福島応援

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みんなで集まってにっこりわらって

2016年4月11日月曜日

2016年4月11日街頭活動チラシ①

~選んで、決める。~


福島応援OnSongは街頭活動のたびにチラシを配布しています。
受け取ってくださる皆さまへの感謝の気持ちと、この活動を通して知ったこと、伝えたいこと、現地の声を掲載し、発行した回数は通し番号としてチラシ右上に記されています(福島応援OnSongの活動は街頭以外でも行っているので、実際の活動回数はこの数に3が足されます)。

毎回150部ほどを配布していますが、常に不足するようになりました。
街頭で活動している私たちに、何らかの興味や関心を持ってチラシを受け取ることを選んでくれた人がそれだけいることだと考えています。目の前に差し出されたものを受け取るのも、拒むのもその人の自由です。むしろ、選択が出来ることこそ自由だということもできるでしょう。

今年の4月1日より電力の自由化が始まりました。

わたし達の暮らしは電気なしでは成り立たちません。
その電気を選べるようになるのです。

東京の電気を作るために福島の原子力発電所は存在し、先の震災で引き起こされた原発事故は東京から離れた福島の人々の暮らしを破壊し今に至っています。
 東京に住む私たちにとって決して無関係ではいられない話です。

この話に胸を痛めている人もいるはずですが、もしも、原子力発電所由来の電気を使わずに済むのであればどうなるのでしょうか(もっとも昨年まで原発ゼロで電気は足りていましたが)。
福島の人々への思いを、自らの反省を、電気を使いながら表すことが出来るのではないでしょうか。

電力の自由化はその可能性を秘めているように思えます。

原発由来の電気を使わない選択が出来るようになれば、東京に住む人々の選択が原発に対する評価として示すことが可能になります。




もちろん、この話には裏があります。

送電線は依然として東京電力がもっており、その使用料を新電力から取ることができます。
新電力の利用料に送電線の使用料も含まれる以上、東京電力=原発に金は流れます。

また、電源構成には表示義務がありません(なぜでしょうね?)。

選択は出来るといって、どちらを選んでも同じであるならば、そこに選択の自由はあるのでしょうか。

しかし、もしも原発の電気の売れ行きが悪くなれば、そうでない電気の商品価値が上がる可能性が出てくるのが市場原理です。

選ぶことが、世の中を動かすのではないでしょうか。

また電気が必須の生活のうえでは「どちらも同じだから“選ばない”」わけにも行きません。

選んでゆく、決めてゆくことが私たちに求められています。

近く行われるであろう選挙もそうです。
情勢は困難を極め、情報は統制され、切羽詰った暮らしの中で考える余裕も無い中で、さらに重大な選択と決断をしなければならないわけですが、必要な事は「知る」ことです。
一人で難しいなら二人で、二人で難しいなら三人で、みんなで。知ること、考えること、伝えること。

出来るなら楽しくやりたい。私たちは、選ぶことが出来る。決めることが出来る。

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