福島応援

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2016年6月11日土曜日

2016年6月11日街頭活動チラシ④

~着々と進む。でも誰のために~

「熊本地震でうちらのことなんか吹き飛んじゃった」と仮設住宅の自治会長さんも笑っていましたが、福島をめぐる動きは着々と進んでいます。
河北新報から最近のものをピックアップしてみます。
しかし、現地の声を耳にしていると、いったい誰のため、何のために行われているのか考えざるをえません。

<原発避難>飯舘村に17年3月末解除伝達

 東京電力福島第1原発事故で全村避難する福島県飯舘村について、国の原子力災害現地対策本部は6日、帰還困難区域を除き、帰還に向けた準備宿泊を7月1日に開始し、2017年3月31日に避難指示を解除する方針を村に伝えた。
 解除対象は1770世帯5917人。村が4月、長泥地区(75世帯268人)を除いて来年3月に避難指示を解除し、長期宿泊の形で準備宿泊を7月に始めるよう国に求めていた。村側から異論は出ず、政府方針通り解除日程が近く正式に決まる見通し。
 福島市の仮役場であった村議会全員協議会で、対策本部長の高木陽介経済産業副大臣が「住民説明会や戸別訪問で幅広く意見を伺ってきた」と経緯を説明。菅野典雄村長は「これからが勝負であり、国と協議しながら村を復興させたい」と述べた。
 国は今後、住民説明会を開くなどした後、解除時期を月内に正式決定する。
河北新報OnLine 2016年06月07日火曜日


<原発事故>除染土を道路資材に活用、試験へ

 環境省は7日、東京電力福島第1原発事故で生じた除染廃棄物に関する有識者検討会を開き、除染土を再利用するための基本方針を示した。放射性物質濃度が基準以下となった土壌を道路整備の盛り土材など公共事業で使い、減量化を図る。福島県南相馬市で本年度内に実証試験を始め、2025年度ごろまでの本格的な再利用を目指す。
 国は福島県内の除染廃棄物を大熊、双葉両町に建設される中間貯蔵施設で最長30年保管した後、福島県外で最終処分する。最大2200万立方メートル(東京ドーム18個分)と推定される廃棄物を再利用で大幅に減らし、県外最終処分につなげたい考え。
 基本方針は大筋で了承された。除染土は放射能濃度別に分離。低濃度の土壌について使途を限定した上で、福島県を含む全国の公共事業で使用する。
 土壌を扱う作業員の年間被ばく線量を1ミリシーベルト以下とするため、再利用できる土壌の放射能濃度を1キログラム当たり5000~8000ベクレル以下とする。道路工事に使う場合、住民らの被ばく防止に向け、表面を汚染されていない土で厚く覆う。
 南相馬市での実証試験は、市内の除染廃棄物の仮置き場内で実施する計画。約1800トンの土壌を分別し、安全性の確認やコストの算定を進める。
 同省は濃度別に土壌を分離する技術開発を進め、他地域でも実証試験を行う方針。井上信治副大臣は「安全性の確認と国民の信頼醸成が重要。再利用に理解をいただきたい」と述べた。
河北新報OnLine 2016年06月08日水曜日

2016年6月11日街頭活動チラシ③

~報告・熊本に義捐金を送りました~

2016年4月14日に熊本地方で発生した震度7の地震は周辺に暮らす人々に大きな被害を与え、現在も余震が続いている状況です。
福島応援OnSongでは5月11日の活動で熊本地震被災者のための義捐(ぎえん)金を募り、そこに集ったお金を日本ALS協会熊本支部に寄付させていただきました。
あらためて、日本列島は地震の多い地域であり、そこに暮らすためには何が必要なのか考えさせられます。

2016年6月11日街頭活動チラシ②

~灰色な青い空~

「国と東京電力に法的責任がある」との判決を求める“元の生活をかえせ・原発被害いわき市民訴訟原告団”より原告30人の陳述をまとめた書籍「灰色な青い空」が送られてきました。
原告団の代表である伊東さんには一昨年の6月に勉強会に講師として参加していただき、その時もこの裁判について語っていただきましたが、訴訟から3年半が過ぎた現在もいまだ結審の見通しは立っていないとのことです。

