~難病患者が被災するということ~
介護の必要な人はどうしてもベッドが必要です。しかし、避難所はベッドがありませんでした。
トイレもバリアフリーではなく「トイレの心配から水を我慢して2週間の避難所生活を過ごした」との話がありました。
また、福島第一原発の水素爆発のあった3月16日はヘルパーも医者もいなくなってしまい連絡すらなかったケースがあったこと、そしてその中で家族すらいなくなり「置き去り」になっていたケースがあったとのことです。
自宅に戻ったとしても、暮らしを支えてくれるヘルパーがまったく足りません。「求人を出しても施設には来るんですが、ヘルパーには全く来ない。手が打てない。もう展望がもてない。
自宅療養でヘルパーがいなくなったら病院に戻るしかないが、受け皿になる病院のあるいわき地域はまだいいんです。どこでも面倒を見られなくなった地域では家族が全て負担しているところがある。」
そして、状況はすぐに好転するわけでは有りません。
「東京はまだいいですよ。介護の仕事を志す若者が集まってくる。それこそね、ヘルパーを小学生、中学生の頃から育成していかなければならないんじゃないか。なりたい職業のベスト5に入るくらいの知名度にしなきゃ」。
前出のILセンター長谷川さんが嘆きます。なり手が無く、ただでさえ少ないヘルパーも震災によっていなくなってしまう中、病院にもいけなくなり取り残される患者と家族がそこあります。東日本大震災の後、各自治体で防災会議が持たれていますが、ぜひともこの現状を学ぶ必要があると感じます。
0 件のコメント:
コメントを投稿