福島応援

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2015年9月11日金曜日

2015年9月11日街頭活動チラシ




~2015年9月5日 避難指示解除~


9月5日に福島県双葉郡楢葉町の避難指示が解除されました。政府が示した2018年3月の帰還宣言に向け事態は粛々と進められていきます。しかし、それは歓迎するべきことなのか。楢葉町の方にうかがいました。
「交通量がかわるね。量が増えたよ。それもダンプやトラックが多い。みんな原発関係だ。」
楢葉町は除染作業ほか、福島第一原子力発電所の廃炉作業に関わる人の宿舎があり、その人口は帰還する予定の町民よりも多いとのことです。大型車両が国道を行き交い、夜もひっきりなしです。

「宿舎は村の端っこあたり、あちこちにある。一ヶ所にまとめる話もあったが進んでいない。昼間はみんな出払っているけど、夜間の交替の人なんかが残っている。おっかなそうな人もいてね・・・」
廃炉作業員は全国から集められ、作業に携わる人は宿舎内での寝泊りのほか、特に街に出てくることは無いそうですが、単身の男性が多く、マスコミもセンセーショナルに伝えています。古くから住んでいた人々にとっては不安を感じさせるものでもあります。

「放射能については何とかなると思っている。試験的に米を作ったけど放射能は検出されなかったから来年から再開する予定。でも、再開する農家は避難前の1割程度しかいなくてね。」
若い人たちは避難先で新しい生活を構築し、移住していく人も多く、戻ってくるのは多くが高齢者です。
「町営住宅とか、雇用促進住宅なんかまだ出来ていないから、そこに住んでいた人は戻れといっても戻るところが無い。そして津波で流された家のかわりになる災害復興住居だって手付かずだ。行政が遅れている。国はOKといっても街としては回復宣言はできないと町長も言っている」。
そして、行政の遅れは命の心配に繋がります。
「高齢者が多いという事は医者が必要で緊急対応も必要ということ。県立病院が来て整形外科と内科ができるというけど、それぞれの医者は週に2,3日しかいないわけだし、救急車だって2台くらいしかない。そして救急病院はいわき市にあって、受け入れ拒否でたらいまわしにされてしまうことだってある。町と市で患者の受け入れ協定を結んでほしいのに、こういうところが遅れている。」
電気や水道等のインフラは整っていても、住むところとしてはゼロからの再スタートとなっています。

そして、町内でそろわない物は結局よそへ買いに行くしかありません。隣町の富岡町はまだ避難解除されていません。楢葉町だけ避難指示解除が出されても、生活は元に戻らないのです。
2011年3月11日の地震による津波は13人の命を奪いました。
しかし、現在の困難の直接原因は東京電力福島第一原子力発電所の事故にあります。
2011年3月12日の朝、楢葉町は全町避難を決め、町民は着のみ着のままで町を離れました。
それから4年半。
何一つ落ち度もなく、営まれていた「普通の暮らし」が突然奪われて、「帰っていい」と返されたふるさとで以前と同じ「普通の暮らし」は困難な状態になっている。
先は見えないし、救いの手も無いのに叫ばれる「復興」の声です。
政府からの補助金も、東京電力からの賠償金も、打ち切りは既に決まっています。

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