原告の皆さんの声は、すなわち現地に暮らす当事者の声でもあります。本の目次を掲載します。ぜひ目を通してください。

産後2日目、急遽退院せざるを得なかった    小さい子どもを持つお母さん(泉)
お金では到底埋められない、損害は誰の責任で生じたのか    草野 一浩(湘南台)
「ふるさと」にいながら「ふるさと」を失った思い、わかって    小さい子どもを持つお母さん(平)
日本の歴史上最大にして最悪の公害に、歴史に耐えられる判断を    伊東 達也(平)
豊かな里山、安心して農業に携われるような環境に戻して    薗部 晃(鹿島)
この地を捨てて移住することも出来ない    渡辺 義郎(四倉)
豊かないわきを取り戻し、子や孫に手渡してから死にたい    長谷部郁子(内郷)
地震が起きるたびに、「原発は大丈夫か」と考えさせられる    佐藤 三男(常磐)
大切な自然の中での保育が出来なくなった    小野 正子(鹿島)
大人として頑張れる体力を蓄積する時間が奪われた    佐藤 明美(平)
「きれいな好間川にしてほしい」中学2年生だった私の願い    戸板 尚哉(好間)
ホットスポットが里山から子どもたちを遠ざけた    海老根武光(鹿島)
当時妊婦だった人の心配や痛みを少しでも分かってほしい    小さい子どもを持つお母さん(小名浜)
事故後に妊娠が判明、放射能の存在が頭をよぎる    工藤 通子(小名浜)
高齢者が置き去りにされてしまいました。「関連死」と思われる人が何人かいます    佐藤 光義(常磐)
障がい者の避難受け入れ、職員とともに苦闘の連続だった    菅原 隆(平)
福島産の野菜は引き取らない、若い世代の夢を砕いた原発事故    阿部 節子(小名浜)
安全で味のいい野菜を届けるのが誇りだった
山間部のお年寄りの寿命が縮まないか心配    東山 広幸(遠野町)
原発事故当時、高野町の区長をしていました
立場上、自主避難をするわけにはいきませんでした    高萩 民雄(内郷高野町)
大久町は、福島第一原発から南30キロ圏内にある地域です
山は、私にとって「宝の山」でした    佐藤 一雄(大久町)
原発事故前まで、楢葉町のタクシー会社に運転手として勤務していました
私は、障害を持ちながらも、自分が出来る仕事に誇りを持っていました    安斎 輝雄(白鳥町)
和食店を開こうと東京で修行を重ねました
今、常磐沖の魚は、築地では「捨て値」でした取引されない    氏家 裕貴(平吉野谷)
次女夫婦は、孫たちのためにいわきを離れることにした    孫の将来を心配するじいじ(平)
ママ、僕の体には菌が入っているの?
子どもたちもストレスをため、夜泣きをしたり、すぐに兄弟喧嘩に    蛭田 節子(勿来町)
取引先も全て避難してしまい……水産業者は日々闘っています    小川 美郎(中央台飯野)
第11回公判 更新弁論
事故は収束していないし、被害は依然として続いている    伊東 達也(平)
子どもたちの被害の実態を肌で感じてきた保育士として
当たり前の日常を送るという権利を奪ったこと、許せなかった    草野 美由紀(泉町滝尻)
医療従事者の滞在者としての苦しみ、立場上逃げられなかった    矢吹 淑子(鹿島町)
原発事故は生徒の学習や生活に大きな影響を与えています    鈴木 茂男(石森)
日本語を十分に理解できない妻にとって、
放射能がどんなに恐怖であったか    関 耕作(四倉町)
今でも、あの頃のことを思うと涙が出てきます    美容院を営むお母さん(中央台鹿島)


 
“元の生活をかえせ・原発被害いわき市民訴訟原告団”では次の政策実現を求めています

①    特に子どもの健康を維持するための施策を確立すること

②    特に子どもたちが発病した場合には原因論争に終わらせず、安心して治療が受けられるようにすること


③    放射線量を3・11以前に戻すための施策を東京電力と政府の責任で推進すること
 

④    県内の10基の原発は全て廃炉にすること。
 

⑤    いわれなき偏見による差別を出さないように放射能についての学校教育・社会教育を推進すること
問い合わせ先 元の生活をかえせ・原発被害いわき市民訴訟原告団事務局 (0246)27-3322

2016年6月11日街頭活動チラシ①

~「応援」を続ける気持ち~

僕は昭和50年代に広島で学生時代を過ごした。
大学の前に原爆病院があって、そこには動くこともままならない被曝2世の人たちが入っていた。
僕らはそこの患者さんとの交流を持っていたが、彼らはマスコミに載らない、光の当たらない部分だと強く感じた。
当時僕がお世話になっていた会社の社長は「俺は被爆したが、嬉しい時だってあるし、孫ができて幸せに暮らしていると思っている。なのに、いつもカワイソウという目で見られる。被爆者はいつも暗い顔をしていなきゃいけないのか?広島は8月6日になると日本中から人々が集ってくるが、その時だけじゃないか」と語ってくれた。

