福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2014年10月22日水曜日

2014年10月27日勉強会のおしらせ

福島応援OnSongでちょっとした学習会を開催します
皆様のお越しをお待ちしております

学習会「いま福島の人々は」
日時:2014年10月27日(月)18:30~20:00
場所:府中市住吉文化センター講堂(京王線中河原駅下車徒歩5分)
講師:伊藤龍也(原発問題住民運動全国連絡センター代表委員)
主催:福島応援OnSong

2014年10月12日日曜日

2014年10月11日定期活動レポート

2014年10月11日(土) 天候晴れ

三多摩青年合唱団の有志の方を中心に

歌や詩の朗読、原発紙芝居も披露され大盛り上がりでした

参加された皆さま、お疲れ様でした




2014年10月11日定期活動チラシ④

~広島水害への義捐金を振り込んできました~

今年の8月20日、豪雨により広島市安佐南区・安佐北区などで発生した土砂災害は、死者74名の大きな被害を出しました。
福島応援OnSongでは9月の街頭活動にて福島応援の募金活動のほかに、広島水害義捐金を集めました。
 
たくさんのご協力いただきました。

義捐金は日本ALS協会広島県支部へ送りました。

ありがとうございました

2014年10月11日定期活動チラシ

~ひとりの善意では足りない。でも、~

福島応援OnSongが街頭で活動を始めて4年になります。風化をさせないように、継続は力なりと続けてきました。核汚染のもとである放射性物質の半減期が長期間にわたることから、息の長い活動になると思います。4年経って何がどう変わったかを問われれば、むしろ、事故を忘れ去ろう、無かった事にしようとする世の中の動きがあり、私たちも知らずのうちに流されそうになります。しかし、この4年で私たちは様々な繋がりと声にふれあう事ができました。活動に参加した人の声を集めてみました

・    募金が結構あるけれど、「福島の人に何かしたい」っていう心の現われなのかな?
・    若い人や子どもにも広げたい
・    話をしていく人が結構いる。中には「社長さん」とか偉い人もいるみたい
・    旗を持ってそこに立つだけで、良かったなと感じる。音楽があるといろんな参加が出来る。
・    なんか「学べた」と言う気分。いい気分です
・    参加してたら懐かしい顔に会えたのがうれしい
・    だんだん認知度が上がっているんだと思う
・    自分たちも楽しく参加している。それが人助けにつながるなら良いことだ
・    善意はひとりだけだと小さいし足りないかもしれないけど、みんなが集まると大きいパワーになる

皆さんもぜひご一緒しましょう。毎月11日、フォーリス府中前でお待ちしています

2014年10月11日定期活動チラシ②

~被災者の声~

ブログ「福島の現実―福岡百子の声」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。インターネットに接続できない方から「こういった情報をもっと知らせてほしい。」との声が寄せられています。

楢葉町、独り暮らし、53歳男性
「仮設に住んでいられない、と言って、80歳のおばあちゃんが投身自殺をしてしまった。走って行って、30mの崖下に身投げしてしまったのよ。80歳のおばあちゃんだよ。40代の人もドアノブに紐で首吊って死んでいたんだ。多いんだよ、自殺者が。」
「被災者の間では、同じ仮設にいても、コミュニケーションが無くなった。みんな人が変わってしまったよ。昔のように声を掛け合ってお茶を飲んだり、隣の人を気遣う気持ちが無くなってしまった。みんな鬱的になってしまった。」
「周りの人は、我々被災者をゴミと思っている。電力の金で生きていると思っている。我々が避難してきたために、土地代は上がり、アパートも無くなり、病院も混むようになった。地元の人の気持ちもわからないではない。」

南相馬、夫婦2人暮らし、70代男性
「私は津波で流されました。しかし原発から33kmの所です。同じ南相馬でも、30kmまでは東電の賠償金が出るが、30km以上は東電とは関係ないと言って、一時金が津波の人に出ただけです。原発以外の被災者の事も、国は考えて欲しい。我々は生活に困窮しているのだから。」
「総理も大臣も、原発の所には行く。しかし我々の仮設には誰も来ない。1人も来ない。」
「原発事故当時、被曝を恐れ、福島に支援隊やボランティアは来なかった。国は支援者に入ってはならないと言った。しかし我々がそこに住むことについては、国は拒否しなかった。そこに住んでいた我々には、支援物資が本当に無かった。無情と思う。福島には本当に支援が無かった。」(今でも福島の被災者は、生活消耗品、食品の支援を必要としています。)
「今度、仮設に入居させるときは、部落毎にまとめて欲しい。今のように1つの仮設にいろんな部落の人が入居していると、何をするにも心を1つにすることが難しい。お祭りも部落によって異なる。同じ部落同士だと、互いに顔も知っているし、孤独になることがない。病気になれば支え合い、助け合うことができる。しかし今はそれをしたくても、個人情報だから首をつっこむなと言われ、自治会長であったとしても助けることができない。このことは、仮設入居の際に行政に申し上げたが、聞いてはもらえなかった。」


ここに載せ切れなかった、被災した方の切実な声が伝えられています。ご一読ください。

福島の現実-福岡百子の声 momfukuoka.exblog.jp

2014年10月11日定期活動チラシ①

~沖縄からのメッセージ~

福島応援OnSongは、いろんな気持ちが集まってここまで続いています。毎回街頭で素敵な歌声を聞かせてくれた島袋さんからメッセージが届きました。

私は今年8月から沖縄にいます。故郷に帰りました。
私はon song の活動が始まってから沖縄に帰るまで合唱団の有志と一緒にほぼ毎回参加して来ました。
ひと月の中のたった1日のたった1時間の中で皆と歌を歌うというささやかな行動でしたが「続ける」と言う事が私にとって意味のある事でした。
この行動を始めた佐々木公一さんに心を動かされた事が参加する背中を押してくれました。

私は震災から3ヶ月経った6月東北に行きました。
震災当日体験した地震の恐怖、TVから流れる現実とは思えない映像、そして福島原発事故、何が何だか解らない言葉の洪水。
計画停電で街が真っ暗になった瞬間に道を歩いている自分、スーパーに物がなくなり見た事もない光景でした。震災後ひと月位毎朝起きてニュースをみると涙が出て暫く泣いており、また胃が痛い状況が続きました。自分の目で見ておかなければいけないと思いました。

行く先々で目にする景色、におい、全てが衝撃でした。
福島には物理的にも近づく事は出来ませんでした。

あれから…と語る言葉は震災、原発事故を過去の事としているように感じてしまいます。
福島原発事故の今はどうなっているのでしょう。
被災した方々の心を、現実を想像します。
全て共有は出来ませんがせめてあの時の気持ちを忘れない為にささやかでも意思表示をする場がon song でした。

沖縄から福島は遠いです。
しかしここでも支援行動は目にします。
久米島には福島の子どもたちの一時避難施設があり活動を続けています。

皆さんは沖縄の辺野古、高江を知っていますか。
辺野古の美しい海に軍事基地を作らないで、ジュゴンを守って、と訴え座り込み(当初は24時間)は2004年4月から始まり10年目。
高江のヤンバルの豊かな森にオスプレイのヘリパットを作らないで!と24時間座り込みを始めたのは7年前。

私たちには知らない事が一杯あります。
知らない事に出会ったら知る努力をしたいものです。
もし辺野古、高江と言う文字、言葉に出会ったら立止まってみて下さい。

立止まる機会をon song は毎月ここ府中で発信しています。私は沖縄から11日の皆様の行動に想像の翼を広げて参加しています。
島袋美恵子