福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2012年12月12日水曜日

12月11日活動報告


日時:12月11日 14:00~15:00
場所:府中フォーリス前
天候:晴れのち曇り

~プログラム~
①歌とあいさつ
②福島の声、千代紙運動アピール
③原発紙芝居
④文字盤キャラバン報告、2月11日講演会報告、福島の声
⑤歌(三多摩青年合唱団有志)つぶてソングより「放射能」「あなたはどこに」
⑥原発紙芝居、千代紙運動アピール
⑦歌と閉会のあいさつ

歌:たきび、冬の星座、青い空は、つぶてソング(「放射能」「あなたはどこに」)、見上げてごらん夜の星を、一人の手、上を向いて歩こう、ふるさと

参加者
佐々木チーム:3名
佐川チーム:4名
三多摩青年合唱団:1名
一般参加:3名
スタッフ:4名
特別参加:実習生総勢8人

多くの募金もありました!ありがとうございます

2012年12月11日火曜日

12月11日チラシ②


これからの予定

これまでわたし達は街頭での応援のほか、福島の病院を訪問し集まった色紙を届けたり、転地療養のために山梨での「プチ移住」を試みる等の活動を重ねてきました。今後の活動予定です。

文字盤キャラバン

現在の医学では治療が難しい難病であっても、制度を使い、体制を整えることで住み慣れた場所で暮らしながら療養すること(在宅療養)ができます。病院に閉じこもることなく生きることができます。どんな病気になっても人間らしく生きることができることは患者に限らず全ての人々の生きる希望にも繋がるはずです。しかし今、福島に暮らす難病患者はそれが難しくなっています。「福島応援onsong」は難病患者やその支援者が多く関わっており、患者仲間のためにできる応援を模索しています。その中、文字盤(身体を動かせない、言葉を発せない難病患者が、視線でコミュニケーションを行うための道具)を通じ、人と繋がれる喜びを患者や支援者が再獲得してゆくための支援「文字盤キャラバン」を福島の入院患者に送ろうという企画が立てられました。12月26日、27日の二日間にわたり学生ボランティアや、難病患者、支援者総勢20名ほどで国立いわき病院(福島県いわき市)を訪れ、文字盤の普及活動とともに福島の難病患者の皆さん、その支援者との交流を深める予定です。

2月11日は芸術の森劇場「平成の間」で活動報告をします

2013年2月11日(月・祝)府中芸術の森劇場「平成の間」において福島応援OnSongの活動報告を行います。この日は震災と原発事故から2年を迎える直前の月にあたり、福島の現状やわたし達のこれまでを確認し、これからの活動につなげてゆきたいと思います。ゲストとして街頭活動でも歌声の応援をしてくださっている三多摩青年合唱団有志の皆さんが改めて「つぶてソング」を披露されるほか、ジャーナリストの伊藤千尋さんをお呼びして、わたし達の未来と希望について講演をしていただく予定です。
<福島応援OnSong活動報告
~三多摩青年合唱団有志と伊藤千尋さんを迎えて~>
日時:2013年2月11日(月・祝) 13:00~
場所:府中市芸術の森劇場「平成の間」
費用:500円
定員:300名(定員になり次第締め切らせていただきます)

12月11日チラシ


~わたしたちの「応援」~


継続こそ力なり


福島応援OnSongが皆さんの前で活動の第一声を挙げたのが、ちょうど1年前の2011年12月11日でした。東京都府中市に住む難病患者とその支援者、音楽家らが発起人となり「福島に向き合うことは日本の未来を考えること」として自分たちに出来る応援をしていこうと動き出しました。そして、福島県に在住の難病の方や支援者との交流がはじまり、この活動を福島県の難病患者の応援、そして支援につなげてゆくことがハッキリしてきました。日本全国から難病患者のネットワークを通じて応援の色紙も集まるようになりました(その数267枚!)。
わたし達の応援は大きな団体のバックアップや主義主張に基づくものではなく、個人の緩やかな気持ちが繋がって出来ているものです。誰でも参加ができる「歌」を介して集まっています。しかし、毎月の活動を続けているうちに、寄付が集まり、賛同者が増えてきました。継続は力なり、です。
一方、福島第一原子力発電所における事故はまだまだ収束のつく状態ではなく、放出された放射性物質はじわりじわりと福島県を、東日本を汚染しています。東京にしても東京湾の汚染が懸念され、奥多摩で高線量地域が見つかっています。葛飾や柏で高線量が計測されています。元の生活に戻るのは何十年かそれ以上か見当もつかないといいます。苦しみは続いているのです。今、福島でも復興の声が大きく叫ばれています。しかし、その声にかき消される小さな暮らしの声があることが福島からレポートされています。復興のための予算が国によって組まれました。しかし、その一割は復興とは全く関係の無いところに使われているというニュースもありました。義援金が集められ、しかしそれはどのように届いたのか、使われているのか分からないという声も聞かれます。福島在住の難病患者の佐川さんは声なき声で叫びます「私たちは、福島県からきました。福島県人4名です。福島県の放射能は風化されようとしてしますが、福島県を忘れでください。」混乱の中で、少しずつ福島は忘れられていくのではないか。見捨てられるのではないか。だからこそ応援を続けなければならないのです。忘れてはいけない、風化させてはいけない。継続こそ力なり。皆さんのご協力をお願いします。