これもマスコミの伝えない部分だと思う。

現地での暮らし、当事者の思いを伝えなければという使命感みたいなものをこのとき感じている。
福島の話も原爆と繋がっている。
僕の使命感みたいなものから、福島応援をしている(50代、男性)





熊本の地震があって「復興」っていわれているけど、福島には5年経っても戻れない人がいる。
東日本大震災は津波被害が大きかったけど、津波だけだったらまだ復興できたと思う。
原発事故があって、家族が離散して、元の暮らしに戻れない。国に「帰れ」といわれても元の町はないし、自宅に戻っても修理や建て替えが必要で、その費用だってどうやって出すか。
私の田舎の中通りの話だけど、蔵はみんな壊れていたし、所々にブルーシートで覆われた家があって、そこはローンが組めなくて修理の出来ないところだった。跡継ぎがいるところ、代替わりできたところはローンが組めるけど、高齢者だけの世帯はローンが組めなくて家の修繕が出来ないという話だった。

こんな話を黙っているわけには行かないと思う。
向き合わないとね。(70代女性)


「私も福島出身です」といって、毎月多額の募金をしてくれる人がいる。私も福島出身だから、話しているうちに顔馴染みになっちゃって、あの人たちの気持ちに応えるためにも、毎月、決まったときに、福島応援で街頭に立っています。(60代女性)


僕に出来るのは毎月ここにきて歌うことくらいだけど、それでも何かの意思表示にはなっていると思う。
そこにみんなが集れば、それだけでも力になると思う。
ここにくれば、今まで知らなかった話も聞くことが出来るし、無力な自分が今できることが「応援」だと思う。(40代男性)

2016年5月11日水曜日

2016年5月11日街頭活動チラシ②

~ある日から、80倍~

今年の4月28日、環境省は放射能汚染された指定廃棄物(汚泥、焼却灰、麦わら、堆肥など)の基準値を1キロ当たり8000ベクレルに定めました。

それまではキロ当たり100ベクレル以下だったものですから、基準値は80倍に緩和されたことになります。
指定廃棄物はその危険性から国が保管を義務付けて勝手には動かせないものですが、これにより「安全」と判断され、他所に動かし処分することが可能になります。

これまでも、震災で出たガレキなど放射性廃棄物は1キロ当たり8000ベクレル以下であれば、普通の廃棄物と同じ処分方法が取られています。
そして、今後は放射能汚染された土でも、キロ当たり8000ベクレルを下回っていれば公共事業に使えるとのこと。

「キロ当たり」という事は猛烈に汚染された廃棄物でも、他の物で薄めて基準値以下になれば良いということでもあります。

福島県楢葉町を訪れたとき、うずたかく積まれた無数のフレコンパック(家屋の解体や除染で出た放射性廃棄物が入っている)に圧倒されました。
「あれをどうするのか。私たちの見えないところへやって欲しい」との痛切な訴えを聞きました。

そして、国から出た答えがこれです。

ある日から、基準が80倍に緩和され、モノが動き出す。
 キロ当たり8000ベクレル以下の廃棄物は、処理に当たってその費用は国から出されるとのことです。
“通常の廃棄物処理”ということならば日本全国どこでやっても良いわけで、その上で国が費用負担をしてくれるのならば、処理に関わる事業者には大きなビジネスチャンスかもしれません。

2020年にオリンピックが開催され、それまでに除染や廃棄物の問題をどうにかすると国は言っています。

そして、そのための方策が環境省から出されたキロ当たり8000ベクレル基準だといえます。

廃棄物は薄められて全国で処理され、確かに被災地から廃棄物は無くなるかもしれません。
しかし、何か大切なものが抜けています。

安全性です。

ある日を境に基準を80倍まで緩和するこの姿勢は安全をおざなりにしていないか。
もちろん、廃棄物の処理には向き合わなければなりません。

2016年5月11日街頭活動チラシ①

~H28熊本地震~

2016年4月14日木曜日の深夜に熊本県益城町直下で起きた震度7の地震は、前触れでしかありませんでした。

その後さらに大きな地震が起き、多くの人が命を落としました。

地震は続き、3週間が経とうとする現在でも熊本、大分で震度4を記録する地震が起きています。
地震がいつ収束するのかわからないまま、現地の生活は再スタートを切り始めましたが、復興をスタートさせられないまま時間が過ぎています。

