福島応援

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みんなで集まってにっこりわらって

2012年9月11日火曜日

9月11日チラシ①


~不安が常に付きまとう。でも生活もあるし・・・~

福島に暮らす皆さんが話す「今」 

福島から山梨へ「プチ保養」で訪れたユウコさんは、先ず最初に山梨産の野菜と果物を購入し、いわき市の実家に送っていました。「(山梨を訪れた目的を)達成した気がしました」と後日メールにて報告がありました。
福島市に住むレイ子さんは「放射能を何とかしようと除染が始まったんだけど、草木はみんな刈られてそこらを高圧洗浄で流すだけで、あとは出たゴミを白い袋に入れて河原に並べてあるんですよ。それだけ。で、みんな慣れてしまったみたいで、子どもなんかもマスクをしていないですよ。」福島市の除染だけでも全部終わるのに4~5年はかかるそうです。
同じく福島市に住むサチコさんは「今も普通に生活しているんですよ。」と前置きした上で「昔ほど外へは出ないようになったけど、今年の3月くらいまでは本当に出られなかった。子どもなんかかわいそう。外で遊べなくて、うちの孫もノイローゼみたいになっちゃったのよ。そんな子ども達のために、地元の青年団なんかが色んなイベントをしてくれたりして、頑張ってくれていますよ。放射能の影響が出るといっても何年後でしょ。怖いと思っていても頑張っている青年たちがいる前で言えないじゃないですか!。放射能の不安が常に付きまとう。でも生活もあるし。本当に何とかして欲しい」と複雑な胸中を語ってくださいました
福島県内で避難生活を送るカズヤさんは「災害救助法に基づいた支援は県外避難ならあるんです。でも県内避難では支援がない。同じ県民、同じ避難者でも分断され、対立すらしているんです。避難した人間は『逃げた人』って言われるんですよ!。みんな不安の中で生きていて、避難しても結局そこでの生活に耐え切れなくなって地元に戻るケースもあるんです。子どもは慣れて来ちゃっていて姪なんか『放射能ゴッコ』をしているんですよ。カウンターのおもちゃを地面に近づけて「ここは(放射能が)ありませんねー」みたいな。なのに「福島は大丈夫ですよ!」なんて一方的なアピールを客観的なデータもなしにやっちゃっているんです。このまま、放射能への不安や恐怖が風化して、対策もなくなっちゃうんじゃないか心配です。賠償が最終到着点だと思うんですが、それまで自分たちがもつかどうか・・・」
レイコさんが付け加えます「震災と事故が起こった時、兄が重病で入院していて『放射能どころではない』状況でしたが、その兄が亡くなり、今は父の介護をしている。このまま福島で生きて死んでゆくのかな、と思うことがあるんです。福島に生まれ、やっぱり福島で過ごしてゆきたいんです。」

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