福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2013年5月11日土曜日

5月11日 活動レポート

5月11日(土)は土曜日ということもあって、「若い人に何かアピールできるものを」と力を入れていましたが、何と無情の雨!。「15分くらいやってみて、雨がひどいようなら止めましょう」と集まったメンバーは話していましたが、始まってみれば、5月9日のいわき市訪問をみなさまにお伝えしたい気持ち、そして駆けつけてくれたゲスト「エスブラッド」のお二人の熱気にいつの間にか1時間がすぎていました。
「福島応援onsong」~5月11日プログラム~ ①歌(春の歌)とあいさつ ②福島県いわき市報告 ③ゲスト公演④福島県いわき市報告その2 ⑤歌と閉会のあいさつ  司会:米谷俊介 音楽:上村明子 ゲスト「エスブラッド」 三多摩青年合唱団有志  次回は6月11日(火) 佐川さんチームが札幌からいらっしゃるほか、東京家政大学田中ゼミも合流予定です(事務局)

6月4日勉強会のお知らせ

勉強会のお知らせ


いわき市を訪れて感じた事、そしてILセンターの長谷川さんもおっしゃっていましたが、放射線量はそれほど高くはありません。
また流通する食品も「福島県内では全品検査をしてますし、検出されたらその店には誰も行かなくなるので店側もそれこそ必死です。むしろ、東京で流通しているモノのほうが心配かもしれない(注:放射能は福島県だけでなく東日本全域に降っています)」とのことです。

しかし、いわき市からですら7800人が他県へ自主避難をしており、
長谷川さんも「山のほうは線量高いし、双葉のほうに行けば一気に20倍とか30倍とか出ちゃう。基準になる数値を設定して、積算線量計を見ながら、リスク覚悟のボランティア活動になる」といわれています。

福島応援OnSongは介護ボランティアを送ることを計画していますが、安全を確保し、その中で出来ることを考えて行く必要があります。

放射能について学んで、何ができるかを考える必要があるといえます。

そこで、勉強会を開催いたします。お問い合わせ、お申し込みは事務局まで。

福島応援OnSong勉強会「山田太郎氏(「原発紙芝居」作者)を招いて」
日時:平成25年6月4日(火) 18:00から
場所:住吉文化センター講堂 費用:500円

5月11日チラシ③

~「北の旅人」が聞きたい~

いわき訪問のもうひとつの目的、国立いわき病院に入院しているALS患者のお見舞いに行ったときの事です。

前回訪れた時、呼吸器を装着したばかりで悲嘆にくれていたSさんが私たちの急な訪問にも関わらず笑顔で迎えてくださいました。
落ち着いてはきているものの自宅に戻ることは出来ないとのことでしたが、福島応援OnSongで歌の応援をしていて、何かリクエストはありませんかとたずねたところ、文字盤で即座に「(きたのたびびと)!」と応えてくださいました。
ご家族によると「カラオケが好きだったからねえ。いつも歌っていたんですよ!」「(ゆうじろうの!)」「そうそう、石原裕次郎ね」。病室に和やかな空気が流れました。

また、ILセンターいわきでも「鐘のなる丘」を歌ってくることが出来ました。介護ヘルパー派遣のほか、歌を届けに、福島応援OnSongはこれからも福島を訪れてゆきたいと思います。

5月11日チラシ②

~難病患者が被災するということ~


介護の必要な人はどうしてもベッドが必要です。しかし、避難所はベッドがありませんでした。
トイレもバリアフリーではなく「トイレの心配から水を我慢して2週間の避難所生活を過ごした」との話がありました。

また、福島第一原発の水素爆発のあった3月16日はヘルパーも医者もいなくなってしまい連絡すらなかったケースがあったこと、そしてその中で家族すらいなくなり「置き去り」になっていたケースがあったとのことです。

自宅に戻ったとしても、暮らしを支えてくれるヘルパーがまったく足りません。「求人を出しても施設には来るんですが、ヘルパーには全く来ない。手が打てない。もう展望がもてない。
自宅療養でヘルパーがいなくなったら病院に戻るしかないが、受け皿になる病院のあるいわき地域はまだいいんです。どこでも面倒を見られなくなった地域では家族が全て負担しているところがある。」

そして、状況はすぐに好転するわけでは有りません。
「東京はまだいいですよ。介護の仕事を志す若者が集まってくる。それこそね、ヘルパーを小学生、中学生の頃から育成していかなければならないんじゃないか。なりたい職業のベスト5に入るくらいの知名度にしなきゃ」。
前出のILセンター長谷川さんが嘆きます。なり手が無く、ただでさえ少ないヘルパーも震災によっていなくなってしまう中、病院にもいけなくなり取り残される患者と家族がそこあります。東日本大震災の後、各自治体で防災会議が持たれていますが、ぜひともこの現状を学ぶ必要があると感じます。

5月11日チラシ①

~被災者の苦難は全く終わっていない~ 
2013年5月8日。福島応援OnSong有志で福島県いわき市にあるIL(自立生活)センターいわきを訪問し、いわき市の現状と何が求められているかを伺ってきました。

いわき市は33万人の人口を抱え、面積の広大な町です。「センターの利用者さんを送迎するのに片道30kmですよ」とで迎えてくれたILセンターの担当者が笑います。
ILセンターの周囲には仮設住宅がたくさん立ち並んでいました。主に双葉郡から、あわせて24000人が避難してきているとのことです。

33万人の地方都市に24000人が来ることで、医療や介護は供給不足となり市民と避難者の対立のタネになりかねない状況がつづいています。避難者は立ち入り制限が解除されても戻る人は一割程度とのことです。
背景として線量が低くなっていても原発の事故が収束せず「いつ、『また』があるかもしれない」不安があること、そして戻っても商店や病院など生活するための資源が乏しいこと(救急車を呼んでも2時間かかる)、高齢だったり体力が無かったりして戻れない人、そして賠償金も「財物補償ですから、ローンの残っている家はローンでお金が消えてしまう。古い家は補償金が低い。もらった全額が残ることはないし、残った金がたとえば200万あったとして新しい家が建てられますか?所得補償は低すぎます」。

また東京電力の慰謝料は避難が解除されれば出なくなりますが、その慰謝料が元となり福島県民同士がいがみ合う構造も徐々に現れてきているとのことです。

たくさん立ち並んだ仮設住宅にしかし、人影はまばらでした。「みんな引きこもっているみたいでね。お年寄りなんかそれで更に足腰が弱くなっちゃうし。」ふるさとを奪われ、いつ帰る事が出来るかもみえないまま、摩擦を避け閉じこもっている日々。

「震災から1年くらいは、全国から支援が届いたり、イベントをたくさんやったんだけど、徐々に人も減ってきてね、もういいかな、ってやらなくなった。」しかし、現在も避難者の苦難は全く終わっていません。