福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2015年2月11日水曜日

2015年2月11日街頭活動チラシより②

~2015年1月20日福島訪問報告~

2015年1月20日(火)福島応援OnSongほか有志12名で福島県いわき市を訪問しました。昨年11月に行った勉強会でお話をいただいた伊東さんを訪ね、震災時に行き場を失った25人の障害者が20日間放射能におびえながら何とか過ごした福祉作業所を見学した後、仮設住宅のある区域といわき自立生活センターを訪問するといった強行スケジュールでしたが、今何が起きているのか、私たちに何が出来るのかを、知り、考える大変よい機会となりました。伊東さんの話と参加者の感想をレポートします

私(伊東氏)たちがここに障害者福祉施設を作る時に、地域の反発があり頓挫した事があった。それは家にいられない障害者の行き場所も否定されたということで、障害者は二重の意味でふるさとを失ったことになる。しかし今回、福島の人間がふるさとを失う事になってしまった。まず、みなさんに「日常が、ある日突然失われる」事とはどういうことか考えてほしい。現在、いわき市に沢山の避難者がいるが、避難者に対するネガティブな意識もあるのは事実だ。しかし、一番悪いのはその原因である原発という仕組みを作った東電、国だろう。その仕組みの元、地元は潤ったと言うかもしれないが、そもそもあの原発では東京のための電気を作っていて、福島のためにあるのではない(福島は東北電力から電気を買っている)。現在、国及び東電に対して裁判を起こしているが、これは私たちが「ふるさとを失った事」と「低線量被曝にさらされること」でもたらされる精神的苦痛に対する賠償を求めている。事故の規模が大きすぎて責任の取り様がないとの意見もあって、個人には内省があればよいかとも思う。しかし、政治家や企業の社長はその立場から内省を表に出すべきだし、「あれは悪い事でした」と辞める事が個人に出来る責任の取り方ではないか。内省を言わない人が多いのも事実。現在、あの原発事故で責任を取って辞めた人はいない。

伊東さんのお話を聞いた後に訪れたいわき自立生活センターは、元々URの新興住宅地として整備されたいわき市中央台高久にあります。この区域に原発事故後避難者の仮設住宅が建てられました。もともと短期間で終わる事を想定し突貫工事で作られた仮設住宅は、すきま風や結露がひどく、壁が薄いためプライバシーも守られないと報告がありましたが、4年が経過した今、老朽化も目に付きます。訪問した1月20日は北風が強く底冷えする日で、あの寒さの中でどう過ごしているのか考えずにいられません。「この辺は避難解除が出された富岡町の避難者住宅です。住んでいた人は結構出て行ったから今は静かだと思うが、富岡とここを行ったり来たりの人も多い。いつまた事故が起きるかもわからないし、向こうだけで暮らすのも難しい。あとは、新しい暮らしを見つけて出て行く若い人もいる」。自立生活センターの長谷川さんが話してくださいました。ひっそりと人影もまばらな仮設住宅地に、それでもいくつかの灯りがついていました。「また来てください。皆さんの歌をみんな楽しみにしています」と、ありがたい言葉を長谷川さんからいただき、帰路につきました。

参加者の声
「初めての『被災地』訪問だったが、仮設住宅にショックを受けた。(東京の)今の生活がありがたいと感じる」
「原発の裁判の話を一生懸命話している事が印象に残った。でも、すぐには終わらない。ライフワークになるんだろうか」
「仮設住宅が小さくて驚いた。「みんな忘れようとしている」という言葉が胸に刺さった。嫌な事は忘れよう、関わりたくないと現地の人ですら思っていしまっている」
「被災者の友人にフェイスブックでこういった活動に関わる事を警告された事がある。その時は驚いたが今回お話を伺って、その複雑さや、もつれた住民感情があることを改めて知った。参考になった。やはり、来る事が大事だと思います」
「一端を見ただけかもしれないけど現実に触れる事ができた。仮設住宅が新興住宅地の中にあり、普通の一軒家がその隣にあることに衝撃を受けた。どんな気持ちだろうか。また、改めて『東京の電気を作っている』と言う話が耳に残った」
「以前来たときより仮設住宅の雰囲気が寂しく変わってきたように見えた」


今回の訪問では被災地で頑張っている皆さんに募金を渡す事ができましたが、後日お礼状と共に「ぜひ原発事故被災地視察においでください。」とありました。福島応援OnSongでは2015年の年間計画として3回の福島訪問を計画しています。これを機会にご一緒しませんか

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