福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2014年7月11日金曜日

2014年7月11日活動報告



2014年7月11日(金)福島応援OnSong定期活動

日時:2014年7月11日 14:00~15:00 天気 晴
参加者:25名

台風の影響が心配されましたが、台風は抜けてとても暑い日でした。
福岡さんの「福島の声」報告を中心に、夏のうたや尺八の飛び入り、原発紙芝居で盛り上がりました。
初めて参加されたKさんは「次回、東京新聞に掲載された福島の詩を紹介したい」と話されています。
また、札幌より8月か9月に参加しますとの連絡があったとのことです。
今回よりリクエストコーナーを設けましたが、もっと大きく扱ってもいいのではないかという意見も出されました。

次回が楽しみですね。皆様、お疲れ様でした。これからもよろしくお願いします

寄せられた意見(反省会より)
・    久しぶりに参加した。NHKのクローズアップ現代で国谷アナが泣かされた事(集団的自衛権について菅官房長官へのインタビュー)にとても腹が立って、歌でも歌ってやろう!と思ってきた。NHKすら信頼できない、民放のほうがマシな世の中。福島応援OnSongのみんなの顔を見てほっとした。
・    今回も大口の募金があった。一口3000円と5000円!
・    リクエスト受付コーナーをもっと大々的に!
・    フォーリスの店の中で聞いてくれている人がいた。歌に合わせて身体で調子をとっているのが見えた。
・    寄付金の使い道について聞かれた。福島の人間がやっているのか?どういう団体なのか?興味を持ってくれるのはありがたい。
・    「この暑いのに本当にご苦労様」と千円を入れてくれる人がいた
・    チラシを受け取ったあと、けやきの木の下でずっと聞いてくれる人がいた
・    募金が2万円以上もあつまったのは、みんなの気持ちだと思う。みんな、福島の事を心の中で思っている証拠じゃないか。

次回もよろしくお願いします
(レポート作成:福島応援OnSong事務局)

2014年7月11日チラシ

~被災地の声~

ブログ「福島の現実―福岡百子の声」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。事務局にはインターネットに接続できない方から「こういった情報をもっと知らせてほしい。」との声も寄せられました

①福島県内で被災者支援に関わる被災者の方のお話
「最近、石原伸晃環境相が“金目”の失言をしました。その影響は大きく、福島の多くの被災者が、“あなたたちの目的はお金だろう、金目当てだろう”という目で見られるようになったと感じています。“私たちは、そんなことではない。原発被害がもたらした様々な精神的苦悩、生活の苦悩を早く解決して、元のような生活に私たちを戻してください”という私たち被災者の心の叫びは顧みられることはありません。石原環境相の失言以来、周りの視線が冷たくなったため外に出て行けず、家にこもる被災者が多くなりました。とても悲しいことです。早く私たちを元の生活に戻す努力をしてください、と言いたいです。」


②浪江町 津波で母・妻・息子・孫を亡くされ、自宅・工場を流され、すべてを失い、1人でアパートに住んで居られる74歳の男性
「息子に家を建てるために1200万円あげた。新築して、2ヶ月で流されてしまった。」
彼は時々、私宅に電話を下さいます。言葉は一言、二言です。辛い核心には触れません。ただ私の名を呼び、「会いたいよ~」とだけです。私はこの言葉の奥にある、魂の叫びを感じます。不安、寂しさ、孤独、恐怖…。彼はいまだ2011年3月で止まっているのだと思います。現実を直視する勇気はいまだないのだと思います。毎日をどうにか生きているだけ。「淋しくてたまらないよ~!」との魂の叫び。誰も受けとめてくれる方はいないのかもしれません。こんな方に、頑張れ、とは言えません。これからの将来のことなど語れません。おそらく、あの日の悪夢に毎晩うなされながら、毎日を必死で耐えている、それが現状ではないでしょうか? これが多くの被災者の現実ではないでしょうか?


③川内村 73歳の女性。母93歳、夫75歳、農家
「村にはファミリーマート1軒、自営業の小さい店1軒しかありません。食糧、生活用品を求めて、車で1時間半かけて船引まで買い物に行きます。母は要介護、夫は田畑。私は5月に貧血で倒れ、あばら骨を2本折りました。台所をする人がいないので、私がしています。放射能汚染のことは不安です。しかし野菜は買えば高い。だから自分たちで作った物を食べています。少しずつ。」農家の方は国民年金以外に収入はありません。経済状況は大変と思います。川内村は2012年8月で賠償金がストップしましたから。


④楢葉町 仮設住宅の70代の自治会長。母88歳、妻70代
「母は要介護です。楢葉は20キロ圏内で帰れる唯一の所です。帰還宣言はまだされてはいません。しかし荒れた田畑を放っておくと、将来使えなくなります。だから時々帰っては田畑の土おこしをしています。自宅は臭くて入れない。屋根瓦が落ちて雨漏りがし、カビが生えている。泥棒も入った。小動物も入り、家は住める状態ではない。」


⑤葛尾村 借り上げ住宅の60代男性
「原発に関する情報は、福島県内では少なくなった。同じ朝日新聞でも、そちらでは大きく取り上げられても、福島の新聞はわずかな紙面しか割かない。情報を知りたくて、パソコンを始めた。ところが、原発に関すること、国に逆らう内容になると、すぐに画面が黒くなる。最初に出たときに早くコピーしておかないと、次に見ようとしても消されている。選挙の時になると、もっと酷い。福島県内の情報は操作されている。中国どころじゃない。」

皆様、これが福島の方々の現実の姿です。ご自分の身に置き換えて考えてみてはいただけませんでしょうか? 私も身近な友の中に、夫を亡くした方、妻を亡くした方が居られ、七回忌を過ぎてもなお悲しみから立ち直れない人も知っております。愛する人を失った方にとっては、年月は関係なく、心の癒しにも時間がかかるものです。想像を絶する恐怖の日々を送った被災者、地獄を毎日体験した彼らには、それを簡単に乗り越えることはできないでしょうし、あの日の恐ろしさは生涯、心と体に染みついて離れることはないのではないでしょうか? 人は、自分を受けとめてくれる理解者、苦悩を拒否することなく、まるまる自分を愛し、苦悩を共有して寄り添ってくださる方によって、初めて心癒され、傷が癒され、心が解放され、そうして初めて前向きに歩めるようになるのではないでしょうか? 人間は誰しも弱いものです。思っている以上に弱いものです。簡単なことで傷つき、倒れるものです。ご自分の体験からもおわかりになられるでしょう。人間はどんな人も一緒です。

どうぞ皆様、被災者に手を差し伸べてください。あなたの小さな親切で、心病んで居られる被災者を1人でもお救いください。よろしくお願い申し上げます。
ここに載せ切れなかった、被災した方の切実な声が伝えられています。ご一読ください。
福島の現実-福岡百子の声 momfukuoka.exblog.jp