幸い津波はありませんでしたが、揺れ続ける大地の上、熊本、大分の人々は不安におののきながら暮らしています。

福島応援OnSongは難病ALS患者である佐々木公一さんの呼びかけからスタートしました。

ここでの募金は今まで、福島の難病患者への応援としてお見舞いや交流にも使われています。

今回は熊本の地震に苦しむ難病の方への応援のための募金も行っています。
被害の規模でも数でもなく、地震により苦しい立場に居る人々に対して心を寄せ、声をかけ、応援してゆくことが、わたしたちに出来ることだと思います。

「福島」応援OnSongではありますが、この応援は苦しむ全ての人々に届けてゆきたい。

福島応援OnSongのきっかけは東日本大震災と東京電力福島原子力発電所の事故ですが、この活動を続けてゆくことで、地震が起こるという事はどういうことか、震災に遭うとはどういうことか、復興とはどういうことか、私たちは知ることが出来ました。

そして知ることの大切さとそれを伝えることの重要性を感じます。

改めて、「福島を考える事は日本の未来を考えること」であると思います。
日本列島は自然災害の多い地域であり、そこに私たちは暮らしている。

自然の前に人間の存在はあまりにちっぽけなものです。
それでも、私たちは暮らしてきたし、これからも暮らしてゆかなければならない。

ならば、それを前提とした安全の確保をしてゆかなければならないのではないでしょうか。

しかし、福島に私たちは何を学んだのか。

熊本に何を学ぶのか。

今回の熊本の地震は大きな地震が連続して起きています。
今までにない「想定外(どこかで聞いた言葉ですね)」の事態です。

「地震だ、火を消せ」といいます。
ならば、なぜ原子力発電所は停めないのか。

2016年4月11日月曜日

2016年4月11日街頭活動チラシ③

人間は自らが否定されている事に対して防衛的になるが肯定されていることに対しては受け入れるようになるという話を聞いて、なるほどと感じました。

子どもに対しても「ダメだ」と叱るより褒めて伸ばすほうが効果的であることを思い出しました。

わたしたちの運動も「許さない」「NO!」というよりも「こうしたい!」「こうすると楽しい」(「どうしてできないの?」)と言ったほうが効果的なのかな。

ならば、希望と喜びをみんなに伝えて行こう。怒りは大切だとしても(編)

2016年4月11日定期活動チラシ②

~いわきからのメッセージ~

いわき自立生活センターの長谷川さん、そして福島市から札幌へ自主避難された難病ALS患者の佐川さんより3.11のメッセージをいただきました。一月遅れではありますが、ここに掲載させていただきます。福島応援OnSongへのエールもいただきました。有難うございます

早いもので、あの日から5年の月日が過ぎようとしています。
2万人もの人々の命を奪った地震・津波。そして今なお10万人もの人々が避難生活を強いられている東京電力福島第一原発の事故。
福島は、この2つの被災者を抱え、厳しい復興の道を歩んでいます。
 

3.11を前にして、テレビで原発事故の特集が組まれていますが、「原発問題では、視聴率が取れない」のだそうです。多くの国民は、原発事故を「過去のもの」として、忘れ去りたいのでしょうか?
でも、日本全国に(正確に言えば沖縄を除いて)原発があちこちにあり、皆「原発周辺住民」であることに目を向けてください。福島で起きたことは、明日は我が身かもしれません。
 

原発事故は、福島の人口減少に拍車を掛けました。とりわけ若い世代に、それは顕著に表れています。その結果、介護職員の不足が深刻化しています。日常的に、トイレや食事などの介助が必要な、重度の障がい者の生活が、危機的状態になっています。南相馬市社会福祉協議会のヘルパーステーションは、一人のヘルパーが、1日10軒の障がい者宅に介助で訪れるケースも出てきているそうです。
 

必死でがんばっているヘルパーの健康が心配です。
福島応援ONソングの皆さんは、毎月11日にこの場所で、被災地への募金活動を行ってきたそうです。猛暑の夏も、凍てつく冬も、雨の日も、風の日もこの場所に立ち続け、募金を訴えられてきたことに、本当に頭が下がる思いです。ありがとうございました。
都民の皆さん、これからも、東北の3.11被災者へのご支援を、よろしくお願いします。



 





「佐川優子です
札幌でも、311の行事があります。私は、やっと環境に慣れました。テレビニュースで放送していますが避難者に対しては、福島県が住宅支援を打ち切ります。来年は、部屋を出るか高額の家賃を覚悟しなければならない。テレビで~あの日私は~番組を見ます。テレビでの放送は、現実に起こったことです。佐川は、緊急避難は避けられた。幸せです。今後を考えますと不安が大きいです。」

