福島応援

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みんなで集まってにっこりわらって

2015年3月11日水曜日

2015年3月11日街頭活動チラシ②




~被災者の声~


福島の避難者支援を行っている福岡百子さんのブログ「福島の現実―福岡百子の声http://momfukuoka.exblog.jp/」より、ご本人の承諾を直接得て抜粋したものを掲載しています。インターネットに接続できない方にも伝えて欲しいとのことです。

2015年03月06日

被災地の4年間――多くの方々が鬱病に・・・・

【被災者からの電話】

災害から5年目を迎えた今、我が家には急に被災者の方々からの電話が多くなりました。連日鳴り響く電話の被災者の声は、怒りと悲しみ、絶望とやり場のない苦悩のうめき声、ため息の声です。生きる力、気力が無くなってしまった被災者方の声です。私がお聴きした被災者の生の声を少しだけご紹介させていただきます。(被災者の個人情報のこともありますので、今回は町名等を省かせていただきます。)



「家を建てるために業者さんにお願いしました。しかし私たちが業者さんに従わざるを得ないのです。設計図通りにはいかず、業者の都合に合わさざるを得ないのです。“ここは縮めてください”とか、“これは作れません”とか途中で言われるのです。また“資材がない”とか、家も予定通りに建ててもらえず、いつ引っ越せるのかわからないのです。」



「建築業者さんと相談したくても、自宅には来てもらえないために、仕事を休んで遠方の事務所まで私が出向いて行かねばならないのです。生活のために働いている私は、なかなか休みを取ることができず、相談にも行けず、家の建築も思うように行かないのです。業者の人手が無いとか、資材が無いとか言われるのです。国の仕事にとられ、福島のためには人でも資材も無いようなのです。」



「障害者のために集まる場所をプレハブで作ることにしました。建てる際、トイレ設置も頼んだはずです。だのに、ほぼ完成した今になって、“トイレは作れない”と言うのです。交渉をしているのですが・・・。」

(普通、今は、お客の望みを優先し、業者は下手に出る時代ではないでしょうか? しかし福島の被災者は、立場が逆になっていることに私は驚愕いたしました。皆様は福島のこの状況をどうお感じになられましたでしょうか?)



「町は放射能が高い。我々は放射能のある所に帰りたくない。だのに、“平成28年3月までは、精神的賠償金は出すが、後は出さない”と言う。国からの圧力がかかるのです。稲作りも未だ町全体の許可は出ていない。だのに“野菜を作ってよい”と来た。我々は作っても食べたくない。子供たちはもう町には帰らない。若者がいない所、何も無い町にどうやって住めるか? 一番辛いのは、家族が分断されたことです。」



「小高区には小学校が4校ある。学校は全部廃校です。自宅も、そして今いる仮設も0.3マイクロシーベルトある。“28年4月には住民を帰す予定”と言う。“小高に商業施設を作る”と言う。住める状態ではない。我々の仮設で帰る人はいない。人間は帰れない。小高は放射能の問題があるために、国の環境省の管轄に入る。だから町が口をはさめないのです。“商業施設を作ると言ったけど、人間は帰れないのだから、イノシシに買ってもらうのかネ”と冗談を言う人もいる。」

「常磐道開通と言ったけど、大熊町は原発の近くです。」



福岡さんから直接のお電話もいただきました。

・・・震災直後と今では被災地の皆さんのあり方も大きく違っている。特に、避難している住民同士の関係がとてもギスギスした物になってきている。震災から1年、2年はみんなで助け合い出来る限り頑張ってきていた。“国が救ってくれるに違いない”と信じていた。しかし、3年が過ぎそれは失望に変わってしまった。見捨てられたという思いが強くなって、希望や目標を避難者が見失ってしまった。これではもう持たない。「今が一番辛い」と言う声も聞こえるようになった。

それに加え、今まで支えあった人々が賠償金の有り無し、いくら貰えるかなどの利害で分断されてしまった。津波で避難したか、原発事故で避難したか、何キロ離れているか、いないか。住民の間で賠償問題は禁句になってしまった。住民同士の間がギスギスになってしまった。ボロボロになってしまった。賠償の基準は国が決めているのだから、この不和は国に責任がある。仮設住宅内でも分断が起きてしまっている。地区を取りまとめる自治会長がとても苦しいと話している。そんな中で移住の話とかはとても出来ない。

さらに、避難者に対する目が厳しくなっている。特にいわき市などには被災者が集中して、結果として病院や仕事がいわき市民にとっては「取られてしまった」格好になっていて、避難者に対する悪い感情が表出してきている。こんな状況の中で、結局同じ境遇の仲間が集まるように、元の村に避難者が戻る様になってきている。

そして、もっとひどいのは新しい土地に移住する事に対し、住民票の移動を許可していない事だ。住民票を動かせば賠償を受けられないようになっている。この前、双葉町の村長が国会議員に訴えに行っても会ってくれないということがあった。国は本気になっていない。ただひた隠す。そのくせ「復興したんだ」と思わせたい。・・・

福岡さんは、被災地の皆さんの話を伺って出来る限りの支援をしてきたものの、自身の身体や家族の病気等もあり、続ける事が難しくなってきたとの事です。しかし、苦しむ人たちを見捨てることはできない。

支援者もまた苦悩しています。

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