教育、社会教育の促進
④    原発労働者の賃金・労働条件・健康管理の改善
⑤    県内全10基の廃炉は福島県再建の大前提である

山積する課題と苛烈な現実が報告されましたが伊東さんは「福島から原発をなくし、自然再生エネルギー先進県にすることは、福島の地に将来に向けた新しい日本社会への『道しるべ』を打ち立てる事になる。」と将来へのビジョンを語ってくださいました。希望を語ってくださったこと。それが何より印象的でした

2014年11月11日チラシ①

~札幌からのたより~

原子力発電所事故による核汚染から身を守るため、多くの人々が避難をしています。しかし、避難者といっても「強制的に避難」と「自主的に避難」でその扱われ方が違います。また避難先が福島県内か、県外かでも違います。先日、福島県外の大学へ進学した避難者に対し東京電力が賠償金の返還請求をしたことがニュースとなりました。「避難者」はあの事故が無ければ故郷を追われる事はありませんでした。そして、あの事故を誰が起こしたのか。避難者にしわ寄せが行き、それどころか違いを設けられて分断されている現状を私たちは知る必要があります。富岡町から札幌へ避難された宍戸さん(昨年の報告会でもお話を伺いました。ありがとうございます)からの便りです。
 

 東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年8か月が過ぎました。福島のほとんどの場所は、もう震災の影響を観ることはできません。人間は、どんなにひどい災害からでも立ち上がる力を持っています。

しかしながら、人の行きかう駅の前、公園などには震災前には存在しなかったモニタリングポストが、その場所の放射線量を提示し続けています。地方ニュースの中でその日の放射線量を発表もしています。今も立ち入り禁止の場所、人が住んではいけない場所が設定されていて、避難生活を強いられている人たちが存在します。高放射線量の中、被曝の心配をしながらたくさんの人たちが原発事故の収束のために働いています。

まだ、原発事故は終わっていません。そして福島だけの問題でもありません。

東京都内で今年も除染が行われている場所があることを知っていますか?

福島を守れ、福島を忘れない…。本当にそれでいいのでしょうか?

あなたが手に取ったその野菜は安全ですか?

子どもたちが遊ぶ公園は安全ですか?

福島を見つめることは、自分自身の生活を見つめなおすことです。

どうか、この原発事故をご自身のこととして考えてください。

私は福島を離れ、いま北海道で生活しています。

事故当時、私が住んでいた場所には、今もたくさんの人が皆さんと同じように普通の生活をしています。私が生まれ育った町は、今も避難指示がでたままです。

当たり前の生活が失われるということはどういうことかを皆さんと一緒に考えていきたいのです。(福島から札幌へ避難。宍戸 隆子)

2014年10月22日水曜日

2014年10月27日勉強会のおしらせ

福島応援OnSongでちょっとした学習会を開催します
皆様のお越しをお待ちしております

学習会「いま福島の人々は」
日時:2014年10月27日(月)18:30~20:00
場所:府中市住吉文化センター講堂(京王線中河原駅下車徒歩5分)
講師:伊藤龍也(原発問題住民運動全国連絡センター代表委員)
主催:福島応援OnSong

2014年10月12日日曜日

2014年10月11日定期活動レポート

2014年10月11日(土) 天候晴れ

三多摩青年合唱団の有志の方を中心に

歌や詩の朗読、原発紙芝居も披露され大盛り上がりでした

参加された皆さま、お疲れ様でした




2014年10月11日定期活動チラシ④

~広島水害への義捐金を振り込んできました~

今年の8月20日、豪雨により広島市安佐南区・安佐北区などで発生した土砂災害は、死者74名の大きな被害を出しました。
福島応援OnSongでは9月の街頭活動にて福島応援の募金活動のほかに、広島水害義捐金を集めました。
 
たくさんのご協力いただきました。

義捐金は日本ALS協会広島県支部へ送りました。

ありがとうございました

2014年10月11日定期活動チラシ

~ひとりの善意では足りない。でも、~

福島応援OnSongが街頭で活動を始めて4年になります。風化をさせないように、継続は力なりと続けてきました。核汚染のもとである放射性物質の半減期が長期間にわたることから、息の長い活動になると思います。4年経って何がどう変わったかを問われれば、むしろ、事故を忘れ去ろう、無かった事にしようとする世の中の動きがあり、私たちも知らずのうちに流されそうになります。しかし、この4年で私たちは様々な繋がりと声にふれあう事ができました。活動に参加した人の声を集めてみました

・    募金が結構あるけれど、「福島の人に何かしたい」っていう心の現われなのかな?
・    若い人や子どもにも広げたい
・    話をしていく人が結構いる。中には「社長さん」とか偉い人もいるみたい
・    旗を持ってそこに立つだけで、良かったなと感じる。音楽があるといろんな参加が出来る。
・    なんか「学べた」と言う気分。いい気分です
・    参加してたら懐かしい顔に会えたのがうれしい
・    だんだん認知度が上がっているんだと思う
・    自分たちも楽しく参加している。それが人助けにつながるなら良いことだ
・    善意はひとりだけだと小さいし足りないかもしれないけど、みんなが集まると大きいパワーになる

皆さんもぜひご一緒しましょう。毎月11日、フォーリス府中前でお待ちしています

2014年10月11日定期活動チラシ②

~被災者の声~

ブログ「福島の現実―福岡百子の声」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。インターネットに接続できない方から「こういった情報をもっと知らせてほしい。」との声が寄せられています。

楢葉町、独り暮らし、53歳男性
「仮設に住んでいられない、と言って、80歳のおばあちゃんが投身自殺をしてしまった。走って行って、30mの崖下に身投げしてしまったのよ。80歳のおばあちゃんだよ。40代の人もドアノブに紐で首吊って死んでいたんだ。多いんだよ、自殺者が。」
「被災者の間では、同じ仮設にいても、コミュニケーションが無くなった。みんな人が変わってしまったよ。昔のように声を掛け合ってお茶を飲んだり、隣の人を気遣う気持ちが無くなってしまった。みんな鬱的になってしまった。」
「周りの人は、我々被災者をゴミと思っている。電力の金で生きていると思っている。我々が避難してきたために、土地代は上がり、アパートも無くなり、病院も混むようになった。地元の人の気持ちもわからないではない。」

南相馬、夫婦2人暮らし、70代男性
「私は津波で流されました。しかし原発から33kmの所です。同じ南相馬でも、30kmまでは東電の賠償金が出るが、30km以上は東電とは関係ないと言って、一時金が津波の人に出ただけです。原発以外の被災者の事も、国は考えて欲しい。我々は生活に困窮しているのだから。」
「総理も大臣も、原発の所には行く。しかし我々の仮設には誰も来ない。1人も来ない。」
「原発事故当時、被曝を恐れ、福島に支援隊やボランティアは来なかった。国は支援者に入ってはならないと言った。しかし我々がそこに住むことについては、国は拒否しなかった。そこに住んでいた我々には、支援物資が本当に無かった。無情と思う。福島には本当に支援が無かった。」(今でも福島の被災者は、生活消耗品、食品の支援を必要としています。)
「今度、仮設に入居させるときは、部落毎にまとめて欲しい。今のように1つの仮設にいろんな部落の人が入居していると、何をするにも心を1つにすることが難しい。お祭りも部落によって異なる。同じ部落同士だと、互いに顔も知っているし、孤独になることがない。病気になれば支え合い、助け合うことができる。しかし今はそれをしたくても、個人情報だから首をつっこむなと言われ、自治会長であったとしても助けることができない。このことは、仮設入居の際に行政に申し上げたが、聞いてはもらえなかった。」


ここに載せ切れなかった、被災した方の切実な声が伝えられています。ご一読ください。

福島の現実-福岡百子の声 momfukuoka.exblog.jp

2014年10月11日定期活動チラシ①

~沖縄からのメッセージ~

福島応援OnSongは、いろんな気持ちが集まってここまで続いています。毎回街頭で素敵な歌声を聞かせてくれた島袋さんからメッセージが届きました。

私は今年8月から沖縄にいます。故郷に帰りました。
私はon song の活動が始まってから沖縄に帰るまで合唱団の有志と一緒にほぼ毎回参加して来ました。
ひと月の中のたった1日のたった1時間の中で皆と歌を歌うというささやかな行動でしたが「続ける」と言う事が私にとって意味のある事でした。
この行動を始めた佐々木公一さんに心を動かされた事が参加する背中を押してくれました。

私は震災から3ヶ月経った6月東北に行きました。
震災当日体験した地震の恐怖、TVから流れる現実とは思えない映像、そして福島原発事故、何が何だか解らない言葉の洪水。
計画停電で街が真っ暗になった瞬間に道を歩いている自分、スーパーに物がなくなり見た事もない光景でした。震災後ひと月位毎朝起きてニュースをみると涙が出て暫く泣いており、また胃が痛い状況が続きました。自分の目で見ておかなければいけないと思いました。

行く先々で目にする景色、におい、全てが衝撃でした。
福島には物理的にも近づく事は出来ませんでした。

あれから…と語る言葉は震災、原発事故を過去の事としているように感じてしまいます。
福島原発事故の今はどうなっているのでしょう。
被災した方々の心を、現実を想像します。
全て共有は出来ませんがせめてあの時の気持ちを忘れない為にささやかでも意思表示をする場がon song でした。