2016年4月11日街頭活動チラシ①

~選んで、決める。~


福島応援OnSongは街頭活動のたびにチラシを配布しています。
受け取ってくださる皆さまへの感謝の気持ちと、この活動を通して知ったこと、伝えたいこと、現地の声を掲載し、発行した回数は通し番号としてチラシ右上に記されています(福島応援OnSongの活動は街頭以外でも行っているので、実際の活動回数はこの数に3が足されます)。

毎回150部ほどを配布していますが、常に不足するようになりました。
街頭で活動している私たちに、何らかの興味や関心を持ってチラシを受け取ることを選んでくれた人がそれだけいることだと考えています。目の前に差し出されたものを受け取るのも、拒むのもその人の自由です。むしろ、選択が出来ることこそ自由だということもできるでしょう。

今年の4月1日より電力の自由化が始まりました。

わたし達の暮らしは電気なしでは成り立たちません。
その電気を選べるようになるのです。

東京の電気を作るために福島の原子力発電所は存在し、先の震災で引き起こされた原発事故は東京から離れた福島の人々の暮らしを破壊し今に至っています。
 東京に住む私たちにとって決して無関係ではいられない話です。

この話に胸を痛めている人もいるはずですが、もしも、原子力発電所由来の電気を使わずに済むのであればどうなるのでしょうか(もっとも昨年まで原発ゼロで電気は足りていましたが)。
福島の人々への思いを、自らの反省を、電気を使いながら表すことが出来るのではないでしょうか。

電力の自由化はその可能性を秘めているように思えます。

原発由来の電気を使わない選択が出来るようになれば、東京に住む人々の選択が原発に対する評価として示すことが可能になります。




もちろん、この話には裏があります。

送電線は依然として東京電力がもっており、その使用料を新電力から取ることができます。
新電力の利用料に送電線の使用料も含まれる以上、東京電力=原発に金は流れます。

また、電源構成には表示義務がありません(なぜでしょうね?)。

選択は出来るといって、どちらを選んでも同じであるならば、そこに選択の自由はあるのでしょうか。

しかし、もしも原発の電気の売れ行きが悪くなれば、そうでない電気の商品価値が上がる可能性が出てくるのが市場原理です。

選ぶことが、世の中を動かすのではないでしょうか。

また電気が必須の生活のうえでは「どちらも同じだから“選ばない”」わけにも行きません。

選んでゆく、決めてゆくことが私たちに求められています。

近く行われるであろう選挙もそうです。
情勢は困難を極め、情報は統制され、切羽詰った暮らしの中で考える余裕も無い中で、さらに重大な選択と決断をしなければならないわけですが、必要な事は「知る」ことです。
一人で難しいなら二人で、二人で難しいなら三人で、みんなで。知ること、考えること、伝えること。

出来るなら楽しくやりたい。私たちは、選ぶことが出来る。決めることが出来る。

2016年3月12日土曜日

2016年3月11日街頭活動チラシ③

核事故がどのような苦難を人々に与えるかを知っていながら、

まるで、あの東京電力福島第一原子力発電所の事故が無かったかのように、

川内原発が、そして高浜原発が再稼動されました。

福島の人々の苦しみは無かったものなのか、

応援する気持ちは無駄なのか。

しかし、高浜原発は漏水事故、そして緊急停止と事故が続き、

3月9日に裁判所より運転差し止めの仮処分が出されました。

老朽化した原発は長期停止からの再稼動で無事故だった事は過去に無く、

動かしても核のゴミは増え続ける一方、

そして、法的に動かす事はこれで出来なくなりました。


無理を通して道理を引っ込めても、どこかで綻びが生じる。
結局「再稼動は無理である」ことが世に示されたのだと思います。
世の中は確実に動いています(編)

2016年3月11日街頭活動チラシ②

~あれから5年・佐々木公一さんのアピール~

「福島県浜通りを縦断する国道6号。沿道の所々に紅白の梅が咲いている。季節の移りを知らせる自然のめぐり。しかし、そこに人の営みはない。朽ち果てた家や商店。雑草に埋もれた田畑。残された看板だけが、、、(投稿から)」

 日曜日にNHKであれ以来5年無人の町浪江町などの様子が写されました。福島の避難区域にはアライグマ、ハクビシン、イノシシの繁殖がすすみ、猿の筋肉はセシウムの蓄積がひどく、骨髄の細胞数が減っているという事実を報道する。普通空き家はすぐにだめになるのですが、浪江町の空き家はイノシシの家族連れの寝床になっていました。ぼろぼろです。

