福島応援

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みんなで集まってにっこりわらって

2014年11月11日火曜日

2014年11月11日チラシ①

~札幌からのたより~

原子力発電所事故による核汚染から身を守るため、多くの人々が避難をしています。しかし、避難者といっても「強制的に避難」と「自主的に避難」でその扱われ方が違います。また避難先が福島県内か、県外かでも違います。先日、福島県外の大学へ進学した避難者に対し東京電力が賠償金の返還請求をしたことがニュースとなりました。「避難者」はあの事故が無ければ故郷を追われる事はありませんでした。そして、あの事故を誰が起こしたのか。避難者にしわ寄せが行き、それどころか違いを設けられて分断されている現状を私たちは知る必要があります。富岡町から札幌へ避難された宍戸さん(昨年の報告会でもお話を伺いました。ありがとうございます)からの便りです。
 

 東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年8か月が過ぎました。福島のほとんどの場所は、もう震災の影響を観ることはできません。人間は、どんなにひどい災害からでも立ち上がる力を持っています。

しかしながら、人の行きかう駅の前、公園などには震災前には存在しなかったモニタリングポストが、その場所の放射線量を提示し続けています。地方ニュースの中でその日の放射線量を発表もしています。今も立ち入り禁止の場所、人が住んではいけない場所が設定されていて、避難生活を強いられている人たちが存在します。高放射線量の中、被曝の心配をしながらたくさんの人たちが原発事故の収束のために働いています。

まだ、原発事故は終わっていません。そして福島だけの問題でもありません。

東京都内で今年も除染が行われている場所があることを知っていますか?

福島を守れ、福島を忘れない…。本当にそれでいいのでしょうか?

あなたが手に取ったその野菜は安全ですか?

子どもたちが遊ぶ公園は安全ですか?

福島を見つめることは、自分自身の生活を見つめなおすことです。

どうか、この原発事故をご自身のこととして考えてください。

私は福島を離れ、いま北海道で生活しています。

事故当時、私が住んでいた場所には、今もたくさんの人が皆さんと同じように普通の生活をしています。私が生まれ育った町は、今も避難指示がでたままです。

当たり前の生活が失われるということはどういうことかを皆さんと一緒に考えていきたいのです。(福島から札幌へ避難。宍戸 隆子)

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