沖縄から福島は遠いです。
しかしここでも支援行動は目にします。
久米島には福島の子どもたちの一時避難施設があり活動を続けています。

皆さんは沖縄の辺野古、高江を知っていますか。
辺野古の美しい海に軍事基地を作らないで、ジュゴンを守って、と訴え座り込み(当初は24時間)は2004年4月から始まり10年目。
高江のヤンバルの豊かな森にオスプレイのヘリパットを作らないで!と24時間座り込みを始めたのは7年前。

私たちには知らない事が一杯あります。
知らない事に出会ったら知る努力をしたいものです。
もし辺野古、高江と言う文字、言葉に出会ったら立止まってみて下さい。

立止まる機会をon song は毎月ここ府中で発信しています。私は沖縄から11日の皆様の行動に想像の翼を広げて参加しています。
島袋美恵子

2014年9月11日木曜日

2014年9月11日定期活動レポート

福島応援OnSong定期活動
2014年8月11日(月) 晴

参加者:22人

内容
1.    夏の歌と挨拶
2.    福島応援OnSong活動紹介
3.    夏の歌
4.    原発紙芝居
5.    リクエストコーナー(青い空は、原爆許すまじ、長崎の鐘)
6.    いわきからのSOSアピール
7.    終わりの挨拶

とても暑い中、立ち止まる人も少なく、しかしたくさんの募金があつまりました

「歌に聞きほれて、募金してくれる人がいた」とのことで嬉しい限りですが、その分、見てもらうものとしての意識も必要ではないかとの意見も出されました(始まりと終わりをハッキリしたほうがいい、伴奏は止まらないほうが良いのではなど)。

今回は特にいわきからのSOSをアピールすることと募金の使い道についての説明を行う事ができました。

そして福岡さんのレポートに皆深くうなずいていました。また、福岡さんの紹介で葛尾村の避難者に介護用品と衣類を送ることができました。次回の定例活動で発表したいと思います

寄せられた意見(反省会より)
・    福島のゆべしをいただきました
・    歌に聞きほれて募金してくれた人がいた
・    葛飾からいらしたご夫婦がいた
・    車椅子で参加した人が自身の福島での体験を語ってくれたのが良かった
・    前半は募金が集まらなかった
・    夏休みなんだから、学生たちに声をかければよかった。子どもでも孫でもつれてきてくれれば盛り上がる。今度は年間計画に組み込みたい
・    横断幕に年季が入っていい感じになってきた
・    始めの歌と終わりの歌を決めよう。アンパンマンにしてみたら?
・    暑かった!
・    出来る事はどんどんして行こう。現地で必要とされるものがあったらとにかく送ろう

2014年9月11日定期活動チラシ④

~物資を送らせていただきました~

避難者の生活において依然として生活物資(寝具、衣類(春、夏)下着、食器、生活消耗品、食品、手芸品、他、何でも有難いです、とのことでした)が足りないとのことで、わずかばかりではありますが介護用消耗品と夏物衣類を葛尾村避難者に送らせていただきました。

2014年9月11日定期活動チラシ③

~被災者の声~

ブログ「福島の現実―福岡百子の声」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。インターネットに接続できない方から「こういった情報をもっと知らせてほしい。」との声が寄せられました。

【福島の被災者は今】
楢葉町、独り暮らし、92歳のおばあちゃん。
「四畳半1間の仮設にいると、頭がボーッとなるよ。今、楢葉の自宅に1時間かかって、自宅のゴミ処理に行っているよ。親戚の人の車に乗せてもらってね。8時に仮設を出て、12時には帰るようにしているよ。昼ご飯は帰って来てから食べるのよ。自宅には1時間くらいしか居れないね。黒いゴミ袋に入れて田に置くのよ。9月16日に東電の人が5人で来て、粗大ゴミを処分する、と言うのよ。私1人でしているんです。

タンスの中には着物とか、紋付きの物があるから、身内にあげようと思っている。洗濯してね。辛いよ。悲しいよ。一つ一つに思い出があるんだもの、わんわん泣くよ。手に持てるだけ持って帰るよ。帰ると、疲れて、悲しくて、寝込んでしまうよ。いつもその繰り返しだよ。洋服かい? あちらに置いてある洋服に着替えるのさ。そして帰るときは、着ていった洋服に着替えて帰るのさ。古着を着て、捨てて帰る時もあるけどね。

親戚の人かい? そりゃ、自分の家の片付けに行くよ。私は1人で片付けているよ。悲しいよ。辛いよ。だけど若い人はもう来ないもの。ガソリン代にお金もかかるんだよ。領収書を東電に出せばよい、と言われたけど、年寄りには面倒くさいし、できないよ~。」

「避難した後、ここに来て、90人亡くなったよ。ノイローゼみたいになって亡くなっている。病気になるんだよ。風呂に入って亡くなる人も多いよ。深い風呂だし、滑るし、私は怖くて、1度入ったきりで、怖くては入れないよ。だからシャワーだけにしているよ。」

【葛尾村の住民の声】
「葛尾村の8割5分は山林です。山林は放射線量が高い。国は、山林は除染しないと言う。村は除染し、線量が半分にはなっている所もあるが、年月と共に、また線量が高くなる。だのに国は帰ってもらおうと言う。来年は道路、水道の整備と言う。28年度に帰還を開始すると言う。山に囲まれた家は少ないが、無いわけではない。その住民たちは、『あなた方はさておき』と言われ、国の方針を押し切られてしまう。国は、やるだけやって、帰ってもらおう、ということです。住民の声は無視です。

葛尾村はわずか450戸です。5割は65歳以上です。葛尾村の東側、太平洋側は、放射能汚染で40年以上はダメと言われています。西側は郡山方面です。村に帰っても利益とはなりません。今さら帰ってやり直しができるか?

もう避難生活、4年も過ぎました。気力も体力も根が尽きました。皆、衰えてきています。訪問客から説明を求められることもある。しかし我々は、もう疲れた。訴えたり、説明したりするのも、そういうことを言うのも、もう『飽きた』。他に何かする気力もなくなりました。だって国は、『再稼働ありき』で動いている。双葉郡の住民は7万人いるのに、なぜ国に責任追及をしないのか?と思う。いずれ村は壊滅するのでしょう? 心で皆は思っているが、誰も口には出さない。村長も黙って、何も提案もしない。言ったところで、国は却下し、無視するだけだから。言いたいことは色々ある。訴えたいことは色々ある。しかし言ったところで、しょうがない。なぜなら我々の声は消され、国はやりたいようにやるのだから。」


ここに載せ切れなかった、被災した方の切実な声が伝えられています。ご一読ください。福島の現実-福岡百子の声 momfukuoka.exblog.jp

2014年9月11日定期活動チラシ②

~SOS、ヘルパーが足りない~

福島県いわき市で障害者の自立生活をサポートしている「いわきILセンター」に福島応援OnSongは何度かお邪魔してお話を伺っていますが、そのたびに人手不足の深刻化が語られています。特にヘルパーが足りません。放射能からの避難による担い手の減少のほか、賃金の高い建設や除染の仕事に人手が流れている事が背景にあります。「最近は一人求人応募があっても二人辞めていく状況だ。管理者も現場に入るようになっている」とセンター長は話されていました。最近、SOSのメールが届きました
あとご相談があります。私たちの訪問介護が大ピンチなのです。
ヘルパー不足で、在宅障がい者の介護体制が弱体化し、
ALSの患者1名に一次入院をしてもらう事態となってしまいました。
どなたかいわき市に半年1年来てもらい、ヘルパーをやってくれる人
いませんでしようか?無資格者でも当法人が県から重度訪問介護
養成研修機関の指定をとっているので、5日間ほどで資格がとれます。
また県外から福島へ介護の仕事のため転居してくれる方へ、30万円の支度金がでる制度も始まっております
この話は、どんどん拡散してもらってもいいです。
そのような方を求めています。


重度の障害を持った方の生活を支えるヘルパーさんを募集しています。資格は無くても構いません。
問い合わせはいわきILセンター(0246-68-8925)、または福島応援OnSong事務局まで

2014年9月11日定例活動チラシ①

~葛尾村からの声~

福島を応援するよしみで知り合った福岡百子さんから紹介を受け、介護用品や夏物衣類を物資として葛尾村避難者の皆さんに送らせていただきました。数日後、お電話をいただき、葛尾村の避難者の窓口となっているSさんから避難をしている人々の現状をうかがうことが出来ました。

葛尾(かつらお)村は現在も線量が高く村民は三春町での避難生活を強いられています。

「他県への移住の話なんかも来るよ。避難者の中でも動ける人は新しい土地や家を求めて動いている。こちらの放射線量が高いからね。モニタリングポストに出る値の2倍から3倍はあるよ。放射能の怖さを知らないし知らせないようにしているんじゃないか。国も県も、住民に逃げられたら困るんだ。『危険だから』ってことを認める事になるから、正確な値を隠して都合のいい値を利用しているんじゃないかって。もう、みんな疑心暗鬼になっているよ」。

福島の地元の新聞は放射能についての話題は取り上げないとの事で、Sさんは東京の新聞を送ってもらっています。

「放射能の事なんか知らずに、週に2、3回村へ帰って草刈りしたり、残したペットを見に行ったりしてたよ。マスクなんかしていなかったから、かなり被曝したんじゃないか。今になって癌などの病気が増えているように感じる。若い人も亡くなっている。でも帰りたい人もいるんだ。」

愛着のある土地だったのに戻りたくても戻れない。そして核に汚染された土地では野菜を作っても売れません

「前はきのこ、マツタケの産地だったんだ。取れた野菜とかきのこだとかを以前は親戚にあげていたけれど。今はあげてもみんなサービスエリアとかに置いて行くんだ。仕方ないからね。こっちもわかっている。」。

