「事故を起こしたのは東京電力の原子力発電所だ。東京電力は東京の電気を作っていた。我々の電気を作っているのではない。その東京電力が起こした事故で我々は迷惑を被っていることに対して、東京に住む人間は無関係でいられるのか」。
福島で耳にした言葉です。
その福島訪問の帰途、首都高に入る途端に開ける光の街にため息が出ます。
原子力発電所の電気がなくてもこの光の街は維持されているのです。
だとすれば、原発事故の被害にさらされているあの人たちの苦しみは何なのか。
そうさせたのは何か考えざるを得ません。
これは私たちの問題です。(編)
私たちは福島応援 on songというチームをつくり 1.福島第一原発事故を風化させない。 2.歌で福島県応援 3.当面福島県在住ALS患者に色紙を届ける。4.応援募金 を目的に毎月11日の午後二時から三時にかけて街頭活動を頑張っています。 大震災、津波に原発事故という未曾有の苦しみの福島県を応援することは日本の未来と向き合う事でもあります。
福島応援

みんなで集まってにっこりわらって
2016年1月11日月曜日
2016年1月11日街頭活動チラシ⑥
【それを阻むもの】
東京電力福島第一原子力発電所の事故はレベル7の大事故です。3つの原子炉で核燃料が溶け落ち、その状態は現在の技術では把握できません。
あまりにも強い放射線量の中、人間は近寄ることが出来ず、今はただ水で冷却し続け、再臨界を防ぐことしか出来ません。
冷却した水は核汚染されるため貯蔵するしかなく、また、地下水も流れ込んでくるためその量は増える一方です。
核汚染された水を貯蔵するタンクも核汚染されます。
廃炉作業に技術の困難が立ちはだかります。
廃炉作業に関わる人間も常に被曝しており、関われる技術者にも限りがあります。
作業で使われた衣類、器具、汚染水を貯めたタンク、全て汚染されていますが、廃棄物をどこで処分するのか決まっていません。
一企業、いや一つの国で対応するにも限界がすでにあります。
全国から、国外から知恵を集めて対応するしかない状況ですが、何が起きているのか政府も東京電力も隠蔽します。
原子力発電は国策として税金が投入されています。
国民の税金が原子力産業に関わる人々に回る仕組みが出来上がっています。
そして、その良し悪しを何も知らない国民は判断が出来ない状況が作られています。
マスコミも知らせようとはしません。
そして、この大事故と被害にもかかわらず、現時点で誰も責任を取っていません。
さらに、国民の耳目はもう「東京オリンピック」に向けられています。
5年の月日が流れました。
2016年1月11日街頭活動チラシ⑤
【未来のために】
「放射能と放射性物質の違いはわかりますか?私たちは暮らしてゆくために放射能の勉強会もやっている。」福島では米の一粒まで検査を行い、世界最高レベルのろ過装置で水の安全を確保しながら、ふるさとで暮らしてゆくために放射能と向き合っています。
しかし、個人や自治会レベルで出来ることには限界があります。国は何の根拠も示さず放射線量の基準値を20倍に上げました(年間20mSV)。
不安はつのります。
結局、事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所の1号炉、2号炉、3号炉の溶け落ちた核燃料を取り出して封じ込め、ばら撒かれた放射性物質をすべて除染するしか解決策はありません。
しかし、今は除染した廃棄物をどこに処分するのかすら決まっていません。
原子力発電所が事故を起こすということはどういうことかを、今私たちは目の当たりにしています。
未来のために、これを克服する知恵、そして事故を起こさない知恵が求められています
2016年1月11日街頭活動チラシ④
【住んでいた町は】
避難指示区域に於いては除染をして、役所の決めた予定どおりに避難指示が解除されていきます。核汚染の不安もさることながら、4年以上も離れた家は、すっかりガタガタになっています。
修繕や改築が必要ですが、その費用は個人で負うところが多く、さらに職人が足りません。
資材も足りません。
人もモノも、復興事業や「国土強靭化計画」におけるスーパー堤防の建設、そして都心部の開発や東京オリンピックに流れています。
もともと商店が少なく、スーパーなどがあった富岡町はまだ避難指示が解除されておらず入ることが出来ず、生活は今までどおりというわけにはいきません。
最近やっと病院が開業したことが良いニュースです。
そして、町内には除染作業員や廃炉作業員の宿舎がたくさんでき、町に住む人も変わってきました。
5年の歳月の中、避難先から新天地に向けてふるさとを離れる人も多く、元いた町に戻るのは高齢者が多いとの事です。
社会的に弱い立場に居る人ほど「戻らざるを得ない」状況に追い込まれ、帰っても元の暮らしに戻ることが難しい状況にあります。
2016年1月11日街頭活動チラシ③
【住民は】
避難者の受け入れ先となったいわき市での話です。いわき市には避難区域からの避難者が身を寄せる一方、いわきから自主避難をする人も多く人手が不足しています。
特に介護・福祉職は他職種に比べて給料も低く、人口増加で対象者が増えているにもかかわらず担い手が集まらない状況です。
このまま行けば介護現場は崩壊してしまいます。
訪問した障害者施設では、送迎するスタッフがおらず、利用者全員が通所することが出来なくなっていました。
福島県内で放射能への心配も依然としてあります。
放射性物質は浜通りから北西にむけて多くばら撒かれました。
事故から5年が経過し、放射線量は空間線量で測られる限り低い数値を示していますが、微粒子に付着した放射性物質が何らかの形で体内に入ることでおこる内部被曝への不安も大きくあります。
そのため、福島県内で流通している食物は全品が検査され「世界一安全だと思いますよ」との話ですが、いずれにせよ放射能と向き合わなければならない暮らしです。
2016年1月11日街頭活動チラシ②
【避難者は】
放射能から逃れるため、多くの人々が住みなれた場所を離れました。子どもたちの健康と未来を考え、県外に自主的に避難する方のほか、原発から半径20kmを基準に設定された避難指示区域の方など、現在でも10万人がふるさとを離れて暮らしています。
避難中の暮らしは住居や仕事が保障されているとは言えず、さらに住宅補助も打ち切られることが決まっている中、将来について大きな不安があります。
避難者のための仮設住宅はだいたい2年程度の耐用年数が設定されていますが、すでに5年が経とうとしています。
復興住宅も入居は進んでおらず、入れたとしても欠陥が見つかるなど問題が出てきています。
そして、避難者に対するバッシングも無いわけではありません。
2016年1月11日街頭活動チラシ①
【今、福島は】
東日本大震災は岩手、宮城、福島に大きな津波被害をもたらしました。そして、福島においては地震と津波による東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射性物質がばら撒かれました。
現在、原子炉は「冷温停止状態」「アンダーコントロール」とされていますが、溶け落ちた核燃料がどこにあるのか、どのような状態にあるのか実際にはわからない状態です。
現在は水による冷却が行われていますが、いつまた臨界をむかえ爆発するかもしれない。
ばら撒かれた放射性物質は除染により集められ「仮仮置き場」に置かれていますが、それをどこへ処分するのかは決まっていません。
また、除染をしてもそれが安全なものなのか、誰もわかりません。
核汚染への不安、事故の再発への不安、解決しなければならない課題。原発事故が福島の復興をまったく別次元の難しいものにしています。
震災から5年が経ちますが、復興には程遠い現実があります。
みんな苦しんでいます。
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