しかも「山林は除染せず」の国の方針により家の周りは放射能にあふれています。

 こういう中で事件が起きます。福島の放射能で汚染された田畑。出荷停止のFAXが届いた翌日樽川和也氏のお父さんは命を絶った。「5年の節目だとか、そういうふうに周りは言ってるけど」 「うちらからしたら、ただ月日が流れただけ」 「5年たって、怒りだけです。込み上げるのは」


 こんな時大津地裁が高浜原発3,4号機の運転差し止め決定を下した。

周辺自治体の同意も避難計画もなく、免震棟も建てず、冷却水漏れもボルトの緩みで済ませ、運転3日で緊急停止などおよそ再起動の資格はない。

地裁判決に「福島第一原発事故の反省不十分」の項目が重い。
みなさん頑張りましょう!
 佐々木公一

2016年3月11日街頭活動チラシ①

~1年、3年、5年、10年~

毎月11日、14時から15時まで、
府中の街頭にて福島の震災と原発事故の被害に遭っている人々を応援している福島応援OnSongは、
震災と原発事故のあった2011年の5月にスタートし、12月よりこのフォーリス前に立って街頭活動を続けています。

色紙を集めて福島に贈る。

ヘルパーを被災地に送れないか。

訪問して現地の難病患者と交流して応援を届けよう。

自主避難された方々の話を伝えよう。

現地の福祉施設を訪問して歌を届けよう。

帰還が進められる仮設住宅や変わり果てた彼らの古里を訪問して、事実を街角のみんなに伝えよう。

街頭で集った一人ひとりの応援の気持ち、それを福島に届けて、それをまた街頭で歌と共に道行く人に伝える。それを続けてきました。

一人の難病患者の提案から始まった活動は、
回を重ねていくごとに誰かの思いと繋がって、
輪となって大きくなっていきました。

震災や原発事故に対する風化の速さや

「なかったこと」にしたい様々な思惑が私たち自身の暮らしの中に根付いていることに、

時にはくじけそうになりながら、

応援を続けることが自分たちも含めた人々の力となることを皆で感じています。


継続は力なり。

ここに集るみんなが繋がっている。

独りじゃない。

復興も、廃炉も、まだまだずっと続いていきます。
311は特別な日ですが、この日だけが特別なわけでもありません。

人々が安全で平和な日々を作り上げる道のりは
5年、10年、20年、40年、80年、160年と続いていくものではないでしょうか。

応援は続きます。

2016年2月11日木曜日

2016年2月11日街頭活動チラシ おまけ

「ただちに健康被害はない」と官房長官が説明してから5年が経とうとしています。

現時点で152人の小児甲状腺がんが見つかり、しかしそれは「原発事故由来ではない」とされています。

では、これからどうなるのでしょうか。

チェルノブイリでは事故の4年後にがんの爆発的な増加が見られています。

その一方で、放射線量の基準値は上げられ、しかし、そんなふるさとへ戻って残りの人生を過ごしたい高齢者や、戻るしか道のない人々がいます。


そして、原発再稼動がはじまり、また同じことが起こりうる話となりました(編)

2016年2月11日街頭活動チラシ③

~風化、薄れる記憶~

東日本大震災、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故から5年が過ぎました。

「地震や津波からの復興だったらまだ何とかなると思うが、原発事故は相手が放射能だから、復興にしても難しさが全然違う」と現地の話を伺いました。

しかし現在、日本国内では川内原発1号機、2号機、そして高浜原発3号機が再稼動を始めました。

原発事故が何をもたらすか。

わたしたちが目の当たりにしているこの事実はすでに風化してきています。

5年前に福島応援OnSongが始まったときに、「相手は放射能。長期戦になる」との意見がありましたが、まさかこのような状況が訪れるとは思っていませんでした。

こうまでして、原発事故とその困難を「なかったこと」にしたいのは何故なのか、誰なのか。

原子力発電所は、わたしたちの使っている電気を作っています。

2016年2月11日街頭活動チラシ②

~弱者が追いやられる構図~

<原発事故>介護事業所「条件整えば帰還」5割
 東京電力福島第1原発事故で休業や移転を余儀なくされている福島県双葉郡8町村の介護事業所42カ所のうち、5年以内に地元町村での再開を予定しているのは7カ所(16.7%)にとどまることが県の意向調査で分かった。13カ所(30.9%)は地元以外での再開を希望し、22カ所(52.4%)は条件が整えば帰還すると回答した。
 地元での再開を望む22カ所が挙げた前提条件(複数回答)として最も多かったのは「住民帰還」で20カ所。「生活インフラの復旧・整備」は18カ所、「除染の完了」が15カ所だった。
 自由記載欄には「町内で働く人が少ないため、人員配置基準を緩和してほしい」「要介護度が高い利用者が多く、医療機関が少ない所には帰れない」といった要望や意見が寄せられた。
 県によると、震災前に双葉郡にあった100カ所の介護事業所のうち、10カ所が地元で再開し、28カ所が地元以外に移転した。意向調査は廃業した事業所を除く58カ所を対象に実施し、1月25日までに52カ所から回答を得た。(2016年02月08日月曜日)
河北新報OnLine  http://www.kahoku.co.jp/special/spe1090/20160208_01.html

