福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2015年5月11日月曜日

2015年5月11日街頭活動チラシ③




福島応援OnSongは、福島の詩人和合亮一さんの詩に新実徳栄さんが曲をつけた「つぶてソング」を歌ってきました。

4年間の活動を通じ、知ること、知らせることの大切さを感じています。しかし物事を知って、現実に向き合うことはとても大変なことです。そして、知れば知るほど問題は根深いことに気づかされます。

つらく苦しいだけではつまらない。だから歌います。歌に心安らぎ、歌に励まされ、歌とともに現実を乗り越えてゆく。そして歌声が新しい仲間をつないでいきます。リクエストをお寄せください。そして、次の機会にはその歌をみんなで歌いましょう。リクエスト大募集です。

2015年5月11日街頭活動チラシ②




~福島原発被災者の抱える問題~


福岡百子さんがまとめたものです。http://momfukuoka.exblog.jp/

①福島原発被災者は、住民票を移動すると、「被災者」としての扱いをされなくなり、賠償請求もできず、被災者としての恩典は無くなります(医療費、家賃、諸税金)。残してきた土地(田畑・宅地・山林)、家、家財、財産すべての賠償請求もできなくなります。



②住民票を移動できないために、避難先・移住先の住民とはなれず、住民としての保証や権利も得られず、就職も難しいです。(浪江町の馬場町長は、「福島原発被災者には特別に“住民票に代わるもの”を」と以前から国に願っていますが、国からの回答は無いとのことです。)



③原発被災者は、避難する理由も告げられないままに、すぐに自宅に帰れると思って着の身着のままで避難しました。原発被災者は、原発事故ゆえに家族(親子や夫婦)が分断され、事故さえなければ住める家にも帰れず(新築したばかりの人にはローンだけが残り)、残してきた家屋敷・田畑・先祖代々の山林・全財産への保障も賠償もしてもらえず、失ったものの対価としては考えられないほどの安価で国から押し切られてしまっています。なんと先祖代々守ってきた山林が「一坪10円」とは、被災者をあまりにも馬鹿にした話だと私は感じます。しかもこの賠償額は、国の賠償委員会が決めるということです。



④「2年もてば良い」とのマニュアルで建てた仮設住宅は、当時、数を必要とし、住宅建築が専門外の会社もマニュアルに基づいて仮設住宅を建てました。そのためか、当初から建築に種々の問題(隙間風、床、湿気など)があり、被災者の皆様は苦しんでいました。そして、隣の音が丸聞こえの薄い壁、四畳半の部屋に所により2人または3人、考えただけでも息が詰まりそうな、ストレスが溜まりそうな所に、今も住み続け、いまだ3年も住み続けなければならない部落もあります。“仮設にいただけで狂いそうになる”という人もいます。当然と思います。



⑤今、国の方針は、“原発被災者を元の地に返す”ということです。そこは放射線量が高く、十分な除染も行われず、店も病院も無く、将来人が生活できるかどうかわからない所にです。若者は帰りません。帰ったとしても、年寄だけです。被災者は言います。“若者が帰らないなら、将来は無人の村・町になります。津波被災者には住宅が必要ですが、国は帰村・帰町させるつもりの所に、いまだ復興住宅を作っておりません。”さらに言えば、もはや住めないほどに自宅が荒れ果てた被災者のためにも、修繕のための十分な保障か、復興住宅がではないでしょうか。



⑥国は強引です。専門家が放射能のリスクの可能性を示そうとしても、国に聞く耳は無いそうです。すでに広野町、川内村、都路町、南相馬(小高区を除いて)は、避難指示解除になりました。今、楢葉町が解除方向にあります。楢葉町の方から聞きました。「4月6日~7月5日まで、長期宿泊令が出ました。町民には何の話も無く、突然、町長に“こうだ”と言ってくるようです。そして国の責任を町長に押し付ける感じです。」避難指示解除宣言は、順次、楢葉町、飯舘村、葛尾村、そしてやがて浪江町、富岡町の一部、大熊町、いつの日か双葉町へと出されるようです(大熊町や双葉町は30年後と言われています)。



⑦被災者は、「“被災者の土地は被災者ですべて管理するように”と国から言われました」と言います。

「すべて“自己管理せよ”というのです。4年間放置した土地は荒れ、田は太い竹の林のようになりました。自宅の台所には竹が生え、家の中にはきのこが生えています。庭にはイノシシがたくさんの穴を掘っています。イノシシは狂暴化して、怖くて一人では自宅にいられません。タンスの中はネズミの糞だらけです。このままでは住めません。すべての家財を処分しました。しかし家を建て替えるだけのお金もありません。」



⑧避難指示解除宣言されると、被災者扱いではなくなります。それは、被災者が、私たち一般国民と同じ扱いになるということです。精神的賠償金として被災者に支払われていた1人月額10万円は止まり、医療費・家賃・諸税金等の免除もなくなり、被災者としての免除はすべて無くなるとのことです。光熱費は最初から(2011年から)免除されていませんでした。家族が多く、仮設住宅を3戸借りた人は、3戸分の電気代(3戸分の基本料も)を支払わされました。



⑨「被災者の土地は被災者ですべて管理せよ」という国の命令は、福島被災者を故郷から離れられなくしています。彼らは言います。「30年後に、もしかして子どもたちが帰るかもしれない。そのためには先祖の土地を荒れ地にしてはならない。だから片道2時間かかっても、田畑を耕しておかないと、本当に使えなくなるので、将来の子どもたちのために、田畑を耕しに週1回は帰るのです。この間までは、国からの指示で1時間しか働けなかった。今は3時間働ける」と。



⑩“すべて自己管理せよ”と言われた原発被災者は、福島から離れられないのです。遠くに避難したくても、新しい住居を安全な所に求めたくても、移住したくても。お金もつてもありません。




⑪国から見捨てられた、とわかった福島被災者の多くは、今、絶望的になり、会話も無くなり、「どうしてよいかわからない」と言います。そして、「あなたたちは東電からもらう多額のお金で生きている」という周囲からの冷たい視線に怯え、そうした誤解をじっと耐えています。皆様、原発被災者は心に深い傷を負っています。孤独です。悲しみを癒せないでいます。

2015年5月11日街頭活動チラシ①




~応援し続ける気持ち~




もともと長期戦になるとは思っていた。阪神淡路だって20年かかっているし、どの「復興」をみてもそうだと思う。そして、20年経ったって本当に復興したのかどうかもわからない。そう考えてみると「たかが4年」です。福島応援については、なんと言うか”想い”が自分を動かしている感じです。きっとみんな一人ひとり違う”想い”を持っていると思う。自分ができること、役に立てることをしながら、自分の苦しさも振り返りながら、「続ける」しかない。少しづつでいいからね。(野澤幸三さん)



2011年暮れから街頭に立っています。今では「まだやっているの?」という声も聞かれるようになりましたが、原発事故で避難していて帰りたい気持ちはあるけど、放射能がこわいという気持ちもある中でゆれている人たちが居て、それなのに国は帰れ帰れといっている。全然だめな状態じゃないですか。そんな中で福島県出身の私としては、何か役に立てることをしたいと思って募金活動をしています(鈴木宏子さん)