普通の災害とは違うことをSさんは強調していました。

「放射能の事が全然わからないから、行くか返るか見通しが全く立たない。役場の支援はないし、国の予算も無い。子どもたちもバラバラになってしまった。まあ、子どもは環境に慣れるのも早いかもしれないけど」

愛着ある土地、しかし帰る見通しが立たずに、どうするかを決めて行かねばならないジレンマに、Sさんはじめ葛尾村の人々は悩まされています。最後に、何か今すぐ必要なものはありますか?とたずねたところ

「今は愚痴を聞いてもらうのが一番だよ」とのこと。福島応援OnSongでは有志を募り、近いうちにSさんたちを訪ねる予定です。

2014年9月定例活動やります

福島応援OnSong 定例活動
日時:2014年9月11日(木)14:00~
場所:フォーリス府中(京王線府中駅、JR南武線府中本町駅下車徒歩5分、けやき並木沿い大国魂神社前)

プログラム
1.歌と挨拶
2.葛尾村報告
3.詩の朗読
4.歌のリクエスト
5.原発紙芝居
6.活動報告

それぞれの合間に歌をいれていきます。
みんなで口ずさめる秋の歌を用意しますが
リクエストがありましたらお気軽にどうぞ

また、広島水害への義捐金の募金も集めます

よろしくお願いします
福島応援OnSong事務局

2014年9月3日水曜日

わずかではありますが物資を送りました

福岡百子さんhttp://momfukuoka.exblog.jp/からのご紹介で
葛尾村から避難されている皆さんに、介護用品と夏物衣類を送らせていただきました



後日お電話をいただき、避難されている皆さんが未だ苦しい状況に取り残されていることと
情報が現地ではとても入りにくいことを伺いました。

【再掲】いわきで働けるヘルパーを募集しています

いわきILセンター(0246-68-8925)より要請です 
以下メールより引用させていただきます


ご相談があります。私たちの訪問介護が大ピンチなのです。
ヘルパー不足で、在宅障がい者の介護体制が弱体化し、
ALSの患者1名に一次入院をしてもらう事態となってしまいました。
どなたかいわき市に半年1年来てもらい、

ヘルパーをやってくれる人
いませんでしようか?


無資格者でも当法人が県から重度訪問介護
養成研修機関の指定をとっているので、 

5日間ほどで資格がとれます。
 

また県外から福島へ介護の仕事のため転居してくれる方へ、
30万円の支度金がでる制度も始まっております
 

この話は、どんどん拡散してもらってもいいです。
そのような方を求めています。
 


重度の障害を持った方の生活を半年から1年間支えるヘルパーさんを募集します。
資格は無くても構いません。
 

問い合わせはいわきILセンター
または福島応援OnSong事務局までメールをください

2014年8月12日火曜日

2014年8月11日街頭活動レポート

福島応援OnSong定期活動

2014年8月11日(月) 晴
参加者:22人

内容
1.    夏の歌と挨拶
2.    福島応援OnSong活動紹介
3.    夏の歌
4.    原発紙芝居
5.    リクエストコーナー(青い空は、原爆許すまじ、長崎の鐘)
6.    いわきからのSOSアピール
7.    終わりの挨拶

とても暑い中、立ち止まる人も少なく、しかし募金は13000円を超えました。
「歌に聞きほれて、募金してくれる人がいた」とのことで嬉しい限りですが、その分、見てもらうものとしての意識も必要ではないかとの意見も出されました(始まりと終わりをハッキリしたほうがいい、伴奏は止まらないほうが良いのではなど)。

今回は特にいわきからのSOSをアピールすることと募金の使い道についての説明を行う事ができました。そして福岡さんのレポートに皆深くうなずいていました。





寄せられた意見(反省会より)
・    福島のゆべしをいただきました
・    歌に聞きほれて募金してくれた人がいた
・    葛飾からいらしたご夫婦がいた
・    参加者が自身の福島での体験を語ってくれたのが良かった
・    前半は募金が集まらなかった
・    夏休みなんだから、学生たちに声をかければよかった。子どもでも孫でもつれてきてくれれば盛り上がる。今度は年間計画に組み込みたい
・    横断幕に年季が入っていい感じになってきた
・    始めの歌と終わりの歌を決めよう。アンパンマンにしてみたら?
・    暑かった!
・    出来る事はどんどんして行こう。現地で必要とされるものがあったらとにかく送ろう

2014年8月11日月曜日

2014年8月11日活動チラシ 3

~被災者の声~

ブログ「福島の現実-福岡百子の声 momfukuoka.exblog.jp」より、被災した方の切実な声が伝えられています。ご一読ください。


<仮設住宅(双葉町)の環境>
・    「店までは2km離れている。200m~300m先に下水道の処理所があり、汚染物が山積みされ、臭いがすごい。住みたくないけど我慢するしかない」

・    「道路が狭いために、歩くと他者の家の中がまる見えです。」家の中にいる住民も「目の前を人が通る。時には視線が合う。安心して寝そべることが出来ないので一応、カーテンを閉めるのですが」

・    「山の中、高台に仮設があります。店は遠く、生活必需品を求めるのが大変です。老人が多いので。冬になると風に吹きさらされ寒くて大変です」

・    「周辺に一般住宅も、店も無い。たんぼの中に我々の仮設は建ちました。風が吹くと家が揺れます。我々の仮設よりもあぜ道が高いので、雨が降ると水びたしになります」

・    「母は要介護5。83歳で寝たきりで流動食です。父は認知症になりました。夫は田畑に行くけど、放射で作れません。私は生活のために働いていますが、両親の介護もしなければなりません。母はデイサービスを利用してますが十分ではありません。なぜなら、南相馬市は施設も津波で流され、施設は少なく、職員も少なくなりました。最近は原町に避難してこられる人が多く、老人、要介護者、認知症の人が多くなり、皆、認定や入居を待っている状態です。皆、収入が無く、生活が苦しいです。私だけでなく、皆、同じ状況です。」

・    「妻はパーキンソン病になりました。4.5畳の仮設では車椅子を入れられません。トイレに行くときは背負っていきます。妻の世話、生活の事、そして、仮設の自治会長の任は限界です」

2014年8月11日活動チラシ 2

~SOS、ヘルパーが足りない~

福島県いわき市で障害者の自立生活をサポートしている「いわきILセンター」に福島応援OnSongは何度かお邪魔してお話を伺っていますが、そのたびに人手不足の深刻化が語られています。
特にヘルパーが足りません。放射能からの避難による担い手の減少のほか、賃金の高い建設や除染の仕事に人手が流れている事が背景にあります。「最近は一人求人応募があっても二人辞めていく状況だ。管理者も現場に入るようになっている」とセンター長は話されていました。最近、SOSのメールが届きました



あとご相談があります。私たちの訪問介護が大ピンチなのです。
ヘルパー不足で、在宅障がい者の介護体制が弱体化し、
ALSの患者1名に一次入院をしてもらう事態となってしまいました。
どなたかいわき市に半年1年来てもらい、ヘルパーをやってくれる人
いませんでしようか?無資格者でも当法人が県から重度訪問介護
養成研修機関の指定をとっているので、5日間ほどで資格がとれます。
また県外から福島へ介護の仕事のため転居してくれる方へ、30万円の
支度金がでる制度も始まっております

この話は、どんどん拡散してもらってもいいです。そのような方を求めています。

 


重度の障害を持った方の生活を支えるヘルパーさんを募集します。資格は無くても構いません。
 

問い合わせはいわきILセンター(0246-68-8925)
または福島応援OnSong事務局まで

2014年8月11日活動チラシ その1

~募金を有難うございます~

2011年12月より始まった福島応援OnSongの街頭活動は30回を超え、毎回「がんばってください」の声と募金が少なからず集まる様になりました。東京にいると福島に住んでいる人々や避難せざるを得なかった人々のこと、そして何が起こっているのかが伝わってきません。それでも、皆が何かを感じ取って、応援の募金が集まるのだと思います。福島応援OnSongは福島の現状を(わずかではありますが)お伝えし、皆さんからの募金を福島の応援のために使っています

・    福島を訪問し難病患者のお見舞いに

福島応援OnSongは府中市在住の難病ALS(筋萎縮性側索硬化症:運動神経がどんどん衰えてゆく進行性の難病)患者でもある佐々木公一さんが「音楽を使って福島を応援できないか」と始めた事がきっかけで、難病患者のお見舞いや支援、応援が根本にあります。最近ではいわき市にあるいわき病院へお見舞いに行きました。現在、被災地における難病患者を取り巻く状況はとても厳しいものです。難病であっても各種制度やヘルパー、訪問看護などを使えば住み慣れた場所で暮らすことができるのですが、被災地においては特にヘルパーが不足し在宅療養が続けられないケースが出てきています。入院しながら、先の事は考えられない状況に置かれている患者さんもいらっしゃいます。

・    学生たちと福島の人々の交流する機会をつくってゆくために

これからの社会を背負ってゆく若者たちの学びのために、福島の人々と交流する機会をつくってきました。昨年は東京の学生たちの福島訪問/体験学習に資金援助を行ったほか、12月に行われた福島応援OnSong年間活動報告で発表を一緒に行っています。また定期活動にもときどき学生たちの参加があります。

