~「応援」を続ける気持ち~
僕は昭和50年代に広島で学生時代を過ごした。大学の前に原爆病院があって、そこには動くこともままならない被曝2世の人たちが入っていた。
僕らはそこの患者さんとの交流を持っていたが、彼らはマスコミに載らない、光の当たらない部分だと強く感じた。
当時僕がお世話になっていた会社の社長は「俺は被爆したが、嬉しい時だってあるし、孫ができて幸せに暮らしていると思っている。なのに、いつもカワイソウという目で見られる。被爆者はいつも暗い顔をしていなきゃいけないのか?広島は8月6日になると日本中から人々が集ってくるが、その時だけじゃないか」と語ってくれた。
これもマスコミの伝えない部分だと思う。
現地での暮らし、当事者の思いを伝えなければという使命感みたいなものをこのとき感じている。
福島の話も原爆と繋がっている。
僕の使命感みたいなものから、福島応援をしている(50代、男性)
熊本の地震があって「復興」っていわれているけど、福島には5年経っても戻れない人がいる。
東日本大震災は津波被害が大きかったけど、津波だけだったらまだ復興できたと思う。
原発事故があって、家族が離散して、元の暮らしに戻れない。国に「帰れ」といわれても元の町はないし、自宅に戻っても修理や建て替えが必要で、その費用だってどうやって出すか。
私の田舎の中通りの話だけど、蔵はみんな壊れていたし、所々にブルーシートで覆われた家があって、そこはローンが組めなくて修理の出来ないところだった。跡継ぎがいるところ、代替わりできたところはローンが組めるけど、高齢者だけの世帯はローンが組めなくて家の修繕が出来ないという話だった。
こんな話を黙っているわけには行かないと思う。
向き合わないとね。(70代女性)
「私も福島出身です」といって、毎月多額の募金をしてくれる人がいる。私も福島出身だから、話しているうちに顔馴染みになっちゃって、あの人たちの気持ちに応えるためにも、毎月、決まったときに、福島応援で街頭に立っています。(60代女性)
僕に出来るのは毎月ここにきて歌うことくらいだけど、それでも何かの意思表示にはなっていると思う。
そこにみんなが集れば、それだけでも力になると思う。
ここにくれば、今まで知らなかった話も聞くことが出来るし、無力な自分が今できることが「応援」だと思う。(40代男性)
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