福島応援OnSongは難病患者が発起人と言うこともあり介護や福祉に関わる人が多くいて、この記事はとても身につまされる話です。
少子高齢化が進む中、東京においては人口が集中し介護需要は高まっているものの報酬の少なさから担い手が集らない状況ですが、それでも圧倒的に人間の数は多く「何とかなって」います。
原発事故により避難を強いられている人々のうち、故郷へ戻ろうとする人の多くは高齢者です。
また、障害があったり、もともと住む家がなかった人などは、避難解除が出されて仮設住宅にいられなくなると戻らざるを得なくなります。
若い人や元気な人、力のある人は避難先や移住先で新しい仕事や暮らしを得て戻らないことが多く、結果として、帰還できるようになったとしても高齢者や障害者など社会的に弱い立場の人々が大半を占める少人数の町が出来上がっていきます。

その暮らしを支える介護事業所も半数は戻って来れない状況を記事は伝えています。

戻ってくるためには、もっとたくさんの人々が帰還し、暮らしのインフラが整い、そして、放射能の心配をなくす(除染)必要があります。
また、放射線量の基準値が20倍に引き上げられている中、ホットスポットなどがある地域にヘルパーを派遣させることができるか事業者は悩んでいます。

現在の帰還とは、賠償金を打ち切りたい東京電力と、人口流出を防ぎたい行政と、原発事故を小さく収めたい政府の三者の都合が重なり、弱い立場の人々がそこに追いやられている状況なのではないでしょうか。

2016年2月11日街頭活動チラシ①

~ゴールはどこか~


原子力発電所の事故は、何を持って収束とみなすのでしょうか。

単純に考えれば、撒き散らされた放射性物質を除去し、その源を封じ、二度と放射性物質が生じたりばら撒かれないようにすることでしょう。つまり放射能の除去と二度と事故を起こさないようにすることです。

福島第一原子力発電所の事故に対し東京電力は廃炉を決めて収束に向けてのロードマップを公表しており、その期間を30年から40年と見積もっています。途方もなく長いようにも思えますが、実際は40年でそれは可能なのでしょうか。
東京電力のロードマップにも「工法の検討 等」「処分方法の検討 等」とあり、さらには「処理処分の技術的見通し」は2021年以降に立てる予定となっています。

何も決まっていないのです。

同じくレベル7の核事故が起きたチェルノブイリでは、メルトダウンした核燃料の放射線が外に出ないように鉛とセメントの“石棺”を事故から30年経った今も作り続けています。
封じ込めるだけで30年かかっているのです。福島第一原子力発電所においては、1号炉、2号炉、3号炉で核燃料が溶け落ち、炉の下部を突き破り、さらには土台すらも突き抜けて、どこにどのような状態であるのかがわかりません。しかも、核反応は続いたまま大量の放射線を出し続けています。
そして、そこに地下水が流れ込み、大量の核汚染された水を出し続けています。
地下水を止めるために凍土壁と遮水壁を作ったものの、1日400トンの汚染水が増え続けています。
汚染水はタンクに貯められ、浄化して外へ排出する手順になっていますが処理量が追いつきません。

水だけではありません。

ここで出た廃棄物をどこへ保管するか決まっていません。
溶け落ちた核燃料を取り出せたとして、それを保管する場所も技術もまだありません。
除染で出た廃棄物も同様です。
40年どころか、100年経っても収束には至らないのではないでしょうか。


でも、わたし達はそこに向き合い、克服していく必要があります。


今現在も、廃炉作業に多くの人が放射線にさらされながら従事しています。


その間、暮らしを脅かされる人がいます。


苦しい暮らしを強いられている人がいます。


あるものはふるさとを奪われ、あるものは、不安の中帰還を促され、あるものは去らざるを得なく
なっています。


今現在、福島県では10万人が避難生活を強いられています。


原子力発電所が事故を起こす=核事故とはこういうものであるという事を、わたし達は目の当たりにしています。

ゴールはどこにあるのでしょうか。
100年、いや、それ以上先でしょうか。

にもかかわらず、原子力発電所の再稼動が始まりました。

事故が起きれば同じ苦しみが繰り返されるのに。

そして、原子力発電所は使用済みの核燃料=核のゴミをだします。
この核のゴミは、無毒になるまで数万年かかり、その間安全に保管されなければなりません。
原子炉が稼動すれば、核のゴミは増え続けます。