・    被災地や避難先で支援活動を行っている団体への寄付に

震災と事故から3年が経ち、被災地での暮らしも一段落したといいます。しかし、内情として「そっとしておいてくれ」「もう、外に出る気力も無い」という声がある事が報告されています。さらには避難所の閉鎖、仮設住宅の取り壊しがはじまり、放射能の不安が解消されないままいよいよどこへ帰るのか決めなければならない状況に追い込まれている人々も居ます。また、被災地の介護を取り巻く状況は悪化しています。何らかのお手伝いとお役立てに、みなさまからの募金を寄付しています。

・    福島から離れ、療養できる環境づくりのために

一昨年前、山梨県白州町において被災者が療養するための「プチ移住」を企画し、福島市の難病患者とその支援者、学生たちが集まりました。今後も、被災者が心も身体も羽を伸ばせる環境を作っていきたいと思います。
(福島応援OnSong事務局)

2014年7月11日金曜日

2014年7月11日活動報告



2014年7月11日(金)福島応援OnSong定期活動

日時:2014年7月11日 14:00~15:00 天気 晴
参加者:25名

台風の影響が心配されましたが、台風は抜けてとても暑い日でした。
福岡さんの「福島の声」報告を中心に、夏のうたや尺八の飛び入り、原発紙芝居で盛り上がりました。
初めて参加されたKさんは「次回、東京新聞に掲載された福島の詩を紹介したい」と話されています。
また、札幌より8月か9月に参加しますとの連絡があったとのことです。
今回よりリクエストコーナーを設けましたが、もっと大きく扱ってもいいのではないかという意見も出されました。

次回が楽しみですね。皆様、お疲れ様でした。これからもよろしくお願いします

寄せられた意見(反省会より)
・    久しぶりに参加した。NHKのクローズアップ現代で国谷アナが泣かされた事(集団的自衛権について菅官房長官へのインタビュー)にとても腹が立って、歌でも歌ってやろう!と思ってきた。NHKすら信頼できない、民放のほうがマシな世の中。福島応援OnSongのみんなの顔を見てほっとした。
・    今回も大口の募金があった。一口3000円と5000円!
・    リクエスト受付コーナーをもっと大々的に!
・    フォーリスの店の中で聞いてくれている人がいた。歌に合わせて身体で調子をとっているのが見えた。
・    寄付金の使い道について聞かれた。福島の人間がやっているのか?どういう団体なのか?興味を持ってくれるのはありがたい。
・    「この暑いのに本当にご苦労様」と千円を入れてくれる人がいた
・    チラシを受け取ったあと、けやきの木の下でずっと聞いてくれる人がいた
・    募金が2万円以上もあつまったのは、みんなの気持ちだと思う。みんな、福島の事を心の中で思っている証拠じゃないか。

次回もよろしくお願いします
(レポート作成:福島応援OnSong事務局)

2014年7月11日チラシ

~被災地の声~

ブログ「福島の現実―福岡百子の声」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。事務局にはインターネットに接続できない方から「こういった情報をもっと知らせてほしい。」との声も寄せられました

①福島県内で被災者支援に関わる被災者の方のお話
「最近、石原伸晃環境相が“金目”の失言をしました。その影響は大きく、福島の多くの被災者が、“あなたたちの目的はお金だろう、金目当てだろう”という目で見られるようになったと感じています。“私たちは、そんなことではない。原発被害がもたらした様々な精神的苦悩、生活の苦悩を早く解決して、元のような生活に私たちを戻してください”という私たち被災者の心の叫びは顧みられることはありません。石原環境相の失言以来、周りの視線が冷たくなったため外に出て行けず、家にこもる被災者が多くなりました。とても悲しいことです。早く私たちを元の生活に戻す努力をしてください、と言いたいです。」


②浪江町 津波で母・妻・息子・孫を亡くされ、自宅・工場を流され、すべてを失い、1人でアパートに住んで居られる74歳の男性
「息子に家を建てるために1200万円あげた。新築して、2ヶ月で流されてしまった。」
彼は時々、私宅に電話を下さいます。言葉は一言、二言です。辛い核心には触れません。ただ私の名を呼び、「会いたいよ~」とだけです。私はこの言葉の奥にある、魂の叫びを感じます。不安、寂しさ、孤独、恐怖…。彼はいまだ2011年3月で止まっているのだと思います。現実を直視する勇気はいまだないのだと思います。毎日をどうにか生きているだけ。「淋しくてたまらないよ~!」との魂の叫び。誰も受けとめてくれる方はいないのかもしれません。こんな方に、頑張れ、とは言えません。これからの将来のことなど語れません。おそらく、あの日の悪夢に毎晩うなされながら、毎日を必死で耐えている、それが現状ではないでしょうか? これが多くの被災者の現実ではないでしょうか?


③川内村 73歳の女性。母93歳、夫75歳、農家
「村にはファミリーマート1軒、自営業の小さい店1軒しかありません。食糧、生活用品を求めて、車で1時間半かけて船引まで買い物に行きます。母は要介護、夫は田畑。私は5月に貧血で倒れ、あばら骨を2本折りました。台所をする人がいないので、私がしています。放射能汚染のことは不安です。しかし野菜は買えば高い。だから自分たちで作った物を食べています。少しずつ。」農家の方は国民年金以外に収入はありません。経済状況は大変と思います。川内村は2012年8月で賠償金がストップしましたから。


④楢葉町 仮設住宅の70代の自治会長。母88歳、妻70代
「母は要介護です。楢葉は20キロ圏内で帰れる唯一の所です。帰還宣言はまだされてはいません。しかし荒れた田畑を放っておくと、将来使えなくなります。だから時々帰っては田畑の土おこしをしています。自宅は臭くて入れない。屋根瓦が落ちて雨漏りがし、カビが生えている。泥棒も入った。小動物も入り、家は住める状態ではない。」


⑤葛尾村 借り上げ住宅の60代男性
「原発に関する情報は、福島県内では少なくなった。同じ朝日新聞でも、そちらでは大きく取り上げられても、福島の新聞はわずかな紙面しか割かない。情報を知りたくて、パソコンを始めた。ところが、原発に関すること、国に逆らう内容になると、すぐに画面が黒くなる。最初に出たときに早くコピーしておかないと、次に見ようとしても消されている。選挙の時になると、もっと酷い。福島県内の情報は操作されている。中国どころじゃない。」

皆様、これが福島の方々の現実の姿です。ご自分の身に置き換えて考えてみてはいただけませんでしょうか? 私も身近な友の中に、夫を亡くした方、妻を亡くした方が居られ、七回忌を過ぎてもなお悲しみから立ち直れない人も知っております。愛する人を失った方にとっては、年月は関係なく、心の癒しにも時間がかかるものです。想像を絶する恐怖の日々を送った被災者、地獄を毎日体験した彼らには、それを簡単に乗り越えることはできないでしょうし、あの日の恐ろしさは生涯、心と体に染みついて離れることはないのではないでしょうか? 人は、自分を受けとめてくれる理解者、苦悩を拒否することなく、まるまる自分を愛し、苦悩を共有して寄り添ってくださる方によって、初めて心癒され、傷が癒され、心が解放され、そうして初めて前向きに歩めるようになるのではないでしょうか? 人間は誰しも弱いものです。思っている以上に弱いものです。簡単なことで傷つき、倒れるものです。ご自分の体験からもおわかりになられるでしょう。人間はどんな人も一緒です。

どうぞ皆様、被災者に手を差し伸べてください。あなたの小さな親切で、心病んで居られる被災者を1人でもお救いください。よろしくお願い申し上げます。
ここに載せ切れなかった、被災した方の切実な声が伝えられています。ご一読ください。
福島の現実-福岡百子の声 momfukuoka.exblog.jp

2014年6月12日木曜日

2014年6月11日活動報告


車椅子や呼吸器をつけた方はちょっと雨宿り
福島応援OnSong 定期活動
日時:2014年6月11日(水)14:00~15:00
天候:雨
参加人数:14人

雨天でしたが(確か昨年もこんな日がありました)先日の福島訪問や被災地の声をアピールする事ができました。
この記事の前にエントリーした2014年6月11日のチラシを読んでください

雨を避けながらのアピール
「あめふり(”あめあめふれふれかあさんが”)」の歌声も楽しく、無事終えることができました。


寄せられた声

・もう、誰も「(雨だから)止めよう」とは言わないんだから。

・募金箱に高額紙幣を入れてくれる人がいた。福島の人だって

・続ける事に意義があると改めて実感

・雨の中だと、話は聞こえにくくなる。歌を前面に出すといいのかもしれない

・うちの組合の旅行で40人ちかい前で宣伝してきましたよ。そしたら今日は二人来た!

・友人が来てくれた。イベントの実行委員をやっている人だから、今度一緒にやってみたら?

