福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2014年6月12日木曜日

2014年6月11日活動報告


車椅子や呼吸器をつけた方はちょっと雨宿り
福島応援OnSong 定期活動
日時:2014年6月11日(水)14:00~15:00
天候:雨
参加人数:14人

雨天でしたが(確か昨年もこんな日がありました)先日の福島訪問や被災地の声をアピールする事ができました。
この記事の前にエントリーした2014年6月11日のチラシを読んでください

雨を避けながらのアピール
「あめふり(”あめあめふれふれかあさんが”)」の歌声も楽しく、無事終えることができました。


寄せられた声

・もう、誰も「(雨だから)止めよう」とは言わないんだから。

・募金箱に高額紙幣を入れてくれる人がいた。福島の人だって

・続ける事に意義があると改めて実感

・雨の中だと、話は聞こえにくくなる。歌を前面に出すといいのかもしれない

・うちの組合の旅行で40人ちかい前で宣伝してきましたよ。そしたら今日は二人来た!

・友人が来てくれた。イベントの実行委員をやっている人だから、今度一緒にやってみたら?

・雨でどうなるかな、と思っていたけど。普通に募金してくれる人がいた。総額は少なかったけど嬉しかった

・「こないだもやっていたな」といってくれる人がいた

・私にとっていろんな繋がりがこの会をきっかけに生まれている。


来月もよろしくお願いします

2014年6月11日水曜日

2014年6月11日チラシ③

大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決

福井地裁において5月21日に下された大飯原発3,4号機運転差し止め請求判決は、司法が原子力発電所の再稼動についてどう見ているのかを示す上で画期的な判決でした。判決要旨は全文をインターネット等で見る事ができますが、この要旨のクライマックスともいえる部分を抜粋してみました
この要旨は「1.はじめに」憲法に定められた人格権を最高価値としています


1 はじめに
 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。
 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。


そして「2.福島原発事故について」で原子力発電所事故が及ぼす影響と250km圏の妥当性、「3.本件原発に求められるべき安全性」で福島原発事故が起こった今、事故の危険性と被害の大きさを考え裁判所が原発再稼動の判断をすることを示しています。「4.原子力発電所の特性」「5.冷却機能の維持について」でわずかな時間の電源喪失で事故につながり、事故は時間の経過にしたがって拡大してゆく事、そして電源喪失のリスクは地震大国日本においてはとても高い事、さらに「6.閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)」で核物質が原子炉容器以外の場所で保管されているリスクにも触れた上で以下の判断に繋がっていきます

7 本件原発の現在の安全性
 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

8 原告らのその余の主張について
 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。
 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について
 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

10 結論
 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部
 裁判長裁判官 樋口英明
    裁判官 石田明彦
    裁判官 三宅由子



被告である関西電力は翌22日に控訴をしました。

2014年6月11日チラシ②

~被災地の声~

ブログ「福島の現実―福岡百子の声」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。

【被災者の声】
「一年、二年はまだよかった。三年になったら、本当にきつい。誰も振り向いてくれない。」

「年寄りの一人暮らしは可哀想。孤独死、自殺者が多くなった。」

「(双葉町の)井戸川元町長さんは、鼻血について良く言ってくれた。我々は言いたくても言えない環境にある。被曝しているからか、抵抗力が弱くなったからか、とても疲れる。いわゆるブラブラ病と診断される人が多くなった。」

「極端に免疫力が低下し、疲れやすく、倦怠感がひどくなった。災害前は、風邪などめったにひかなかったのに、今は簡単に風邪をひく。下痢、咳が多くなり、除染作業やがれきの片付けをした後は、次の日からすごい倦怠感に襲われる。鼻血のことはウソじゃない。被災者に聞けば解る。ほとんどの人が体験している。」

「原爆症の症状を調べたら、同じ症状が出始めたと感じる。」

「ボディー検査、甲状腺検査の結果は、ただ『異常ありません』で来る。我々に検査の詳しい数値は知らせられない。国のみが知っている。データを我々に知らせず、『信用しなさい』というのはおかしい。」

「放射線量測定器は役場からもらった。個人で何種類も買い求めた人もいる。しかし、どの測定器もみな異なるので、何を信じたら良いのかわからない。」

「都路は場所によって放射線量が異なるのも確かです。今は田植えのシーズンです。しかしできた米、作った野菜は、私のところでは食べません。作った野菜は捨てています。農業をしてきた私たちは、他にやることがありません。捨てると解りながら、しないわけにはいかないのです。」(私はこの言葉に、被災者の悲しみの深さに、想像を絶する魂の苦悩を感じました。)