千代紙に願いをこめて

「いつでも、どこでも、誰でもできる応援、受け取った人も喜べる応援の形として、千代紙にひと言メッセージを添えて集めてはどうか」発起人のひとり佐々木公一さんから提案がありました。千代紙は福島を舞台にした歌「智恵子抄」にちなんだとの事です。現在集まっているものは12月26日に「文字盤キャラバン」が国立いわき病院に届ける予定です。

2012年11月12日月曜日

11月11日活動報告


日曜日の活動ということもあり、拡大版で行くプランでしたがあいにくの雨・・・
しかし、一通りアピールすることが出来ました

11月11日(日)14:00~15:30
天候:曇りのち雨

参加者:
チーム佐川4名、チーム佐々木4名、三多摩青年合唱団有志 10名、翠香会(民謡) 6名、運営5名、個人参加6名
計35名


当日のプログラム
プログラム:
①歌(みんなの知っている秋の歌)とあいさつ
②アピール~福島の声
③ゲストの歌(民謡の会)
④アピール~文字盤キャラバン報告
⑤歌(つぶてソング)
⑥原発紙芝居
⑦歌(ふるさとを思い出す歌)と閉会のあいさつ


終了後懇談会を開催
福島の報道がなされていないというが本当か?ETVなどで目にするが・・・
民謡がとてもよかった。足を止めて聞いていた方に声を掛けたら府中市民謡連盟の会長さんだった
福島の現地アピールが足りなかったのではないか。もっと時間を割くべき
→あらためて福島報告あり。義援金のうち220億円が目的外流用されている。一体政治も行政もどこを向いているのか
何とか雨天を避けることができた。よかった
日曜ということもあり初めて参加できた。

次回は12月11日(火)です。よろしくお願いします


2012年11月11日日曜日

11月11日チラシ②


私たちの支援、応援~福島の難病患者に力を

現在の医学では治療が難しい難病であっても、制度を使い、体制を整えることで住み慣れた場所で暮らしながら療養すること(在宅療養)ができます。病院に閉じこもることなく生きることができます。どんな病気になっても人間らしく生きることができることは患者に限らず全ての人々の生きる希望にも繋がるはずです。しかし今、福島に暮らす難病患者はそれが難しくなっています。「福島応援onsong」は難病患者やその支援者が多く関わっており、患者仲間のためにできる応援を模索しています。

文字盤キャラバン

文字盤(身体を動かせない、言葉を発せない難病患者が、視線でコミュニケーションを行うための道具)を通じ、人と繋がれる喜びを患者や支援者が再獲得してゆくための支援「文字盤キャラバン」を福島の入院患者に送ろうという企画が立てられています。「福島応援onsong」はこの文字盤キャラバンを応援しています。「文字盤キャラバン」は12月26日よりボランティアの参加者を中心に国立いわき病院(福島県いわき市)を訪れ、文字盤の普及活動とともに福島の難病患者の皆さん、その支援者との交流を深めてゆきます。近日中にレポートいたします。

千代紙

福島を舞台とした「智恵子抄」にちなみ、千代紙を使ったメッセージを福島の難病患者に送りたいと思います。今年(2012年)の初めにスタートした色紙運動の続編となります。福島を応援したい、励ましたい皆様のお気持ちをお寄せください。第一回目の作品は12月25日、26日に現地に届ける予定です。

11月11日チラシ①


~続いている「福島の今」~

避難している人々は、明日が見えません 

福島市在住の難病ALS患者、佐川さん一行の福島レポートです。10月のアピールのものですが、現状は今も変わっていません。是非ご一読ください(事務局)

