福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2016年4月11日月曜日

2016年4月11日街頭活動チラシ③

人間は自らが否定されている事に対して防衛的になるが肯定されていることに対しては受け入れるようになるという話を聞いて、なるほどと感じました。

子どもに対しても「ダメだ」と叱るより褒めて伸ばすほうが効果的であることを思い出しました。

わたしたちの運動も「許さない」「NO!」というよりも「こうしたい!」「こうすると楽しい」(「どうしてできないの?」)と言ったほうが効果的なのかな。

ならば、希望と喜びをみんなに伝えて行こう。怒りは大切だとしても(編)

2016年4月11日定期活動チラシ②

~いわきからのメッセージ~

いわき自立生活センターの長谷川さん、そして福島市から札幌へ自主避難された難病ALS患者の佐川さんより3.11のメッセージをいただきました。一月遅れではありますが、ここに掲載させていただきます。福島応援OnSongへのエールもいただきました。有難うございます

早いもので、あの日から5年の月日が過ぎようとしています。
2万人もの人々の命を奪った地震・津波。そして今なお10万人もの人々が避難生活を強いられている東京電力福島第一原発の事故。
福島は、この2つの被災者を抱え、厳しい復興の道を歩んでいます。
 

3.11を前にして、テレビで原発事故の特集が組まれていますが、「原発問題では、視聴率が取れない」のだそうです。多くの国民は、原発事故を「過去のもの」として、忘れ去りたいのでしょうか?
でも、日本全国に(正確に言えば沖縄を除いて)原発があちこちにあり、皆「原発周辺住民」であることに目を向けてください。福島で起きたことは、明日は我が身かもしれません。
 

原発事故は、福島の人口減少に拍車を掛けました。とりわけ若い世代に、それは顕著に表れています。その結果、介護職員の不足が深刻化しています。日常的に、トイレや食事などの介助が必要な、重度の障がい者の生活が、危機的状態になっています。南相馬市社会福祉協議会のヘルパーステーションは、一人のヘルパーが、1日10軒の障がい者宅に介助で訪れるケースも出てきているそうです。
 

必死でがんばっているヘルパーの健康が心配です。
福島応援ONソングの皆さんは、毎月11日にこの場所で、被災地への募金活動を行ってきたそうです。猛暑の夏も、凍てつく冬も、雨の日も、風の日もこの場所に立ち続け、募金を訴えられてきたことに、本当に頭が下がる思いです。ありがとうございました。
都民の皆さん、これからも、東北の3.11被災者へのご支援を、よろしくお願いします。



 





「佐川優子です
札幌でも、311の行事があります。私は、やっと環境に慣れました。テレビニュースで放送していますが避難者に対しては、福島県が住宅支援を打ち切ります。来年は、部屋を出るか高額の家賃を覚悟しなければならない。テレビで~あの日私は~番組を見ます。テレビでの放送は、現実に起こったことです。佐川は、緊急避難は避けられた。幸せです。今後を考えますと不安が大きいです。」

2016年4月11日街頭活動チラシ①

~選んで、決める。~


福島応援OnSongは街頭活動のたびにチラシを配布しています。
受け取ってくださる皆さまへの感謝の気持ちと、この活動を通して知ったこと、伝えたいこと、現地の声を掲載し、発行した回数は通し番号としてチラシ右上に記されています(福島応援OnSongの活動は街頭以外でも行っているので、実際の活動回数はこの数に3が足されます)。

毎回150部ほどを配布していますが、常に不足するようになりました。
街頭で活動している私たちに、何らかの興味や関心を持ってチラシを受け取ることを選んでくれた人がそれだけいることだと考えています。目の前に差し出されたものを受け取るのも、拒むのもその人の自由です。むしろ、選択が出来ることこそ自由だということもできるでしょう。

今年の4月1日より電力の自由化が始まりました。

わたし達の暮らしは電気なしでは成り立たちません。
その電気を選べるようになるのです。

東京の電気を作るために福島の原子力発電所は存在し、先の震災で引き起こされた原発事故は東京から離れた福島の人々の暮らしを破壊し今に至っています。
 東京に住む私たちにとって決して無関係ではいられない話です。

この話に胸を痛めている人もいるはずですが、もしも、原子力発電所由来の電気を使わずに済むのであればどうなるのでしょうか(もっとも昨年まで原発ゼロで電気は足りていましたが)。
福島の人々への思いを、自らの反省を、電気を使いながら表すことが出来るのではないでしょうか。

電力の自由化はその可能性を秘めているように思えます。

原発由来の電気を使わない選択が出来るようになれば、東京に住む人々の選択が原発に対する評価として示すことが可能になります。




もちろん、この話には裏があります。

送電線は依然として東京電力がもっており、その使用料を新電力から取ることができます。
新電力の利用料に送電線の使用料も含まれる以上、東京電力=原発に金は流れます。

また、電源構成には表示義務がありません(なぜでしょうね?)。

選択は出来るといって、どちらを選んでも同じであるならば、そこに選択の自由はあるのでしょうか。

しかし、もしも原発の電気の売れ行きが悪くなれば、そうでない電気の商品価値が上がる可能性が出てくるのが市場原理です。

選ぶことが、世の中を動かすのではないでしょうか。

また電気が必須の生活のうえでは「どちらも同じだから“選ばない”」わけにも行きません。

選んでゆく、決めてゆくことが私たちに求められています。

近く行われるであろう選挙もそうです。
情勢は困難を極め、情報は統制され、切羽詰った暮らしの中で考える余裕も無い中で、さらに重大な選択と決断をしなければならないわけですが、必要な事は「知る」ことです。
一人で難しいなら二人で、二人で難しいなら三人で、みんなで。知ること、考えること、伝えること。

出来るなら楽しくやりたい。私たちは、選ぶことが出来る。決めることが出来る。