福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2013年7月23日火曜日

コンサートに顔を出します

「命の賛歌」チャリティーコンサート
~歌や踊りで、命の素晴らしさ、生きている喜びを~
日時:2013年8月2日(金) 開演午後1時30分(開場午後1時)
場所:府中の森芸術劇場ふるさとホール
入場券:大人1,000円、小中学生500円、障がい者・介助者500円

出演:東京ドンパン楽団・つくしんぼ合奏団・青空児童合唱団・府中紫金草合唱団・福島応援OnSong・ホットジェネレーション・再生の大地合唱団・コットンハウスフレンズ・東京CRABランナーズ・クッキングハウス・がんばっぺし大槌(販売)


福島応援OnSongは活動と現状のアピールをさせていただきます。
「花は咲く」「つぶてソング」もご一緒させていただく予定です
リハーサルの様子ですが、こんな感じで舞台に陣取ります。
みなさまのお越しをお待ちしております


7月11日活動報告

今回は福島県いわき市より自立生活センターいわき所長である長谷川さんが、現地の深刻なヘルパー不足、放射能汚染の不安についてレポートをしてくださいました



今回の写真は世田谷から駆けつけてくださいましたWさんよりいただきました。
深みのある素敵な写真をありがとうございます!

2013年7月11日木曜日

7月11日チラシ③

~若い人たちの声~

前回6月11日の街頭活動では学生達がボランティア参加をしてくれました。街角で自分たちの意見を人々にアピールすることが初めてという学生も多く、とても良い経験、勉強になったようです。学生達の感想をまとめてみました。


  • 私は最初旗を持つ係だったのですが、社会勉強のためにもチラシ配りをしてみたいと思い始め、そんな時友人が「代わろうか?」と交代してくれました。思っていたよりも、皆さん立ち止まって話を聞いてくれず少しショックでした。中には熱心に話を聞いて募金をしてくださる人もいたので勇気を出して話しかけて良かったと思います。小さいながらもしっかり歌うことが出来たのでよかったです。あっという間に一時間が過ぎてしまい、とても驚きました(3年生AK)
  • 福島の放射線について考えることや、現状を呼びかけていくことは大きな意味を成すと感じました。一人ひとりがどう動くか、どう感じるか、そしてどう行動を起こすか、きっかけを与えてくれるのが、「福島応援on Song」にはあると思いました。難病患者の被災者にとって大きな問題のヘルパーの人手不足。福島の現状を伝えていかなければいけないと感じています。(3年生YS)
  • 誰もが福島や被災地のために何かできることはないかと思っているはずです。そこに、募金という手段があるよ、と募金までの道筋をつくってくれて、町の人々も感謝しているからあんなに募金が集まったのではないかと思いました。私も被災地のために何かできることはないか、何かしてみたいと思っていました。募金は被災地支援の最も手軽な方法の1つだと思います。今までは「募金する」という手段でしか被災地支援ができませんでしたが、今回「募金を募る」という手段で支援ができたことが大変うれしかったです。(3年生MH)


震災と原発事故。将来を背負う若い人たちに、あまりにも重い課題を残してしまいました。学生達の言葉を頼もしく感じるとともに、それぞれの世代がみんなでこの問題に取り組まなければならないことを改めて感じます。若い人たちの声をこれからも定期的に伝えてゆきたいと思います。

7月11日チラシ②

~学んで改めて知る。そして考える~

さる6月4日に「そもそも放射能とは何か」をテーマに、原子力発電所の技術者でもあった「山田太郎」さんをお呼びして勉強会を開催しました。そこで語られたことは「放射能は人類が扱えるものではないとても危険なものである」という危険性の再認識でした。あまりのショックにその日だけでは参加者の意見はまとまりませんでしたが、後日まとめられた意見を以下に列挙します。