みなさんこんにちは。
私たちは福島県福島市から、府中市の皆さんに福島の現状を伝えたくて、5時間かけて車でやってまいりました。お耳を傾けていただけたら幸いです。

あの東日本大震災から1年7ケ月。東京に住んでいると、福島・放射能のニュースを目にする機会はだいぶ減ってしまったのではないでしょうか?記憶も薄れてきているかもしれません。しかし、今この瞬間にも分かっているだけで、16万人の福島県民が県内、外に避難しています。東京都には、7800人近くの避難者が暮らしています。もしかしたらあなたの隣にも住んでいるかもしれません。これらの避難している人々は、明日が見えません。半年後、1年後、5年後、自分はどこで何をしているのか?思い描くことができません。先の見通しが見えず、人生設計がたてられないのが現状です。家のローンを抱え、父親は仕事で福島に残り、母親と子供だけで避難生活をしている人も少なくありません。
今、福島ではいろいろな問題・悩みがあります。どれだけ時間をかけても語りつくせないほどです。その1つに「避難の権利」の問題があります。被爆をしたくない、誰もが思うことです。小さい子供を持っていればなおさらその思いは強くなります。そして、避難しよう、そう思ったときに必要なものは何でしょうか?絶対に欠かせないものが住宅です。福島市から山形県へ避難すれば、アパートを無償で提供してもらえるのに、福島県内に避難したら支援は全くありません。一歩県境から出るか、出ないかで、支援が全く違うのです。

前提条件として偏らない報道を

放射能による被爆を、どこまで我慢できるか?年間1ミリシーベルトか?5ミリ?20ミリ?100ミリ?人それぞれ感じ方・考え方が違います。それぞれの判断・選択で行っていいと思います。しかし、その前提条件として、偏らない情報提供を行政やマスコミは行わなければなりません。今、福島県では大々的に「安全です」キャンペーンが行われています。テレビ・新聞でも大丈夫!元気!というニュースであふれています。そんな中、放射能に対して不安だ、という話題はタブーになり、危険だと思う人は肩身の狭い思いをしています。
どんな選択をした人にも、安心した生活を送れるように、国や県は支援すべきです。日本国民の誰もが健康的で安心した生活をおくることができる権利を持っています。今は残念ながらその権利が侵害されているといわざるを得ません。最近のニュースで福島県は、秘密会議を開き健康管理調査の口裏合わせのようなことを行っていたという報道がありました(「甲状腺がんの子供が一人発見されたが、今回の事故とは因果関係がないと発表しましょう」)。一般の人にも公開されている委員会で議論されるはずが、既にシナリオが出来上がっていたのです。ほんとうに憤りを感じざるをえません。国や県は、一人ひとりの命に真筆に向き合い、仕事をして欲しいと思います。
また、福島県民が立場ごと(避難してきた人と元からいる住民、避難した人と本当は避難したいけどできない人、などなど)にばらばらにされて、ひとつにまとまりにくい、お互いに認めにくいという状況が生まれています・・・

2012年10月12日金曜日

10月11日活動報告


心配していた天気も終わってみれば秋晴れの良い昼下がりでした
皆様お疲れ様でした
10月11日の街頭活動無事終了です


日時:10月11日(木) 14:00~15:00
場所:府中フォーリス前
天候:晴れ
参加者:佐々木チーム4名、佐川チーム4名、三多摩青年合唱団有志3名、個人参加7名、スタッフ:4名
計22名

募金:
63,761円

歌:
紅葉
赤とんぼ
里の秋(秋林さんのハモニカ演奏もありました)
見上げてごらん夜の星を
上を向いて歩こう
あなたはどこに
放射能
青い空は
旅愁
故郷

今回の福島アピールがとても良かったです。次回のチラシに掲載したいと思います。
しかま@事務局

2012年10月11日木曜日

10月11日チラシ③


【コラム】~募金箱をもってくださったヒロコさんの感想~

福島県や岩手県の人がお金を入れてくれるんです。被災して、自分のところは大丈夫でも親戚が亡くなってしまったんですって・・・

「相馬にばあちゃんが住んでいて、こっちに子どもや孫がいるんだから呼びたいんだけど、慣れた土地からは離れられないって言うんです。」って。こっちもついつい相談にのっちゃったら「こんな話は府中では誰にも聞いてもらえなくて、ここでやっと話すことが出来ました。」って!

