福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2014年6月11日水曜日

2014年6月11日チラシ①

~明るい未来がない~

6月3日(火)福島応援OnSong 有志で福島県いわき市にあるいわき自立生活センターといわき病院を訪問してきました。いわき自立生活センターは重い障害を持っている人が地域で市民生活を送るための事業を行っており、私たちはその中の「アライブ(生活介護事業所)」にお邪魔して皆さんと歌ってきました。
歌声と笑顔にあふれたとても素敵な時間でしたが、所長さんの話された福島の現状はとても深刻なものでした


いわきILセンターはいわき市の新興住宅地の高台にあります。この周辺は区画整備中でしたが震災後に避難者の仮設住宅が建設されました。
たくさんの仮設住宅が街の数区画にまたがって建っているのですが、とても静かでした。
「震災のあった年は、イベントなんかで賑やかだったけど、3年経ってシーンとしている。イベントもほとんどない。よく言えば普通の生活に戻ったというか、落ち着いてきたというか。でも、みんな疲れている」。

いわきILセンターの周辺は広野町から避難された方の仮設住宅がありますが広野町は「帰還宣言」が出され、昨年6月にはJRの運行も再開されています。
「国などはとにかく(避難者を)返そうとしている。今は全面帰還から部分的でも返そう、にトーンが変わってきたが、帰還に向けて突っ走っている。そのために帰る人、帰らない人、帰れない人との差もできている。お年寄りが帰るケースが多く、若い人は仕事のある所に避難や移住をしている。それまでは世代が一緒になって支えていた家族がバラバラになってしまった。病院などは結局いわきにしかないから、帰った先で、救急車を呼んだら2時間かかってしまう。病気の人は残らざるを得ない。そして、帰還宣言が出されたために補償は打ち切られ、賠償金もない。以前は自給自足で暮らしていた地域が(核汚染により)農作物を作れなくなって、野菜を買わなければならなくなったりしているのに。避難している人も、帰る人も経済的にはとてもじゃないが生活していけない。ふるさとは破壊され、居場所が一生見つからない状況においやられている。明るい未来がまったく見えない。」

仮設住宅での避難生活は人々の健康にも大きな影響を与えているとのことです。
「震災の関連死といえるような例が目立ち始めていますね。避難者の中でもILセンターを手伝いに来てくれた人がいたんですよ。道を整備してくれたりね。でも、最近亡くなりました。酒で身体をボロボロにやられていたそうです。飲まずには居られなかった。そういった例が二人居ます。」
そして、患者や障害者、高齢者の暮らしを支える介護者も不足しています。除染などで放射線量が低くなり、いわき市は福島県内でも放射線量の低い地域です。しかし、東京電力福島第一原子力発電所の事故は収束しておらず、再び事故が起きるかもしれない不安から避難する人も居ます。また、介護職の賃金は低く、他の職種に人は流れていきます。
「介護職員が全く足りません。県外から来た人に支度金とかを用意して対応しているみたいですけど、辞める数に追いつかない。今、いわきの介護事業所では二人辞めて一人入ってくる、いや、入ってくれば良い方で、今は管理者が駆り出されている状況です。新規利用はもう受けられません。 」
災害公営住宅(津波で家を失った人向け)や復興公営住宅(原発事故で家を失った人向け)など住環境の整備による生活再建にいわき市は取り組んでいますが、需要と供給のミスマッチがあり、その上に生活を支える基盤の不安定が重なり「未来が見えない」状況は続いています。今回、「アライブ」の皆さんは福島応援OnSongの面々を笑顔と歌声で迎えてくれましたが、その普段の暮らしの背景にはとてつもなく大きな課題が横たわっている事を再認識させられました。でも、そんな皆さんが「また来てね!」と手を振ってくれました。また歌いに行きます。何度でも、歌いに行きますよ。

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