  • 「知らなければ、放射能の危険性はわからないことを実感」
  • 「現在の風潮として「現地に行くのが支援」になっているのではないか。」
  • 「被曝を気にする事で現地にいけないことがイコール見捨てる、切り離すという論点ではなく、これらを知った上でどう支援をしてゆくかを考えたい」
  • 「福島に限定しているようだけど、栃木県や群馬県だってとても線量が高い地域が出来上がってしまっている。東日本全体に放射能は散らばっている。」
  • 「子ども達は今も日光に林間学校で行っているけど大丈夫なのか。」
  • 「モニタリングポストで線量を計測しているが、地上から離れた高いところに設置されていて、子ども達の高さの値ではない。発表されているデータが正しいのか判らない。」
  • 「学生ボランティアは、学校や教員の責任の下、学生が自分の意思で決定してもらうしかない。判断するための情報や学習した結果を伝えてゆく必要がある」
  • 「高線量地域へ学生を行かせる事が放射能の容認ではないことをはっきりさせたい。」
  • 「最終的な到達点が「脱原発、原子力発電の廃止」であることを確認したい」
  • 「現地訪問だけでなく、山梨県白州町の山荘を活用したい。しかし、福島から来るとなるとかなり遠くなってしまう。東京都内に避難してきている人たちを対象に出来ないだろうか」



「知らぬが仏」で済まされるのか、都合の良いことだけ聞こえる「極楽耳」で良いのか、学ぶことの大切さを改めて思い知らされました。私たちも認識を新たにし、その上で何をしていけばいいかを考えてゆきます。勉強会は今後も開いていきますので、興味のある方は是非ご参加ください。

7月11日チラシ①

 他誌に掲載された今村栄治さん(いわき市)の報告です。昨年末に書かれたものですが、より多くの人に知ってもらうために、ご本人の許可を得てこのチラシに再掲させていただきました。(福島応援OnSong事務局)


~放射線という見えない銃弾が飛び交う町~

私は3.11以降、被災者・避難者支援活動にかかわってきた。2ヵ月後のことも予想できない流動的な情勢であるが、原発事故後の福島県の深層でいま何が起きているのか、以下報告する。

「帰還」に走り始めた行政

福島県における「復興」の掛け声は、岩手・宮城とは違った意味合いで用いられる。「さあ復興へ!」の前には「原発事故は収束した」が暗黙の了解として見え隠れする。また「風評被害の払拭」という言葉の裏側には、「大したこともなかった放射能問題に神経質になり過ぎている」という意味が張り付いている。

2011年秋に、福島県が組織した行政・一般公募の県民・研究者によるチェルノブイリ視察団が派遣された。そこで見た「原発事故で100の村が消えた」という事実は、彼らに衝撃を与えた。「避難が長期化すると、自分たちの町や村もこうなってしまう!」という恐怖の刷り込みがあったのだろう。帰国後、早期帰還の動きが始まっていった。

双葉郡の8町村のうち、南部の川内村と広野町が「避難指示解除準備区域」を解除され、町村民の帰還が「法律上」可能になった。今年9月には、これに南相馬市小高区も加わった。小高区は、福島第一原発から10数キロの距離であり、海岸線からは福島第一原発の煙突が見える。そんなところにも「立ち入って大丈夫」宣言がなされたのである。現在は、双葉郡8町村の内、福島第一原発に近い浪江・双葉・大熊・富岡町は「5年間は帰れない町」とされ、それ以外の楢葉町・広野町・川内・葛尾村は「早期帰還可能な町」と4対4に2分されつつある。「双葉郡はひとつ」の掛け声の陰では、このような亀裂が発生している。

早期帰還に走り始めた4町村で何が起きているのか。まっさきに早期帰還をぶち上げた広野町は、今年4月に役場機能をいわき市から広野町にもどした。そして9月には町立小中学校を現地で再開したのである。広野町当局は、年内に全町民の帰還を呼びかけたが、町民約5500名の内、帰還に応じたのは10%に過ぎない。避難中の広野町民に聞くと、「確かに線量は低くなったけれど、原発事故は進行中。また放射能漏れがあったらと思うと怖くて」「商店街も多くは閉まったまま。病院もひとつだけで、どう暮らしていくのか」と言う。

そして決定的なことは、戻ったら東電の賠償が打ち切られてしまう、ということだ。多くの町民は原発事故で失業している。農民は帰っても農業再開は絶望的な状況だ。それでどうやって生活していけばいいのか。東電の賠償金が唯一の収入というのが避難者の状態だ。給料が出続けている町長や町議会員、町役場職員との決定的な違いはここにある。

福島県は「2020年には避難者をゼロにする」との宣言を発した。放射能で高濃度に汚染された双葉郡を、いったいどんな魔法で人が住める町にするというのか。また県外に自主避難している県民に対し「放射能不安の解消をはかる」としている。「無用な心配をしている」との決めつけだ。放射能が人体に及ぼす影響は2~30年後にピークを迎える(子どもの甲状腺は数年)と言われている。この時間差を利用して「結局大したことなかった」論をまきちらす勢力が拡大していくことが危惧される。