わたし達は、ゴールをどんどん遠くに追いやってしまっています。

2016年1月11日月曜日

2016年1月11日街頭活動チラシ⑦

「事故を起こしたのは東京電力の原子力発電所だ。東京電力は東京の電気を作っていた。我々の電気を作っているのではない。その東京電力が起こした事故で我々は迷惑を被っていることに対して、東京に住む人間は無関係でいられるのか」。

福島で耳にした言葉です。

その福島訪問の帰途、首都高に入る途端に開ける光の街にため息が出ます。

原子力発電所の電気がなくてもこの光の街は維持されているのです。

だとすれば、原発事故の被害にさらされているあの人たちの苦しみは何なのか。
そうさせたのは何か考えざるを得ません。

これは私たちの問題です。(編)

2016年1月11日街頭活動チラシ⑥

【それを阻むもの】

東京電力福島第一原子力発電所の事故はレベル7の大事故です。
3つの原子炉で核燃料が溶け落ち、その状態は現在の技術では把握できません。
あまりにも強い放射線量の中、人間は近寄ることが出来ず、今はただ水で冷却し続け、再臨界を防ぐことしか出来ません。
冷却した水は核汚染されるため貯蔵するしかなく、また、地下水も流れ込んでくるためその量は増える一方です。
核汚染された水を貯蔵するタンクも核汚染されます。
廃炉作業に技術の困難が立ちはだかります。
廃炉作業に関わる人間も常に被曝しており、関われる技術者にも限りがあります。
作業で使われた衣類、器具、汚染水を貯めたタンク、全て汚染されていますが、廃棄物をどこで処分するのか決まっていません。

一企業、いや一つの国で対応するにも限界がすでにあります。

全国から、国外から知恵を集めて対応するしかない状況ですが、何が起きているのか政府も東京電力も隠蔽します。
原子力発電は国策として税金が投入されています。
国民の税金が原子力産業に関わる人々に回る仕組みが出来上がっています。
そして、その良し悪しを何も知らない国民は判断が出来ない状況が作られています。

マスコミも知らせようとはしません。

そして、この大事故と被害にもかかわらず、現時点で誰も責任を取っていません。

さらに、国民の耳目はもう「東京オリンピック」に向けられています。

5年の月日が流れました。

2016年1月11日街頭活動チラシ⑤

【未来のために】

「放射能と放射性物質の違いはわかりますか?私たちは暮らしてゆくために放射能の勉強会もやっている。」
福島では米の一粒まで検査を行い、世界最高レベルのろ過装置で水の安全を確保しながら、ふるさとで暮らしてゆくために放射能と向き合っています。
しかし、個人や自治会レベルで出来ることには限界があります。国は何の根拠も示さず放射線量の基準値を20倍に上げました(年間20mSV)。

不安はつのります。

結局、事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所の1号炉、2号炉、3号炉の溶け落ちた核燃料を取り出して封じ込め、ばら撒かれた放射性物質をすべて除染するしか解決策はありません。
しかし、今は除染した廃棄物をどこに処分するのかすら決まっていません。
原子力発電所が事故を起こすということはどういうことかを、今私たちは目の当たりにしています。

未来のために、これを克服する知恵、そして事故を起こさない知恵が求められています

2016年1月11日街頭活動チラシ④

【住んでいた町は】

避難指示区域に於いては除染をして、役所の決めた予定どおりに避難指示が解除されていきます。
核汚染の不安もさることながら、4年以上も離れた家は、すっかりガタガタになっています。
修繕や改築が必要ですが、その費用は個人で負うところが多く、さらに職人が足りません。

資材も足りません。

人もモノも、復興事業や「国土強靭化計画」におけるスーパー堤防の建設、そして都心部の開発や東京オリンピックに流れています。

もともと商店が少なく、スーパーなどがあった富岡町はまだ避難指示が解除されておらず入ることが出来ず、生活は今までどおりというわけにはいきません。
最近やっと病院が開業したことが良いニュースです。
そして、町内には除染作業員や廃炉作業員の宿舎がたくさんでき、町に住む人も変わってきました。
5年の歳月の中、避難先から新天地に向けてふるさとを離れる人も多く、元いた町に戻るのは高齢者が多いとの事です。

社会的に弱い立場に居る人ほど「戻らざるを得ない」状況に追い込まれ、帰っても元の暮らしに戻ることが難しい状況にあります。