福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2013年10月3日木曜日

スタディツアー報告

~現地で学ぶ・田中ゼミからの報告~



去る9月17日、私たちは学生10名、教員1名の計11名で、福島応援On Songの支援を受けて福島県いわき市にあるいわき病院を訪問しました。前日は大型台風が日本列島を襲ったため、本来一泊で伺うはずの福島訪問が日帰りとなりました。前日に予定された文字盤教室や、いわき自立生活センター理事長長谷川様による福島の現状を理解するためのレクチャーが開催されませんでしたが、17日の朝のスタディーツアーから予定通りのスケジュールとなりました。
スタディーツアーは、居住制限区域と避難指示解除準備区域がある富岡町まで車で向かい、津波後の街並みを確認するものでした。最初にいわき自立生活センターの利用者であった筋ジストロフィーの男性が津波の犠牲となったご自宅跡を訪れ、当時の様子を語っていただきました。奇跡的に生き残られたお義姉さまの証言を理事長に語っていただき、自宅の屋根を超える波が押し寄せるのを見た時の彼の絶望的な気持ちを慮りました。

その後津波後に火災が起こった久浜地区を訪れました。少し先にはほとんど無傷の家もあり、久浜地区だけがすっぽりとなくなってしまっている。しかし、神社の櫓だけはぽつんと真ん中に残っている。ここで暮らしてきた人々の生活を思うと、心が締め付けられるようでした。

さらに富岡町に向かって車を走らせていくと、途中に大量の黒いビニール袋が田んぼを覆い尽くしている光景が広がってきました。除染作業で出た廃棄物です。稲穂がそろそろ実ってくる時期。震災前であれば美しい緑の、そして徐々に黄金色に変わる田んぼが続いていたはずなのに。

富岡町に入ると、ここに人が暮らしていたのかと思えるような草原の中に、津波で流された車が横転し、壊れたままの新しい家があり、無人の駅がありました。民家に車が突っ込んだままになっていたりなど、二年半以上たった今でも震災当時の状態が変わっていない。やるせない気持ちでいっぱいになりました。
移動中、線量計で放射線量をはかりながら移動しました。今回の訪問は線量の高くないところだけ選んで外に出ているのですが、それでも東京の10倍程度(0.2マイクロシーベルト)と聞くと、ドキッとするし、見えないけれど、見えないだけに、恐怖感だけが自分の中で徐々に大きくなっていきました。車を降りるときの覚悟、これが毎日続いたら精神的に追い詰められてしまうと感じました。福島の人々の気持ちをほんの少しでも体験的に理解することができたのかもしれないと思っています。

予定時間を10分遅れていわき病院に到着。看護師さんたちのレクチャーと指示のもと、学生は各病棟に2~3名ずつ分かれて配置され、患者様と触れ合うことができました。10月5日の秋祭りに向け、顔を覚えたり、病院内の状況を理解するなど、大変いい時間を過ごさせていただきました。途中佐々木さんたちも病院に到着され、ようやく全員がそろってのONSONGの活動となりました。
最後に病院前で記念撮影をし、私たちはバスに乗り、駅に向かいました。バスからはいわき病院周辺の被災地域が広がり、看護師さんのレクチャーにあった病院の被災状況を慮る時間となりました。
次回は10月5日に秋祭りに参加させていただき、今年の訪問は終了となります。皆様のご支援のおかげで学生の学びが深まり、私も大変多くのことを学ばせていただいております。人間として私たちが成長する機会を与えてくださっている活動に心より感謝いたします
(田中恵美子 東京家政大学)

スタディツアー写真報告

長谷川さんが筋ジストロフィーの方のお宅を説明


長谷川さんの説明を聞く



地震・津波・火災のため荒れ野になった久浜地区
その中で残った神社




田圃を埋め尽くす除染処理後の廃棄物


富岡町市役所から見える高台、震災後、手を付けられていない立派な家



駅に向かう途中にも震災後そのままの家が


地元消防隊の車


倒れかけた電信柱の下で説明を聞く






津波の被害を受け、そのままの駅




外へ久しぶりに出かける