福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2012年9月11日火曜日

9月11日チラシ③


山梨ミーティング報告

「自分の思いを皆さんが聞いてくださったことが良かった」

昨年8月に活動を開始してから1年が過ぎ「福島応援onsong」に関わる人々が増え、寄付も集まるようになってきました。また、福島の皆さんと交流を重ねていくうちに、何が必要とされ何に応えることができるのかが、少しずつ明らかになってきました。音楽と色紙による応援から一歩踏み出した活動に私たちは取り組もうとしています。その様な中、8月29日から3日間にわたり、山梨県北杜市にある民家を借りて福島のALS患者佐川さん一行と東京のALS患者佐々木さん一行、そこに大学生のボランティアも加わり福島応援ミーティングが開かれました。山梨での「プチ移住(福島で療養中の難病患者に短期療養をしていただく)」を試行する為です。
この民家は別荘として建てられており、バリアフリーではありません。そこで、車椅子で利用できるようスロープなどを取り付けるなどの対応をして、実際に宿泊をしてみることで何が必要かを確認してゆくことが今回の目的でしたが、それ以上に参加した皆さんが得るものは大きかったようです。
福島から来た佐川さん一行は「あたりまえの生活がここ(山梨)では出来ました。マスクなしで放射能の心配もなく散歩でき、食べ物も食べられる。こんなことが福島では出来ないんです。と」感想を述べられていました。「山梨の食材がおいしい。皆さんでテーブルをかこんでの食事が最高でした」「リフレッシュできました」そして「自分の思いを皆さんが聞いてくださったことが良かった」と仲間といることの良さを話してくださいました。ボランティアの学生さんは「コミュニケーションの大切さ、連携の大切さと必要性を改めて感じました」と自らの学びを振り返っています。

9月11日チラシ②


 <県外避難者の立場から>中手聖一さんからの寄稿

福島を離れた私が語れるのは、被災者皆の権利についてです。そのことを書きました。
福島原発事故により、すでに十万人以上の県外避難者が出ています。その多くは、子どもと父親が離れ離れの、母子避難の人たちです。しかも大部分の人が何の生活保障もされずに放置されている自主避難者の人たちなのです。
 また、福島の放射能汚染地帯には今も百数十万人の人々が残っています。リスクを理解した上でとどまっている人、本当は避難したいのにできずにいる人、良くわからないままにいる人、何の本質的な解決のないまま、それぞれが苦難の中で生活しています。
 放射能の健康被害については、あまりにも意見が分かれています。未解明のリスクに対して、私たちは苦渋の中で、留まるか、避難するかの自己選択をしなければなりません。そのいずれの選択も尊重されなければなりません。どのような選択に対しても、誰も間違っているなどとは言えないのですから。
 原発事故の責任は、東京電力だけでなく、推進してきた日本政府にもあります。政府は被災者に対して、避難/残留いずれの場合であっても、可能な限りの支援をする義務があります。
 私たちは、誰にも媚びることなく、堂々と日本政府に要求します。原発事故により新たに生じた生活ニーズは、すべて保障せよと。私たち原発事故の被災者は、人間らしく、自分らしく生きる権利を今も変わらずに持っているのです。
中手聖一

9月11日チラシ①


~不安が常に付きまとう。でも生活もあるし・・・~

福島に暮らす皆さんが話す「今」 

福島から山梨へ「プチ保養」で訪れたユウコさんは、先ず最初に山梨産の野菜と果物を購入し、いわき市の実家に送っていました。「(山梨を訪れた目的を)達成した気がしました」と後日メールにて報告がありました。
福島市に住むレイ子さんは「放射能を何とかしようと除染が始まったんだけど、草木はみんな刈られてそこらを高圧洗浄で流すだけで、あとは出たゴミを白い袋に入れて河原に並べてあるんですよ。それだけ。で、みんな慣れてしまったみたいで、子どもなんかもマスクをしていないですよ。」福島市の除染だけでも全部終わるのに4~5年はかかるそうです。
同じく福島市に住むサチコさんは「今も普通に生活しているんですよ。」と前置きした上で「昔ほど外へは出ないようになったけど、今年の3月くらいまでは本当に出られなかった。子どもなんかかわいそう。外で遊べなくて、うちの孫もノイローゼみたいになっちゃったのよ。そんな子ども達のために、地元の青年団なんかが色んなイベントをしてくれたりして、頑張ってくれていますよ。放射能の影響が出るといっても何年後でしょ。怖いと思っていても頑張っている青年たちがいる前で言えないじゃないですか!。放射能の不安が常に付きまとう。でも生活もあるし。本当に何とかして欲しい」と複雑な胸中を語ってくださいました
福島県内で避難生活を送るカズヤさんは「災害救助法に基づいた支援は県外避難ならあるんです。でも県内避難では支援がない。同じ県民、同じ避難者でも分断され、対立すらしているんです。避難した人間は『逃げた人』って言われるんですよ!。みんな不安の中で生きていて、避難しても結局そこでの生活に耐え切れなくなって地元に戻るケースもあるんです。子どもは慣れて来ちゃっていて姪なんか『放射能ゴッコ』をしているんですよ。カウンターのおもちゃを地面に近づけて「ここは(放射能が)ありませんねー」みたいな。なのに「福島は大丈夫ですよ!」なんて一方的なアピールを客観的なデータもなしにやっちゃっているんです。このまま、放射能への不安や恐怖が風化して、対策もなくなっちゃうんじゃないか心配です。賠償が最終到着点だと思うんですが、それまで自分たちがもつかどうか・・・」
レイコさんが付け加えます「震災と事故が起こった時、兄が重病で入院していて『放射能どころではない』状況でしたが、その兄が亡くなり、今は父の介護をしている。このまま福島で生きて死んでゆくのかな、と思うことがあるんです。福島に生まれ、やっぱり福島で過ごしてゆきたいんです。」