福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2015年6月11日木曜日

2015年6月11日街頭活動チラシより②




~楢葉町の仮設を訪ねて~


佐々木さんと上村さんからの報告です

5月21日福島応援 on song17人でいわき市と楢葉町をたずねた。

40世帯の仮設住宅、2年の予定で作られた仮設住宅にもう4年、相当に傷んでいた。木曜日の午後8人が待っていてくれた。途中小学校1,2年生の姉妹(唯一の子供だそうだ)が一緒に歌っておどってくれた。

前半は三多摩青年合唱団有志から歌のプレゼント。

これまで多く福島を訪問して「智恵子抄」「故郷」の3番(志を果たしていつの日にか帰らん)で皆泣いていたが、ここは違っていた。ほほえんでいた。だが目には涙があふれていた。



後半の懇談のみなさんの声を記す。

帰還許可になっても「楢葉町は除染されたと言うが隣の富岡町は除染がすすんでいない。おまけに近くに国有林がありまったく除染されていない。そこから汚染水が流れ出ている」

「国会議事堂の回りにあの黒い袋並べてやりたい」

楢葉町に「帰ったとき、田んぼに黒い袋が.もういっぱいだった」

「国会をここに持ってくるといい。そうすれば安倍さんも本当のことがわかるだろう」

「町長が大丈夫だと一杯の水道の水を飲んで見せた。そんなことで安全がわかる訳がない」

「住みたくても医者もいない、店もない」

「帰還して3か月は頑張ろう!と思ったが3日ともたなくて。なにしろ丘の上の我が家から見る 楢葉の町は灯り一つなく真っ暗、時折轟音と光はトラックだけ。」

「我が家に入るのにまるで泥棒のようにして入った」

「暗闇のなかを歩いていたら何かに見はられている気がして。照らしたらイノシシの家族連れの足跡がありました。」

「帰還許可で家に帰ったら玄関に泥まみれの飼い犬の死骸が」

「なんでもないみたいな、すぐ帰れるみたいな言い 方されたから、おさいふももたず、ペットもつれて来ずで、そのまま、、、」

「そもそもあの日避難命令は『直ちに避難せよ』、だからみなさん着の身着のまま、財布も持たずに。それが何年も帰れずに」

「わたしらはいいけど、若い人らは帰らない」

「中間貯蔵施設は中間で終わるはずがない。必ず最終になる。ここ楢葉町は15キロ圏内。住めるだろうか?」

あとがき

いわき市から楢葉町に入ると水田があり稲が植えられはじめていた。所々に苗床があり、懐かしくうれしかった。小学生の私は家族総出で働いた。苗床に種の籾をまき、約15㎝に育った頃苗代 に植える。木製の定規で背丈ほどある定規で稲の苗3本1組で植えた風景が脳裏に浮かぶ。だが「あの米は売れるのですか?」私の質問に「売れない。田んぼを やせさせないためだ」と。私は悲しくなり心が凍る思いがした。

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