【放射能の影響は?】
山村の広野町、川内村、そして今年の4月からは都路町の保育園、幼稚園、小学校、中学校が開校しました。水道水も基準値以内とのことで、飲料水として飲んでいるようです。果たして本当に大丈夫でしょうか?と心配になります。被災者の話では、放射能の人体への影響は、七、八年後に表面化するとのことです。生活のために除染作業、がれき処理などに被災者は行っていますが、その後遺症が被災者方の命取りにならなければ良いが、と私は心配しています。
私は皆様に被災者方への物資支援、また義援金のお願いをしながら、最近、戸惑いを感じることもあります。帰還宣言をした役場や役場を支える支援団体が情熱を傾けて帰還を促し、放射能汚染への警戒心もなく、放射線量が基準値以内だからと言って、乳幼児の飲料水に水道水を与えています。無防備に喜んで帰り、村の再建を、と意気込む村人の姿や、役場職員の復興への情熱に接した時、自立を促す役場の職員と、被爆を恐れ戸惑う被災者とのギャップに戸惑いを感じるのです。七、八年後の被曝後遺症が現実化されないように、と祈る心で本気に私は心配しています。・・・

2014年6月11日チラシ①

~明るい未来がない~

6月3日(火)福島応援OnSong 有志で福島県いわき市にあるいわき自立生活センターといわき病院を訪問してきました。いわき自立生活センターは重い障害を持っている人が地域で市民生活を送るための事業を行っており、私たちはその中の「アライブ(生活介護事業所)」にお邪魔して皆さんと歌ってきました。
歌声と笑顔にあふれたとても素敵な時間でしたが、所長さんの話された福島の現状はとても深刻なものでした


いわきILセンターはいわき市の新興住宅地の高台にあります。この周辺は区画整備中でしたが震災後に避難者の仮設住宅が建設されました。
たくさんの仮設住宅が街の数区画にまたがって建っているのですが、とても静かでした。
「震災のあった年は、イベントなんかで賑やかだったけど、3年経ってシーンとしている。イベントもほとんどない。よく言えば普通の生活に戻ったというか、落ち着いてきたというか。でも、みんな疲れている」。

いわきILセンターの周辺は広野町から避難された方の仮設住宅がありますが広野町は「帰還宣言」が出され、昨年6月にはJRの運行も再開されています。
「国などはとにかく(避難者を)返そうとしている。今は全面帰還から部分的でも返そう、にトーンが変わってきたが、帰還に向けて突っ走っている。そのために帰る人、帰らない人、帰れない人との差もできている。お年寄りが帰るケースが多く、若い人は仕事のある所に避難や移住をしている。それまでは世代が一緒になって支えていた家族がバラバラになってしまった。病院などは結局いわきにしかないから、帰った先で、救急車を呼んだら2時間かかってしまう。病気の人は残らざるを得ない。そして、帰還宣言が出されたために補償は打ち切られ、賠償金もない。以前は自給自足で暮らしていた地域が(核汚染により)農作物を作れなくなって、野菜を買わなければならなくなったりしているのに。避難している人も、帰る人も経済的にはとてもじゃないが生活していけない。ふるさとは破壊され、居場所が一生見つからない状況においやられている。明るい未来がまったく見えない。」

仮設住宅での避難生活は人々の健康にも大きな影響を与えているとのことです。
「震災の関連死といえるような例が目立ち始めていますね。避難者の中でもILセンターを手伝いに来てくれた人がいたんですよ。道を整備してくれたりね。でも、最近亡くなりました。酒で身体をボロボロにやられていたそうです。飲まずには居られなかった。そういった例が二人居ます。」
そして、患者や障害者、高齢者の暮らしを支える介護者も不足しています。除染などで放射線量が低くなり、いわき市は福島県内でも放射線量の低い地域です。しかし、東京電力福島第一原子力発電所の事故は収束しておらず、再び事故が起きるかもしれない不安から避難する人も居ます。また、介護職の賃金は低く、他の職種に人は流れていきます。
「介護職員が全く足りません。県外から来た人に支度金とかを用意して対応しているみたいですけど、辞める数に追いつかない。今、いわきの介護事業所では二人辞めて一人入ってくる、いや、入ってくれば良い方で、今は管理者が駆り出されている状況です。新規利用はもう受けられません。 」
災害公営住宅(津波で家を失った人向け)や復興公営住宅(原発事故で家を失った人向け)など住環境の整備による生活再建にいわき市は取り組んでいますが、需要と供給のミスマッチがあり、その上に生活を支える基盤の不安定が重なり「未来が見えない」状況は続いています。今回、「アライブ」の皆さんは福島応援OnSongの面々を笑顔と歌声で迎えてくれましたが、その普段の暮らしの背景にはとてつもなく大きな課題が横たわっている事を再認識させられました。でも、そんな皆さんが「また来てね!」と手を振ってくれました。また歌いに行きます。何度でも、歌いに行きますよ。