「町の消滅」の危機感に囚われ、放射能汚染から目をそらそうとしている行政、賠償額を切り縮めたい東電、原発事故を小さく見せたい政府は、結託して双葉郡の町村民を早期帰還に追い立てている。一方、自分の健康と生活を考え、双葉郡の町村民はこれに「NO!」を突きつけた。ここに現
局面の矛盾が集約的に表現されている。

賠償金が生み出す「ねたみ」感情

国の避難指示によって、避難生活を送っている人には、現在東電がひとり一ヶ月10万円の賠償金を支払っている。これは、将来的に東電と被害者の間で、賠償額が合意するまでの仮払いである。一方これ以外の福島県民(東電は県南と会津地域を不当にも対象から外した)についてはひとり8万円、18歳以下の子どもと妊婦は40万円(自主避難者は60万円)を支払った。この賠償額の著しい格差が、福島県民に「ねたみ」感情を生じさせている。いわき市には、双葉郡から約23000人が避難してきている。その結果病院は混みあい、道路も渋滞している。また生活ゴミの排出量も増えている。このことと賠償額の格差が結びつき、避難者への誹謗中傷があちこちで聞かれるようになった。「今まで原発でいい思いをしてきたくせに」「賠償金でパチンコばかりしている」「何もしなくて4人家族で月40万円か。俺は汗水たらして働いても手取り15万円。いい気なもんだ」といった耳を覆いたくなるような話が聞こえてくる。不況に追い討ちをかけた震災と原発事故。生活に追われる人々にとって、原発事故避難者はストレスをぶつける対象になっている。被曝者同士が罵り合うというという悲しい現実。「絆」という言葉が虚しく響く。

国際人道支援をしているNGOのスタッフと、この話をすると「なんだかパレスチナ難民キャンプとレバノン人との関係に近いですね」と言われ、驚いた。そうかもしれない。私は最近原発事故避難者の支援を、難民キャンプ支援の枠組みで考えることも有効かな、と思い始めている。福島第一原発周辺は、放射線という「見えない銃弾」が飛び交う「紛争地帯」ととらえることができるかもしれない。ただ銃声が聞こえる範囲は、とてつもなく広い。東京でも、耳をすませば銃声が聞こえているはずなのだが。


2013年7月2日火曜日

勉強会振り返り

6月4日に行われた勉強会「そもそも放射能とは」は、改めて放射能の人体への影響が恐ろしいものであることを考えさせられるものでした。参加者もその日のうちには考えがまとまりませんでした

7月2日に勉強会の振り返りが行われたので、上がった意見をまとめてみました


知らなければ、放射能の危険性はわからないことを実感した。

確かに、あの講義を聴いて勉強してみると、福島に若い人を連れてはいけないと思う。(中高年である)私たちなら、もう問題はないんだけど。

合唱団では若い人を現地に行かせるかどうかで大議論になってしまっている。どちらも正しいんだけど、風潮に流されてしまう意見もあり、それも仕方がないことではあるが、とても歯がゆく感じる。

専門家としては、ああいう意見(「僕は行かない」)になるのだと思う。

現在の風潮として「現地に行くのが支援」になっているのではないか。

被曝を気にする事で現地にいけないことがイコール見捨てる、切り離すという論点ではなく、これらを知った上でどう支援をしてゆくかを考えたい

福島に限定しているようだけど、栃木県や群馬県だってとても線量が高い地域が出来上がってしまっている。東日本全体に放射能は散らばっている。

子ども達は今も日光に林間学校で行っているけど大丈夫なのか。

栃木県矢板に放射性廃棄物の最終処分場を作る計画がいきなり知らされて反対運動もはじまったけど、きっと役人は判っていてそういうことをするんだと思う。

モニタリングポストで線量を計測しているが、地上から離れた高いところに設置されていて、子ども達の高さの値ではない。ここからも発表されているデータが正しいのか判らなくなっている。

何が正しいかを自分たちで判断しなければならないことは良くわかったが、情報が全くない。マスコミはあてにならないことを実感する。

最終的な到達点が「脱原発、原子力発電の廃止」であることを確認したい

学生については、学校や教員の責任の下、学生が自分の意思で決定してもらうしかない。判断するための情報や学習した結果などはこちらからも伝えてゆく

高線量地域へ学生を行かせる事が放射能の容認ではないことをはっきりさせたい。