・雨でどうなるかな、と思っていたけど。普通に募金してくれる人がいた。総額は少なかったけど嬉しかった

・「こないだもやっていたな」といってくれる人がいた

・私にとっていろんな繋がりがこの会をきっかけに生まれている。


来月もよろしくお願いします

2014年6月11日水曜日

2014年6月11日チラシ③

大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決

福井地裁において5月21日に下された大飯原発3,4号機運転差し止め請求判決は、司法が原子力発電所の再稼動についてどう見ているのかを示す上で画期的な判決でした。判決要旨は全文をインターネット等で見る事ができますが、この要旨のクライマックスともいえる部分を抜粋してみました
この要旨は「1.はじめに」憲法に定められた人格権を最高価値としています


1 はじめに
 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。
 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。


そして「2.福島原発事故について」で原子力発電所事故が及ぼす影響と250km圏の妥当性、「3.本件原発に求められるべき安全性」で福島原発事故が起こった今、事故の危険性と被害の大きさを考え裁判所が原発再稼動の判断をすることを示しています。「4.原子力発電所の特性」「5.冷却機能の維持について」でわずかな時間の電源喪失で事故につながり、事故は時間の経過にしたがって拡大してゆく事、そして電源喪失のリスクは地震大国日本においてはとても高い事、さらに「6.閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)」で核物質が原子炉容器以外の場所で保管されているリスクにも触れた上で以下の判断に繋がっていきます

7 本件原発の現在の安全性
 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

8 原告らのその余の主張について
 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。
 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について
 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

10 結論
 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部
 裁判長裁判官 樋口英明
    裁判官 石田明彦
    裁判官 三宅由子



被告である関西電力は翌22日に控訴をしました。

2014年6月11日チラシ②

~被災地の声~

ブログ「福島の現実―福岡百子の声」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。

【被災者の声】
「一年、二年はまだよかった。三年になったら、本当にきつい。誰も振り向いてくれない。」

「年寄りの一人暮らしは可哀想。孤独死、自殺者が多くなった。」

「(双葉町の)井戸川元町長さんは、鼻血について良く言ってくれた。我々は言いたくても言えない環境にある。被曝しているからか、抵抗力が弱くなったからか、とても疲れる。いわゆるブラブラ病と診断される人が多くなった。」

「極端に免疫力が低下し、疲れやすく、倦怠感がひどくなった。災害前は、風邪などめったにひかなかったのに、今は簡単に風邪をひく。下痢、咳が多くなり、除染作業やがれきの片付けをした後は、次の日からすごい倦怠感に襲われる。鼻血のことはウソじゃない。被災者に聞けば解る。ほとんどの人が体験している。」

「原爆症の症状を調べたら、同じ症状が出始めたと感じる。」

「ボディー検査、甲状腺検査の結果は、ただ『異常ありません』で来る。我々に検査の詳しい数値は知らせられない。国のみが知っている。データを我々に知らせず、『信用しなさい』というのはおかしい。」

「放射線量測定器は役場からもらった。個人で何種類も買い求めた人もいる。しかし、どの測定器もみな異なるので、何を信じたら良いのかわからない。」

「都路は場所によって放射線量が異なるのも確かです。今は田植えのシーズンです。しかしできた米、作った野菜は、私のところでは食べません。作った野菜は捨てています。農業をしてきた私たちは、他にやることがありません。捨てると解りながら、しないわけにはいかないのです。」(私はこの言葉に、被災者の悲しみの深さに、想像を絶する魂の苦悩を感じました。)


【放射能の影響は?】
山村の広野町、川内村、そして今年の4月からは都路町の保育園、幼稚園、小学校、中学校が開校しました。水道水も基準値以内とのことで、飲料水として飲んでいるようです。果たして本当に大丈夫でしょうか?と心配になります。被災者の話では、放射能の人体への影響は、七、八年後に表面化するとのことです。生活のために除染作業、がれき処理などに被災者は行っていますが、その後遺症が被災者方の命取りにならなければ良いが、と私は心配しています。
私は皆様に被災者方への物資支援、また義援金のお願いをしながら、最近、戸惑いを感じることもあります。帰還宣言をした役場や役場を支える支援団体が情熱を傾けて帰還を促し、放射能汚染への警戒心もなく、放射線量が基準値以内だからと言って、乳幼児の飲料水に水道水を与えています。無防備に喜んで帰り、村の再建を、と意気込む村人の姿や、役場職員の復興への情熱に接した時、自立を促す役場の職員と、被爆を恐れ戸惑う被災者とのギャップに戸惑いを感じるのです。七、八年後の被曝後遺症が現実化されないように、と祈る心で本気に私は心配しています。・・・

2014年6月11日チラシ①

~明るい未来がない~

6月3日(火)福島応援OnSong 有志で福島県いわき市にあるいわき自立生活センターといわき病院を訪問してきました。いわき自立生活センターは重い障害を持っている人が地域で市民生活を送るための事業を行っており、私たちはその中の「アライブ(生活介護事業所)」にお邪魔して皆さんと歌ってきました。
歌声と笑顔にあふれたとても素敵な時間でしたが、所長さんの話された福島の現状はとても深刻なものでした


いわきILセンターはいわき市の新興住宅地の高台にあります。この周辺は区画整備中でしたが震災後に避難者の仮設住宅が建設されました。
たくさんの仮設住宅が街の数区画にまたがって建っているのですが、とても静かでした。
「震災のあった年は、イベントなんかで賑やかだったけど、3年経ってシーンとしている。イベントもほとんどない。よく言えば普通の生活に戻ったというか、落ち着いてきたというか。でも、みんな疲れている」。

いわきILセンターの周辺は広野町から避難された方の仮設住宅がありますが広野町は「帰還宣言」が出され、昨年6月にはJRの運行も再開されています。
「国などはとにかく(避難者を)返そうとしている。今は全面帰還から部分的でも返そう、にトーンが変わってきたが、帰還に向けて突っ走っている。そのために帰る人、帰らない人、帰れない人との差もできている。お年寄りが帰るケースが多く、若い人は仕事のある所に避難や移住をしている。それまでは世代が一緒になって支えていた家族がバラバラになってしまった。病院などは結局いわきにしかないから、帰った先で、救急車を呼んだら2時間かかってしまう。病気の人は残らざるを得ない。そして、帰還宣言が出されたために補償は打ち切られ、賠償金もない。以前は自給自足で暮らしていた地域が(核汚染により)農作物を作れなくなって、野菜を買わなければならなくなったりしているのに。避難している人も、帰る人も経済的にはとてもじゃないが生活していけない。ふるさとは破壊され、居場所が一生見つからない状況においやられている。明るい未来がまったく見えない。」

仮設住宅での避難生活は人々の健康にも大きな影響を与えているとのことです。
「震災の関連死といえるような例が目立ち始めていますね。避難者の中でもILセンターを手伝いに来てくれた人がいたんですよ。道を整備してくれたりね。でも、最近亡くなりました。酒で身体をボロボロにやられていたそうです。飲まずには居られなかった。そういった例が二人居ます。」
そして、患者や障害者、高齢者の暮らしを支える介護者も不足しています。除染などで放射線量が低くなり、いわき市は福島県内でも放射線量の低い地域です。しかし、東京電力福島第一原子力発電所の事故は収束しておらず、再び事故が起きるかもしれない不安から避難する人も居ます。また、介護職の賃金は低く、他の職種に人は流れていきます。
「介護職員が全く足りません。県外から来た人に支度金とかを用意して対応しているみたいですけど、辞める数に追いつかない。今、いわきの介護事業所では二人辞めて一人入ってくる、いや、入ってくれば良い方で、今は管理者が駆り出されている状況です。新規利用はもう受けられません。 」
災害公営住宅(津波で家を失った人向け)や復興公営住宅(原発事故で家を失った人向け)など住環境の整備による生活再建にいわき市は取り組んでいますが、需要と供給のミスマッチがあり、その上に生活を支える基盤の不安定が重なり「未来が見えない」状況は続いています。今回、「アライブ」の皆さんは福島応援OnSongの面々を笑顔と歌声で迎えてくれましたが、その普段の暮らしの背景にはとてつもなく大きな課題が横たわっている事を再認識させられました。でも、そんな皆さんが「また来てね!」と手を振ってくれました。また歌いに行きます。何度でも、歌いに行きますよ。

2014年5月11日日曜日

2014年5月11日活動報告

福島応援OnSong 定期活動 報告
2014年5月11日(日)
天候:晴れ
参加者:25人+α

日曜日という事もあり、たくさんの募金が集まりました。

また、参加する方もたくさんでした

久しぶりの顔もちらほら見えて、とても嬉しい気分です



反省会で寄せられた意見
・日曜のせいか、男子学生が多くて「寄付してくぞ!」って言ってたくさん入れてくれた

・5000円札!や千円札2枚など、大きな金額を入れてくれる人がいたほか「月に5万6千の年金なんです。これだけでごめんなさい。私もいっぱい苦労したから、これだけ、ね。」というお年寄りもいた。ありがたい。

・郡山に帰 ったとき、子どもがタンポポを摘もうとしたら「そんなもの摘むんじゃない!」と叱られてしまうような現実になってしまった。福島のニュースや応援を東京で発信してゆくことに意味がある

