福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2015年3月11日水曜日

2015年3月11日街頭活動チラシ③




~電話口から~


福岡さんのご縁で繋がった福島県葛尾村の方と電話でお話を伺ったところ、以下の記事に目をして欲しいといわれたうえで、行政が進めている帰還準備についてポツリポツリと話してくださいました。


<震災4年>首長に聞く/4 松本允秀・葛尾村長 来春帰還に向け自立を /福島

毎日新聞2015年3月9日(月)



 --震災4年。この1年は復興に向けて「前進」と「停滞」どちらの印象ですか。



 除染はまだ途中。特に、農地の除染が完了しないことには、住民に帰還の意向が芽生えにくい。水道などの整備もまだこれからだ。ただ、地震でがたがたになっていた役場庁舎の大規模改修が3月いっぱいで終わる。4月からは、その役場に復興に関わる一部部署を戻すので、新しい区切りになる。少しずつだが、進んでいる感じがする。



 --2016年春の帰還を目標としています。



 4月からの村機能の一部帰還は、「そろそろ帰還へ」という村民へのアピールでもある。目標に向け、1年かけて村も村民も自立に向けた準備をしないといけない。

 ただ、帰還は安心して住める環境であることが前提条件。放射線量の問題は難しい。政府は帰還の条件として(年間被ばく線量が)20ミリシーベルト以下って言うけど、20ミリで安心だと思う住民はまずいない。みんな頭の中にあるのは1ミリだから。20ミリ以下って何ミリならいいのか。1と20の間って相当差がある。除染でも、国は「高いところは再除染します」と繰り返すが、再除染の基準もない。

 事故以降、安全の基準があやふやなまま、今まで来ていると感じる。村としては「安心だから帰ろう」と言いたいんだけど、それを言えないジレンマがある。安全性があいまいでよく分からないとしたらやはり、村としては厳しい判断をせざるを得ない。



 --避難指示解除準備区域にある村中心部に生活に必要な機能を集中させた「エコ・コンパクトビレッジ」を構想しています。



 ある程度、元の村の機能を生かしていきたい。事故前のように、自然の中で自給自足、野菜作って山菜採って……とはいかない。「山も川もだめで、帰って何すんだ」って言われると、本当に切ない。壊れた道路を直した、橋を架けたという話ではない。大きなハンディを負っての村の再生。原発事故というのは、本当に大変な災害なんだと実感する。



 --長期化する避難生活で懸念は。



 避難前とは生活のリズムが変わり、村で農業をしていた高齢者が体を動かしていない。太ったり、生活習慣病になる不安がある。

 --村長は大丈夫ですか。

体重はキープしてるけど、今年78歳だからなあ。自分の村で一生を終えるつもりだったから、こんな生活をするとは思わなかった。私自身は村に戻りたいし、戻るつもりでいる。【聞き手・喜浦遊】=つづく



「国は帰還しろといっているし、村長も遠まわしに言っている。でも、帰還に関するアンケートをとったって回答者は少ないし、その中での賛成を数えたとしても、それが村民の気持ちなのかはわからない。家屋などの補償額は築年数によって変わるから、それによってどうなるかわからない不安定な人も多いのが実情。そして20mSV/年のところに若い人を行かせてよいものなのか。結局、避難した三春町に留まるか、移住するか、あるいは子どもだけ移住させるか・・・悩みは深刻。そして、情けない。 福島に来てください。仮設とかに案内するのは、狭いし心苦しいけど、来てもらうだけでも良い。それに交通とか買い物とかで福島でお金を使ってくれるのもありがたいです。

0 件のコメント:

コメントを投稿