福島応援

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2013年8月11日日曜日

8月11日チラシ1

~原発事故は福島だけの問題ではありません~

福島から札幌へ避難された宍戸さんからの報告です

福島市や郡山市を訪れたなら、皆さんはきっと「福島は復興した。」と思われるでしょう。
駅前は人や車が行きかい、お店にはたくさんのものが溢れ、震災以前とあまり変わらぬ街並みがそこにそのまま存在する。誰もマスクなんてしていません。習い事に通う子どもたちが目の前を通り過ぎていきます。あまりにも普通の、どこにでもある地方都市の風景。

なーんだ、心配することはなかったんだ。きっと、そう胸をなでおろすことでしょう。

ですが、この景色の隅っこには放射線量を知らせるモニタリングポストがあります。
宿泊するホテルには「室内の線量は0.05マイクロシーベルト/毎時ですので安心してお過ごし下さい。」という貼り紙があるかもしれません。市街地をちょっと外れた田園の中に、汚染された土がみっしりと詰められた黒や白の巨大な袋がいくつも並べられている風景を見ることもできるでしょう。さらに太平洋側に車を走らせれば、今なお自由に出入りできない場所が、そこには存在し続けています。

私の故郷の町には原発がありました。私の実家のある場所は、放射線寮が高く居住制限区域に分類されています。町が誇る桜の名所は、今なお立ち入りが禁止されています。皆さんは、ある日故郷を取り上げられるということが、どういうことか考えたことがありますか?

震災当時、私は東京電力福島第一原子力発電所から50キロ以上離れた町に住んでいました。一番濃い放射性物質を含む風が吹いた方角にありますが、国からの避難指示は出ませんでした。
私は現在、自主避難者として家族で札幌に暮らしています。ですが自主避難者の6割から7割が小さな子どもとお母さんという組み合わせの母子避難です。お父さんは福島に残り、二つ竈を支えるために働いています。親子が離れ離れになっても、子供の健康を守りたいと考えた末の選択です。
一見、日常を取り戻したように見える福島から、私のもとへ「避難をしたい。」という相談がたくさん寄せられます。福島に残ることを決めた方の中にも「本当は、福島で暮らすことを安全だなんて思っていない。」「水もペットボトルを買っているし、野菜も遠くのものを取り寄せている。」そう、泣きながら話される方がいます。そんな不安を福島で誰かと共有することは実はなかなかできません。放射能は危ないと考えることが復興を妨げると言われてしまうからです。
福島は、補償の有無や放射線による健康被害に対しての危機感の差などが人間関係をきしませています。

放射線の影響については、実際これから何が起こるのか誰も正確に予測はできていません。

そこに住み続けることがいいのか、家族や友人と離れても避難をすべきなのか、明確な答えはどこにも存在しません。長期の休みだけでも子どもたちの体を休ませてあげたいと、この夏もたくさんの保養企画が組まれています。

福島の事故は未だ継続中です。つい最近になって放射性物質を含んだ水が海に流れていたことも発表されました。

どうか、福島の原発事故を、ご自身の事として考えて欲しいのです。

みなさんが明日、この場所を追われることになったら、その時どうするかを考えて欲しいのです。今、胸いっぱい吸い込んでいる空気は安全なのか?喉を潤す水が安全なのか?そんなことを考えながら日々を生きるというのはどういうことか考えて欲しいのです。原発事故は福島だけの問題ではありません。
(宍戸 隆子)

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