・民謡を歌うつもりだったけど、今回はできませんでした。次回チャレンジします。相馬盆歌の歌詞を見て胸にくるものがありました

・リクエストボードを作ってみました。次回には活用したいです

・「さんぽ」を歌ったが、この歌にあるような一日を子どもたちに過ごさせたい。

・若いお母さんでも資料を取ってくれない。関心がある人とない人がハッキリ分かれているのか

・今回はスピーカーの音量が大きめでしゃべりやすか った

・知らない人を巻き込むことができた。共感してくれた。積極的に仲良くしたい

・福島の人がカンパしてくれているみたい

・幼稚園に入る前の子どもがお父さんからお金をもらって入れてくれた

・「日曜だから来られる」という人がいた。この会が定着しているなと感じる。

・消費税も上がり、自分たちの暮らしも大変だと思う。でもこの会がみんなの励みになっていると思う

2014年5月11日活動チラシその2

~被災地・都路の声~

都路は、大熊町、葛尾村、川内村に隣接し、399号線と288号線に沿った、海抜350~700mの山村。冬は零下8~10度となる。もともとは人口3000人ほどの、水道もなく、井戸や山の水を共同水道とし、水洗トイレもない、自然豊かな、田園に囲まれたところで、産業は農業、畜産、林業など。山菜や川魚を食し、食費を出費することなく、質素を旨とし、素朴で忍耐強く、愛情あふれ、欲が少なく、仲間、親を大切にし合う。口数も少なく、自分を飾ることもない村人たちでした。これは、川内村、葛尾村、飯舘村等、山村の方々に共通したタイプです。
平成17年に都路を含む5つの町村(都路、滝根、大越、常葉、船引)が合併して、田村市となり、元都路の村長は田村市長のもとに属するようになりました。合併したとはいえ、都路はもともと交通機関も少なく、不便なところで、店も個人の店が5、6軒小さい店があるのみ。診療所と歯医者が各1軒、小学校と中学校が各1校の村です。
以下は、被災者自治会長さんから聞いたお話です。
・    原発から30キロ圏外は市から1人3万円出たのみ。精神的賠償金も、家の修理費も出ない。
・    20キロ~30キロ圏内は、2012年8月に緊急時避難準備区域の指定が解除。1年間は継続して精神的賠償金(月10万円)が出たが、その後は止まった。家の修理費として30万円出た。それ以上はどんなに領収証を持っていっても出してもらえない。(国や自治体のHPを見ると、20キロ~30キロ圏内は2011年9月30日に緊急時避難準備区域の指定が解除されていますので、自治会長さんの言う12年8月というのは、賠償金が打ち切られた時期のことではないかと思われますが、複数の自治会長さんが「12年8月解除」とおっしゃっています。)
・    20キロ圏内は、今はまだ精神的賠償金の月10万円は出ている。
・    原発の関連死に対し、話としては、世帯主500万円、それ以外は250万円と言われているが、いまだもらっていない。
・    弁護士を通し、原発関連死や葬儀代の補償、月10万円の精神的賠償金の継続などを申請しているが(都路で200人)未成立。

【都路住民の声と現状】
・    「20~30キロ圏内であっても、場所により、毎時0.6~0.7マイクロシーベルトあります。」
・    「“水を飲んでも良い”と言われても、不安で飲めません。」
・    「“米を作って食べても良い”と国は言う。しかしそのデータは我々にも役場にも、国は知らせてくれないので、放射線量については役場も我々も解らない。」
・    「我々が作った米は、農協に持っていき、買ってもらう。我々は自分で作った米は食べていない。新潟などの米を買って食べている。我々が農協に持っていった米はどこに行っているかは解らない。」
・    「都路の線量は高い。住んでいるところも高い。だのに、“帰れ、帰れ”と言う。20キロ圏内でも帰すと言う。それは我々に“死ね”と言っているようなものです。」

都路の住民は、賠償金も打ち切られ、自宅に帰っても農作業はできず、収入源がないために、やむなく富岡町の除染作業で糧を得ています。作業現場では、防護服を着ることなく、マスクとゴム手袋、長靴で働いている、と言います。1日9~15マイクロシーベルトを浴びてくると言います。危険手当1万円、1日の手当6千円で、1ヵ月15回位行っている、とのことです。これをしないと、収入はゼロです。
除染、草刈りは公共の場しか役場はしません。個人の家は個人で、というのが原則なので、家屋敷の草刈り、掃除、家の修理も個人任せです。役場も、「国から言われているのでできない」とのことです。しかも費用は国も役場も出しません。若者不在となり、高齢者の皆さんがどこまで自力でできるでしょうか? お金が無い方々なのに。

都路のレポートはブログ「福島の現実―福岡百子の声」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。ここに載せ切れなかった都路のレポートのほか、被災した方の切実な声が伝えられています。ご一読ください。
福島の現実-福岡百子の声 momfukuoka.exblog.jp

2014年5月11日活動チラシその1

~2014年・ふたつのレポートより~

東日本大震災、そして福島第一原子力発電所の事故から3年が経過しました。
福島応援OnSongが活動をしていると「まだ頑張っていたの?」という声も聞こえる様になっています。

震災・事故は収束したのでしょうか。
「復興」はなされたのでしょうか。

現在福島で何が起きているのか、二つのレポートをお伝えいたします。
ひとつは北海道へ避難された宍戸隆子さんの富岡町の様子、もうひとつは福岡百子さんの都路(みやこじ)レポートです(レポート内写真は福島応援OnSongの活動時のものです)。

4月18日、ウクライナにあるチェルノブイリ博物館のアンナ副館長、キエフの小児科バレンティーナ医師と一緒に福島県の富岡町に行ってきました。
富岡町は東京電力福島第一原子力発電所から10キロ圏にあり、現在も避難指示が出されたままです。私は震災当時は第一原発から50キロ以上離れた伊達市に住んでいましたが、生まれも育ちも子の富岡町です。富岡に入るにあたっては、当時富岡在住で、今ボランティアで富岡ツアーを企画しているFさんにガイドをお願いしました。

合流場所のいわき駅から国道6号線を北上していきます。

いわき市内は毎時0.1~0.2マイクロシーベルト。アンナさんによれば、キエフと同じくらいの線量で安全とのこと(これについては異論もあるかもしれませんが、アンナさんはそうおっしゃいました。)富岡町に近づくにつれ、少しずつ線量が上がっていきましたが、富岡町の境を過ぎたとたんに一気に線量が上がりました。これは除染の進行状況が関係していると思われます。富岡町の除染は始まったばかりです。環境省はこれから3年をかけて除染をして、富岡町に人を戻す計画とのことです。しかしながら、私にはそれが可能だとはやはり思えませんでした。

富岡町に入るのは3回目です。2012年の9月2013年の9月、そして今回です。

今回が一番、状況をひどいと感じました。

津波で流された沿岸部を今、除染土置き場にするべく整地が始まっています。作業員は普通の作業着で、マスクもしていない方が大半です。フレコンパックに詰められた土があちこちに積み上げられています。震災当日、非番だった若い警官が津波の避難誘導にあたっていて波にのまれました。一人は30キロ離れた沖合で死体で見つかり、一人は今も行方不明です。つぶれたパトカーが今も残っています。その場所の線量は毎時1マイクロシーベルト以上。町の中でも比較的線量の低い沿岸部ではちょっと高いかなという感じでしたが、ここでアンナさんが「ベータ線があります。ここに長くいてはいけない」と線量計を見せてくださいました。軍使用の線量計でベータ線だけで毎時0.2マイクロシーベルト。ガンマ線よりもベータ線の値をずっと気にしていらっしゃったのが印象に残っています。

18メートルのがけの上にある飲食宿泊施設から、福島第二原発を眺めました。その施設の1階は、がけを駆け上がってきた津波によってぶち抜かれていました。
この津波は海岸線の向こうの原発も襲った。
ガイドのFさんから「第二原発のその時の所長が、電気設備屋上がりだったから第二は止めることができた。ひとつ前の所長だったら、第二も爆発していた可能性が高い。」と聞きました。また、第一原発も、吉田所長のお話を含めてどれほどの状況が起きていたのか、その一端を知ることができました。

あのとき、私たちは原発で働いていた人たちに命を救われたんです。ですが、町民よりも先にいなくなった東電関係者もたくさんいます。

私の実家にもよりました。前回2回と違い、庭の草はきれいに刈り取られていました。実家にも除染が入ることになっているとこのことです。
ですが、線量は毎時3マイクロシーベルト越え。6か月前とほとんど変わっていませんでした。
雨どいの下は8マイクロ、隣の神社も4マイクロ…。すでに自然減衰のスピードは鈍化しています。

簡易とはいえ、N95のマスクとタイベックを着用した私たちは、やはり浮いていました。作業員をはじめ、時折すれ違う人も今はほぼ普段着で出入りしています。

富岡町には夜の森公園という桜の名所があります、満開のときは、子連れの方(15歳以下は立ち入り制限がかかっているのですが)、桜の下で宴会をする方もいたそうです。富岡町は帰還困難区域(年50マイクロシーベルト以上)、居住制限区域(50マイクロ未満、20マイクロ以上)、避難指示解除準備区域(20マイクロ未満)に分かれています。
居住制限区域までは事実上出入りは自由です。その中で、何をどこまで警戒するのか、線量計をのぞかなければごくごく普通の街並みがそこにあります。だれも住んでいなくて、朽ちていくばかりの街並みですが…。

今回、私が富岡に入ったのにはアンナさんの案内することのほか、Fさんとお話しすることが目的でした。
なぜ、富岡を案内しつづけているのか、それを直接聞きたかったからです。
彼は安全派では決してありません。
わざわざ放射線管理の資格も取って、それでも自分はマスク一つで案内をしてくれています。
それぞれの選択を認め合うしか、今はできないのではないか。

その思いは私と共通のものでした。
安全がなにか、危険が何か、明確な答えがない中で、それぞれが選択をしたその行動を否定することはできない。

今、福島の人の心の分断はより、深く進んでいます。

放射能のこと、賠償のこと、避難をするかしないか、汚染地に出入りすること、危険に対する認識。ちょっとの差異すら、認めることができずにいがみ合っています。私は「避難者の思いの純化が怖い。」とFさんに話しました。それは福島を切り捨てることにつながるからと。
「でも、自分が正しいと思わなければ、思いを純化しなければ、心が壊れてしまう。だからそれは仕方がない流れなのではないか。」とFさんにさとされました。

それだけ、私たちは追い詰められているということなのかもしれません。原発事故は、私たちを今もむしばみ続けています。

なぜ、私たちはいがみ合わなければならないのでしょう?