若い人がね、「シューカツ中なんですが・・・」って寄付してくれたんです。とても気になってたみたいで、何度も募金箱の前を行ったりきたりしてたんだけど。押し付けがましくないのが良かったのかなあ・・・

「福島応援onsong」に参加してみませんか?飛び入り大歓迎です

10月11日チラシ②


私たちの今後の取り組み

「ヘルパー派遣」

福島県内の特に線量の高い地域において、ヘルパー不足は深刻です。しかし、そこに暮らす難病患者とそれを支えようと頑張る人々がいます。また、そこで暮らす人々がいます。ボランティアでヘルパーを派遣できないでしょうか。またボランティアのヘルパーだからこそできる暮らしのお手伝いもあるはずです。一方で同じ福島県内でも線量が低い地域ではヘルパー不足は起こっていません。高線量地域に人を派遣することの是非、また受け入れる側も「わざわざ線量の高いところにきてもらうのは申し訳ない」との思いがあります。また、ヘルパーの仕事はどれくらいの期間の滞在が求められるのか、そして何より被曝の心配等、解決の難しい課題があります。

「プチ移住」

高線量地域に暮らす難病患者とその支援者が、少しでも放射能の不安から離れて過ごす場所を作ろう。山梨県北杜市白州に別荘を使ってほしいとの話があり、私たちは「プチ移住」に着手しました。ヘルパー派遣とは別の、応援の形です。8月末にパイロットケースとして難病患者2名とその支援者、学生ボランティアの総勢15人が3日間、現地に宿泊し状態を確認してきました「当たり前の生活がここではできる。マスクなしで放射能の心配も無く散歩でき、食べ物も食べられる。こんなことが福島では出来ないんです」との感想が出ています。まだまだ課題もありますがとても有効な応援のひとつの形ではないでしょうか。

「文字盤キャラバン」

文字盤(身体を動かせない、言葉を発せない難病患者が、視線でコミュニケーションを行うための道具)を通じ、人と繋がれる喜びを患者や支援者が再獲得してゆくための支援「文字盤キャラバン」を福島の入院患者に送る計画が立てられています。ボランティアを募り、年内には実行していきたいです。

10月11日チラシ①


~「3.11 この日を忘れないために」~

一年かけて見えてきたもの 

「音楽の力を使って何か福島を応援できないだろうか。」府中市在住の難病ALS患者、佐々木公一さんの呼びかけから、発起人が集まり「福島応援onsong」は始まりました。
震災、そして原発事故の起きた11日にちなみ、時間も14:45(地震の起きた時刻)にあわせて
毎月11日の14:00~15:00に、主として府中フォーリス前で、福島の声をアピールしながら、福島から離れた土地に暮らす我々のできる応援を歌声と共に手探りで続けてきました。

私たちに出来ることは歌うこと
福島を忘れない、応援していますよ
という意思表示でした。明確なビジョンや目標があったわけではありません。
しかし、応援の色紙が集まり、それを福島の難病患者に届ける過程で、福島に住む人々との交流が生まれ、街頭での活動に佐川さんをはじめ、福島に住む人々やそれを応援をしたいという人々が集まるようになりました。陰ながらに見守ってくださる方や、運動を知って勇気付けられましたという方も出てきました。募金も少しずつ集まるようになり、人数も少しずつ増えています。ここから皆さんの想いが伝わってきます
「被災地を、福島を、応援したい」
みんなの小さな気持ちが少しずつ集まって、力になってきています。
小さな歌声が、みんなをつないでいっています。

何が必要とされ、何に応えられるか

「福島応援onsong」の参加者は、難病患者であったり、ヘルパーであったり、音楽家であったり、福島に若干のかかわりがある者であったりします。しかし、私たちだからこそできる事がこの活動を通じてわかってきました。
たとえば、難病患者でも制度を利用すれば住み慣れた家や地域で一市民として在宅療養を続けられますが、福島においてはその制度の根幹となるマンパワーが足りません。放射能汚染から避難する人が多いのです。また「復興特需」に人がとられています。そして、患者自身もそれを支える人々も、放射能汚染に戦々恐々としながら在宅療養を続けています。「病院に戻るしかないのか」と悩んでいます。これは原発事故が(=原発が)無ければ起こりえなかった事でもあり、高線量地域において起きています。東京都下では起きていません。この差を解消する制度はまだありません。私たちは自分の専門性からそこにスポットを当て、行動を起こすことが出来ます。「福島応援on song」は自分たちに出来る応援を歌声から始めました。そこで集まった力を、今度はその専門性(福祉・介護分野)で応えられる形にして、福島の方々へ伝えていきます。
それを毎月皆さんにもお伝えしてゆきます。
よろしくお願いします

2012年9月26日水曜日

2012年9月24日月曜日

2012年9月12日水曜日