福島応援

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みんなで集まってにっこりわらって

2013年7月11日木曜日

7月11日チラシ①

 他誌に掲載された今村栄治さん(いわき市)の報告です。昨年末に書かれたものですが、より多くの人に知ってもらうために、ご本人の許可を得てこのチラシに再掲させていただきました。(福島応援OnSong事務局)


~放射線という見えない銃弾が飛び交う町~

私は3.11以降、被災者・避難者支援活動にかかわってきた。2ヵ月後のことも予想できない流動的な情勢であるが、原発事故後の福島県の深層でいま何が起きているのか、以下報告する。

「帰還」に走り始めた行政

福島県における「復興」の掛け声は、岩手・宮城とは違った意味合いで用いられる。「さあ復興へ!」の前には「原発事故は収束した」が暗黙の了解として見え隠れする。また「風評被害の払拭」という言葉の裏側には、「大したこともなかった放射能問題に神経質になり過ぎている」という意味が張り付いている。

2011年秋に、福島県が組織した行政・一般公募の県民・研究者によるチェルノブイリ視察団が派遣された。そこで見た「原発事故で100の村が消えた」という事実は、彼らに衝撃を与えた。「避難が長期化すると、自分たちの町や村もこうなってしまう!」という恐怖の刷り込みがあったのだろう。帰国後、早期帰還の動きが始まっていった。

双葉郡の8町村のうち、南部の川内村と広野町が「避難指示解除準備区域」を解除され、町村民の帰還が「法律上」可能になった。今年9月には、これに南相馬市小高区も加わった。小高区は、福島第一原発から10数キロの距離であり、海岸線からは福島第一原発の煙突が見える。そんなところにも「立ち入って大丈夫」宣言がなされたのである。現在は、双葉郡8町村の内、福島第一原発に近い浪江・双葉・大熊・富岡町は「5年間は帰れない町」とされ、それ以外の楢葉町・広野町・川内・葛尾村は「早期帰還可能な町」と4対4に2分されつつある。「双葉郡はひとつ」の掛け声の陰では、このような亀裂が発生している。

早期帰還に走り始めた4町村で何が起きているのか。まっさきに早期帰還をぶち上げた広野町は、今年4月に役場機能をいわき市から広野町にもどした。そして9月には町立小中学校を現地で再開したのである。広野町当局は、年内に全町民の帰還を呼びかけたが、町民約5500名の内、帰還に応じたのは10%に過ぎない。避難中の広野町民に聞くと、「確かに線量は低くなったけれど、原発事故は進行中。また放射能漏れがあったらと思うと怖くて」「商店街も多くは閉まったまま。病院もひとつだけで、どう暮らしていくのか」と言う。

そして決定的なことは、戻ったら東電の賠償が打ち切られてしまう、ということだ。多くの町民は原発事故で失業している。農民は帰っても農業再開は絶望的な状況だ。それでどうやって生活していけばいいのか。東電の賠償金が唯一の収入というのが避難者の状態だ。給料が出続けている町長や町議会員、町役場職員との決定的な違いはここにある。

福島県は「2020年には避難者をゼロにする」との宣言を発した。放射能で高濃度に汚染された双葉郡を、いったいどんな魔法で人が住める町にするというのか。また県外に自主避難している県民に対し「放射能不安の解消をはかる」としている。「無用な心配をしている」との決めつけだ。放射能が人体に及ぼす影響は2~30年後にピークを迎える(子どもの甲状腺は数年)と言われている。この時間差を利用して「結局大したことなかった」論をまきちらす勢力が拡大していくことが危惧される。

「町の消滅」の危機感に囚われ、放射能汚染から目をそらそうとしている行政、賠償額を切り縮めたい東電、原発事故を小さく見せたい政府は、結託して双葉郡の町村民を早期帰還に追い立てている。一方、自分の健康と生活を考え、双葉郡の町村民はこれに「NO!」を突きつけた。ここに現
局面の矛盾が集約的に表現されている。

賠償金が生み出す「ねたみ」感情

国の避難指示によって、避難生活を送っている人には、現在東電がひとり一ヶ月10万円の賠償金を支払っている。これは、将来的に東電と被害者の間で、賠償額が合意するまでの仮払いである。一方これ以外の福島県民(東電は県南と会津地域を不当にも対象から外した)についてはひとり8万円、18歳以下の子どもと妊婦は40万円(自主避難者は60万円)を支払った。この賠償額の著しい格差が、福島県民に「ねたみ」感情を生じさせている。いわき市には、双葉郡から約23000人が避難してきている。その結果病院は混みあい、道路も渋滞している。また生活ゴミの排出量も増えている。このことと賠償額の格差が結びつき、避難者への誹謗中傷があちこちで聞かれるようになった。「今まで原発でいい思いをしてきたくせに」「賠償金でパチンコばかりしている」「何もしなくて4人家族で月40万円か。俺は汗水たらして働いても手取り15万円。いい気なもんだ」といった耳を覆いたくなるような話が聞こえてくる。不況に追い討ちをかけた震災と原発事故。生活に追われる人々にとって、原発事故避難者はストレスをぶつける対象になっている。被曝者同士が罵り合うというという悲しい現実。「絆」という言葉が虚しく響く。

国際人道支援をしているNGOのスタッフと、この話をすると「なんだかパレスチナ難民キャンプとレバノン人との関係に近いですね」と言われ、驚いた。そうかもしれない。私は最近原発事故避難者の支援を、難民キャンプ支援の枠組みで考えることも有効かな、と思い始めている。福島第一原発周辺は、放射線という「見えない銃弾」が飛び交う「紛争地帯」ととらえることができるかもしれない。ただ銃声が聞こえる範囲は、とてつもなく広い。東京でも、耳をすませば銃声が聞こえているはずなのだが。


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