最後になりますが、今回富岡入りすることをたくさんの人に止められました。それを振り切っての富岡行でした。
過去2度の富岡入りで、私はやはり放射能の影響を過小評価していたように思います。
同行した方の一人が体調を崩されました。
それが、放射能のせいだと言い切ることも証明することもできません。
ですが、ひょっとしたら…の気持ちはずっと続きます。
もし万が一、命にかかわるようなことになったら…それを考えると、ぞっとしました。私の浅慮が、誰かを危険にさらすことになる。そんなことを考えなければならない場所に、私の故郷はなってしまいました。
今、復興が叫ばれる中で、私たちのかい離は進行しています。
すでに過ぎ去ったことではなく、現在進行形のそれは被害です。
皆様が、福島について関心を持ち続けてくださいますよう、心よりお願いいたします。

宍戸 隆子

2014年4月11日金曜日

2014年4月11日活動報告

2014年4月11日(金)活動報告
天候:晴れ 参加者:21名+α

 寄せられた意見

・募金に千円札とか500円玉とかが多かった

・歌の内容が良かった

・会津磐梯山など民謡のリクエストがあった

・先客 がいて叱られたのが怖かった

・知っている歌を口ずさんでいく人が多かった

・「あ、こういうのやってんの?初めて!」という方がいた

・観客のリアクションが良くなってきたのではないか

・歌詞カードにない歌を歌ったらクレームがついた

・重たい歌は受け止めるのも苦しい・・・

・佐川さんのカードがとても喜んでもらえた

・福島の情報をもっと流そう

・ゲストを毎回呼べないか

・来月はマスコミを呼ぼう

・現地ツアーの実現に向けて動こう

皆様、お疲れ様でした!

2014年4月11日活動チラシ

~年度も新たに~

福島応援OnSongは東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故による核汚染が始まった2011年12月に街頭でのアピールと募金活動を開始しました。

親しみのある歌と言葉で福島を応援しようを合言葉にこの街頭活動も26回を数えます。

福島応援OnSongは難病ALSの患者とその友人達、介護に関わる人々によってスタートした会でもあり、難病患者や社会的に弱い立場の人々、その支援者の目線を大事にしたいと考えています。皆様から寄せられた募金も、そのために使わせていただいています。

先月3月11日は震災と事故から3度目の日でした。フォーリス府中前では私たちのほか、他のイベント主催者、道行く人も立ち止まり黙祷を捧げていました。

そのときだけ時間が止まったかのような静かな瞬間でした。

人々の心の中に震災や事故への想いは深く流れていることを感じる瞬間でもありました。

しかし、テレビやラジオ、新聞、雑誌からは、まるでこれらの事故が無かったかのように連日騒ぎ立てています。この温度差は、物に対して口をつぐむ風潮を生み出しているように思えます。

「私だけ?」と思わされてしまう。

26回を重ねる福島応援OnSong街頭活動に「毎月11日、フォーリス前に行けば誰かいるし、歌に必ず誰かが立ち止まってくれる。それがいい」との声が聞かれました。

この会が、福島を思う心の奥底に流れる想いを、毎月確認できる場として定着しているとすればとても嬉しいことです。

歌に耳を傾けてみませんか。
一緒に歌ってみませんか。
その想いを持っている人は、一人だけではないことを感じられると思います。

2014年3月11日火曜日

福島をどう訪問しよう

皆さんからの募金を福島応援OnSongでは福島を訪問し現地との交流や応援、
また、そこでの声を東京に住む人々にフィードバックをするために使っています

もともと難病患者や介護者が中心となってスタートしている会なので、そこを大事にしたいし
また、特に学生たち次世代に役立てたいと思っています

そしてこれから、福島とどう関わっていくか

今回の定期活動の後に話されたことの中に
「支援とかじゃなくて『お茶っこしに来たよ!』 くらいの交流がむしろ大切じゃないか。現在、仮設住宅に住んでいる人たちは、引きこもっちゃっているんだよ」との現地報告がありました。

先ずは見に行くことが先決です
「でも、事前勉強も必要だよ。町の名前聞いて、どこにあるか判る?」との意見に、みな大きく頷いていました
14:46 1分間の黙祷


今年はもう少し踏み込んだ活動になりそうです



2014年3月11日活動チラシ

~3度目・311・寄せられる言葉~

 私は、自然豊かな福島県が大好きで絶対忘れません。
福島県を思う気持ちは強いです。避難生活も移住生活も孤独です。
日本の皆さんに孤独を味わいさせたくないです。
(札幌 佐川優子)


<きのこ雲>TBS系の世論調査(今日10日発表)で80%の人が震災復興がすすんでないと感じ、同じく80%の人が震災を忘れないと答えている。

3年が経過する。

福島第一原発事故3号炉の「きのこ雲(広島、長崎の原爆がもたらした巨大な雲をこう呼ぶ)」が私を叱りつけた言葉の意味を振り返ってみた。
私の平和運動は大切な人生の(使命・役割)であったと確認できる。
いまここで頑張ばらなければ私の人生の総括はできない、発症以来逃れていた、また逃れようとしていたことを自責している。
広島、長崎、福島へこの流れを、原爆→原発の流れを食い止める最後のチャンスと受け止め私にできることを模索している。

いま福島応援 on songの仲間たちと新たな展開をめざします。
(府中 佐々木公一)

東京で生活していると、福島の人々の苦しみをつい、忘れがちになってしまう。
でも、毎月11日の「福島オンソング」の活動は、私に「福島のことを忘れちゃダメ」と訴えかけてくる。
忘れることは、原発事故を許すことにつながってしまうかもしれない…と自分を戒め、参加している。
(坂本尚子)

 除染しても、汚染土を入れてある袋の寿命が5年、あとはどうなるの?
 汚染水を入れるタンクにも寿命がある、8年、あとはどうなるの?
 これから40年間、タンクが増え続けけると、どうなるの?
そして、今この瞬間も、汚染水は、ふつうに海に流れ続けている
除染をすれば、除染さえできれば、って思わせてよいのだろうか?

森の除染は不可能で、そこで堆積して濃縮されたものが、水に流れ、風に運ばれる。
だから、除染してもすぐまたもどってしまうというのに。

 風評被害だ、一度除染したから、もう安全だと、もどることをすすめ、 気になる人は、自分で放射線量を測るように、と。

これは、ちがうとおもう。

まずは、ともかく、影響をうけやすい子どもたちをどうするかを真剣に考えて欲しいし、考えたい。
でも、親に従って、そこにいなければならない子どもたちをどう守るか?
必ず定期的に、安全なところにつれだして思いっきり、土や、野山であそばせてあげる。
田植えなどの、持続的農業体験をする、とか、何とか、出来ないだろうか
(上村明子)

2014年3月11日活動報告

福島応援OnSong定期活動
日時:2014年3月11日(火)14:00~15:00
場所:フォーリス府中前
参加:20名

3度目の3月11日ということもあり、私たち以外にも東北物産展や社会福祉協議会の募金活動が行われていました。
東北物産展では特設ステージが設置され「こちらで歌っていいですよ」といわれたのですが
結局、いつもの場所で歌わせていただきました。

14:46に黙祷を捧げました
いつもは賑やかなフォーリス前が、その瞬間、時が止まったかのようでした
みんなが祈っていました

また、それとは別に3月11日だからというわけではなく、この活動が毎月11日に行われていることが定着しているように感じます。歌に必ず誰かが立ち止まってくれています。
「行けばそこに誰かがいる」会になってくれればよいと思います

寄せられた意見
・音が良くなったね。バランスが取れている

・募金をやっていると「どういう趣旨なのか」ときかれた。「福島出身者はいるの?」って聞かれて須賀川出身を伝えると「こちらは浪江です」っていって。気持ちよく募金してくれましたよ

・他の催し物も良かった。みんな問題意識を持っているんだなって感じる

・福島の原発は東京のためにある。東京人にも責任があると改めて思う

・月に一度、福島のために集まってくれていることに、福島人として感謝しています。ありがとう

・「ふるさと」に胸が詰まる。歌いづらい・・・


2014年2月11日火曜日

2014年2月11日 活動報告



福島応援OnSong定期活動
2014年2月11日(火・祝) 天気 曇り、北風
参加者:21名


・福島を訪れた時、震災の非難のため小中学校に住んでいる人がいた(と聞いた)が、この人たちが少しでも早く借りられるところ(家)があればなと思った。道はガタガタだったし、まだまだこれからだと思った。募金を役立てたい(K)

・ 今回は若い男の子が「少ないですけど」って何人も入れてくれた。「チラシもよんでね」って言ったら「読みます!当たり前です!!」って返事があった。すごく嬉しかった
・コーラスを聴いて「あの声素敵!」って募金してくれた人がいた。
・スナックのママが来てくれた。律儀な人で、来れない時はその分も次の会に募金してくれたりする。(ヒロコ)

・今回来てみて、改めて人のつながりを感じる(のぶこ)


・前回ピアニカを使ってみたが、音が小さく疲れるだけで効果があまりないみたい。
・中手さんのメッセージが良かった。阪神淡路のときの神戸の復興と全く違うことを改めて感じた。3年どころか、ずっと戻れないことが大きく違う。諦めないで、忘れないでやっていかないとね(あきこ)


・20年のオリンピックで、原発を世界中に見てもらったほうがいい!(U)

・青森の人が「俺も応援してるよ。何年経っても終らないね」って言ってくれた。
・アピールを聞いてた若い人が「福島の野菜食べてるけど、だいじょうぶかな」と心配していた。「まあ、検査されて出回っているから大丈夫だよ」って答えたけど(し)

・寒いのに人が結構集まったね。カンパも入っていた。(ゆ)

・ストリートパフォーマーとの共演がよかった。(せ)

・こんな寒い中、色んな人が今回も来てくれたのがうれしい。色んな人に合えることがとても楽しい(セツコ)

・ 2度目の参加だけど、前回と比べてパワーアップしている。(ますみ)

・福島へ見学に行こう!(ハム)


・次回3月11日は私たちも東北のモノを売るから、何かコラボできるといいとおもう
・ しばらく休んじゃってゴメンナサイ(ま)


・ツイッターもやってるんですね!ネット上でももっと盛り上げていけばいいですよ
https://twitter.com/fukuonsong

2014年2月11日活動チラシ③佐々木公一さんからのコメントです

~隠すな!嘘を言うな!~

第308号 週刊ALS患者のひとりごと  2014年1月28日号より抜粋

インドの学生の話。
「インドで聞いていた福島の状況とかなり違う。インドでは原発事故は部分的なもので福島の事故の中心地以外はなんの影響もないと聞いていた。インドは日本から原発を買おうとしているので都合のいいように報道している」息子のインドの留学生の友人から聞いた。

そのインドへ安倍総理が原発などを売りに行っている。今度も財界同行だ。大臣がセールスをしている。今東芝、日立などと膨大な下請網は数10兆円の原発関連の在庫を抱えている。1基4~5兆円の原発売らずに置くものか!その先頭に総理が立つ・・・(佐々木公一)

2014年2月11日活動チラシ②~中手さんからの寄稿です

~東京の仲間たちへ~


  東京都知事選挙の結果は、充分に驚くべきものでした。投票した都民の半数以上が、原発の再稼働を容認する候補に自分の一票を入れたのですから…。

 3.11原発震災から間もなく3年が経とうとしています。事故を起こした原発が、東京電力の物であることを知らない人はいないはずです。けれどもその原発と自分との関係は、少しずつ忘れ去られているようです。 私たち福島の被災者には、原発事故は決して忘れることのできないものです。なぜなら事故は過去のものではなく、いまも続いていることなのですから。

第一原発からは今現在、毎日毎日、何億ベクレルという放射能が空気中に新たに放出し続けられ、また汚染水となって気が遠くなるほどの放射能が海に流出しています。大地を汚染した放射能は、これから何百年もの間、福島はじめ汚染地区の人間・子どもたちを被曝させ続けます。そして汚染食品となって、流通しています。信じがたいことですが、避難者の数をこの国は数えようとしません。実際には数十万人を超えるであろう避難者が、いま正に生活が脅かされようとしています。すでに福島以外からの避難者は、この4月から住宅支援が打ち切られることが決まっています。福島からの避難者も、来年には打ち切られると言われています。

「原発の問題は様々な問題の一つに過ぎない」と、盛んにマスメディアは言い募りました。そうして知らず知らずのうちに、すべては無かったことのようにしてオリンピックを迎えたいかのようです。その時まで新たな事故が起きないという自信が、果たして彼らにはあるのでしょうか。私の眼には、狂気の沙汰としか映りません。

けれども私は希望を持ち続けています。東京人の“良心”を信じています。事故後、たくさんの東京の仲間たちが目をさまし、行動を起こし始めていることを知っています。私たちは変わらなければなりませんし、また変われるはずです。うつむく必要はありません。さあ、いよいよ今日から反撃開始です。子どもたちの未来のため、共に行動していきましょう。
(中手聖一)

2014年2月11日活動チラシ①

~歌で一休みして~

 

東京では都知事選挙が行われ「脱原発」もひとつの争点となりましたが、結果として「東京を世界一の都市に」と訴えた候補者が当選しました。

東京都民は「世界一」になることを民意として示したことになります。

その少し前に、東京電力より「福島第一原子力発電所の観測用井戸水からストロンチウム90が1リットル当たり500万ベクレル観測された」との報告が出されました。さらにそれは昨年7月には分かっていたとのことです。
ストロンチウムはカルシウムの代わりに骨と結びつきやすく、半減期は約30年です。骨に取り込まれたら30年近くそこでβ線を出し続け、周囲の細胞を傷つけます。結果として白血病や癌の原因となる危険性があるわけです。
これが井戸水から検出されたことは、現在も炉心融解は進行中であり、地盤をつきぬけ地下水の層に到達したと考えられます。

地下水は海へ流れます。

作業に当たっている人たちの足もとを流れます。

そして打つ手はあるのでしょうか。

危機的状況は日を追うにつれ深刻化しています。

都民の多くは「世界一の都市」を選び、あるいは6割以上の人は選ぶことさえしませんでした。
政治への不信感もあるでしょうし、このニュースも小さく取り上げられているにすぎず、知られずに来ているのかもしれません。
現状維持で待っていれば、今の暮らしは続けられると判断しているのかもしれません。
あるいは、すでに恐怖に取り付かれ動けなくなっているのかもしれません。

しかし、事態は進行し続けています。

危険の只中にいる人間に、冷静な判断を求めるのは難しいと思います。溺れる者は藁をも掴む。
 しかし、もしそこで立ち止まって周りを見回せたら、振り返ることが出来たら、解決の糸口がつかめるかもしれない。何か掴むものがあるかもしれない。必要なのは、落ち着く機会を作ることではないでしょうか。
ちょっと一息、ちょっと深呼吸。

福島応援OnSongは歌にその思いを託します。
知っている歌があったら一緒に口ずさんでみませんか。

2014年1月11日土曜日

2014年1月11日活動報告②

~活動報告会その後~

12月22日に開催された活動報告会は、福島応援OnSong開始からまる2年が経ち、活動の中から生まれた新しいつながりや実践を振り返る良い機会となりました。
札幌から佐川さんチーム、宍戸隆子さんが駆けつけて下さり、三多摩青年合唱団が街頭では難しい合唱を披露(この歌声に誘われて会場に来てカンパして下さった方もいらっしゃいました)したり、福島応援OnSongとともに福島を訪れた学生たちの発表があったり盛りだくさんの内容でしたが、ラストは会場の皆さん全員での歌で締めくくることができました。

盛り上がった活動報告会の後、場所を変えて懇親会を開催しました。総勢40名近い参加者が集まりましたが、その内訳は福島に関わりのある方というよりも、難病患者とその支援者、学生と教授、留学生とその友達、ご近所、民謡歌手etc…と、とてもバラエティに富んだものです。

持ち寄った手料理と笑顔の中で外国からの留学生達に宍戸さんが震災時の状況を通訳を交えて話をされていたのがとても印象的でした。

これからの世界を担う若者に、伝えなければならないことが沢山あり、それを私たちが続けていく必要があることを感じます。

肩肘張らずに、鼻歌交じりに、笑顔の中で続けていけば、楽しく長続きできるでしょう。福島応援OnSongはそれができると思います。次の機会も設けますので是非参加してみませんか。

2014年1月11日活動報告

~千日が過ぎて~


2013年12月22日(日)府中市白糸台文化センター講堂にて福島応援OnSongの活動報告会が開催されました。福島県から札幌へ自主避難された宍戸隆子さんのお話を中心に、学生たちの発表、三多摩青年合唱団の歌など盛りだくさんの内容で、盛況のうちに無事終えることができました。

しかし、宍戸さんの報告された自主避難者の現状は、震災から千日が過ぎた今でも終わるどころか新たな段階を迎えていることを伝えるものでした。震災や津波による被害があったことよりも原子力発電所の事故による核汚染が住民からふるさとを取り上げてしまったこと、子どもたちに甲状腺がんが頻発していること。にもかかわらず県民の中では「放射能」を語れないこと。千日が過ぎ「避難」という一時的な対応では済まなくなってきていること。避難者としては放射能から逃れてきているのに、核汚染の可能性が否定できないものを「食べて応援」する気持ちにはなれないこと・・・。

そして、宍戸さんは言います。「もう避難する、しないを良し悪しで語ることはできなくなってきた。福島に残る人、移住する人それぞれが、これから幸せに生きることを考えなければならない。支援で色んな物が送られてきたが、お金や物を“もらえるもの”と思ってしまうと、その時点で停まってしまう。自立できなくなってしまう。私はみんなに自立してもらいたい。」。


自立は何をもってそういうのか、中々答えの出ないテーマです。「一人で何でもできるようになることが自立というイメージがあるが、違うのではないか」との意見もあります。福島応援OnSongは難病患者やその支援者が多く関わっていて、たとえば患者さんの「そうしたいけどできない」ことにどう向かい合うか議論になることが多々あります。しかし、宍戸さんが言うように「幸せに生きることを考える」には、その人それぞれが考えて実行できる足場になるものが必要なのは確かです。

地震の後、東京電力福島第一原子力発電所が事故を起こしたために、ふるさとを追われ、住む所を失い、仕事を失い、将来の見えない、安心安全を感じられない暮らしの中に居る人が、これから幸せに生きることを考えるために必要なものを、どうやって得ていくのか。言わば、生きてゆく元気をどう呼び起こすか。福島応援OnSongの新たな課題が見えたように思えます

定期活動のおしらせ

福島応援OnSong 定期活動
日時:2014年1月11日(土) 14:00~15:00
場所:フォーリス府中前(京王線府中駅下車けやき並木沿い大国魂神社前)

飛び入り参加大歓迎です