福島応援

福島応援
みんなで集まってにっこりわらって

2016年6月11日土曜日

2016年6月11日街頭活動チラシ④

~着々と進む。でも誰のために~

「熊本地震でうちらのことなんか吹き飛んじゃった」と仮設住宅の自治会長さんも笑っていましたが、福島をめぐる動きは着々と進んでいます。
河北新報から最近のものをピックアップしてみます。
しかし、現地の声を耳にしていると、いったい誰のため、何のために行われているのか考えざるをえません。

<原発避難>飯舘村に17年3月末解除伝達

 東京電力福島第1原発事故で全村避難する福島県飯舘村について、国の原子力災害現地対策本部は6日、帰還困難区域を除き、帰還に向けた準備宿泊を7月1日に開始し、2017年3月31日に避難指示を解除する方針を村に伝えた。
 解除対象は1770世帯5917人。村が4月、長泥地区(75世帯268人)を除いて来年3月に避難指示を解除し、長期宿泊の形で準備宿泊を7月に始めるよう国に求めていた。村側から異論は出ず、政府方針通り解除日程が近く正式に決まる見通し。
 福島市の仮役場であった村議会全員協議会で、対策本部長の高木陽介経済産業副大臣が「住民説明会や戸別訪問で幅広く意見を伺ってきた」と経緯を説明。菅野典雄村長は「これからが勝負であり、国と協議しながら村を復興させたい」と述べた。
 国は今後、住民説明会を開くなどした後、解除時期を月内に正式決定する。
河北新報OnLine 2016年06月07日火曜日


<原発事故>除染土を道路資材に活用、試験へ

 環境省は7日、東京電力福島第1原発事故で生じた除染廃棄物に関する有識者検討会を開き、除染土を再利用するための基本方針を示した。放射性物質濃度が基準以下となった土壌を道路整備の盛り土材など公共事業で使い、減量化を図る。福島県南相馬市で本年度内に実証試験を始め、2025年度ごろまでの本格的な再利用を目指す。
 国は福島県内の除染廃棄物を大熊、双葉両町に建設される中間貯蔵施設で最長30年保管した後、福島県外で最終処分する。最大2200万立方メートル(東京ドーム18個分)と推定される廃棄物を再利用で大幅に減らし、県外最終処分につなげたい考え。
 基本方針は大筋で了承された。除染土は放射能濃度別に分離。低濃度の土壌について使途を限定した上で、福島県を含む全国の公共事業で使用する。
 土壌を扱う作業員の年間被ばく線量を1ミリシーベルト以下とするため、再利用できる土壌の放射能濃度を1キログラム当たり5000~8000ベクレル以下とする。道路工事に使う場合、住民らの被ばく防止に向け、表面を汚染されていない土で厚く覆う。
 南相馬市での実証試験は、市内の除染廃棄物の仮置き場内で実施する計画。約1800トンの土壌を分別し、安全性の確認やコストの算定を進める。
 同省は濃度別に土壌を分離する技術開発を進め、他地域でも実証試験を行う方針。井上信治副大臣は「安全性の確認と国民の信頼醸成が重要。再利用に理解をいただきたい」と述べた。
河北新報OnLine 2016年06月08日水曜日

2016年6月11日街頭活動チラシ③

~報告・熊本に義捐金を送りました~

2016年4月14日に熊本地方で発生した震度7の地震は周辺に暮らす人々に大きな被害を与え、現在も余震が続いている状況です。
福島応援OnSongでは5月11日の活動で熊本地震被災者のための義捐(ぎえん)金を募り、そこに集ったお金を日本ALS協会熊本支部に寄付させていただきました。
あらためて、日本列島は地震の多い地域であり、そこに暮らすためには何が必要なのか考えさせられます。

2016年6月11日街頭活動チラシ②

~灰色な青い空~

「国と東京電力に法的責任がある」との判決を求める“元の生活をかえせ・原発被害いわき市民訴訟原告団”より原告30人の陳述をまとめた書籍「灰色な青い空」が送られてきました。
原告団の代表である伊東さんには一昨年の6月に勉強会に講師として参加していただき、その時もこの裁判について語っていただきましたが、訴訟から3年半が過ぎた現在もいまだ結審の見通しは立っていないとのことです。

原告の皆さんの声は、すなわち現地に暮らす当事者の声でもあります。本の目次を掲載します。ぜひ目を通してください。

産後2日目、急遽退院せざるを得なかった    小さい子どもを持つお母さん(泉)
お金では到底埋められない、損害は誰の責任で生じたのか    草野 一浩(湘南台)
「ふるさと」にいながら「ふるさと」を失った思い、わかって    小さい子どもを持つお母さん(平)
日本の歴史上最大にして最悪の公害に、歴史に耐えられる判断を    伊東 達也(平)
豊かな里山、安心して農業に携われるような環境に戻して    薗部 晃(鹿島)
この地を捨てて移住することも出来ない    渡辺 義郎(四倉)
豊かないわきを取り戻し、子や孫に手渡してから死にたい    長谷部郁子(内郷)
地震が起きるたびに、「原発は大丈夫か」と考えさせられる    佐藤 三男(常磐)
大切な自然の中での保育が出来なくなった    小野 正子(鹿島)
大人として頑張れる体力を蓄積する時間が奪われた    佐藤 明美(平)
「きれいな好間川にしてほしい」中学2年生だった私の願い    戸板 尚哉(好間)
ホットスポットが里山から子どもたちを遠ざけた    海老根武光(鹿島)
当時妊婦だった人の心配や痛みを少しでも分かってほしい    小さい子どもを持つお母さん(小名浜)
事故後に妊娠が判明、放射能の存在が頭をよぎる    工藤 通子(小名浜)
高齢者が置き去りにされてしまいました。「関連死」と思われる人が何人かいます    佐藤 光義(常磐)
障がい者の避難受け入れ、職員とともに苦闘の連続だった    菅原 隆(平)
福島産の野菜は引き取らない、若い世代の夢を砕いた原発事故    阿部 節子(小名浜)
安全で味のいい野菜を届けるのが誇りだった
山間部のお年寄りの寿命が縮まないか心配    東山 広幸(遠野町)
原発事故当時、高野町の区長をしていました
立場上、自主避難をするわけにはいきませんでした    高萩 民雄(内郷高野町)
大久町は、福島第一原発から南30キロ圏内にある地域です
山は、私にとって「宝の山」でした    佐藤 一雄(大久町)
原発事故前まで、楢葉町のタクシー会社に運転手として勤務していました
私は、障害を持ちながらも、自分が出来る仕事に誇りを持っていました    安斎 輝雄(白鳥町)
和食店を開こうと東京で修行を重ねました
今、常磐沖の魚は、築地では「捨て値」でした取引されない    氏家 裕貴(平吉野谷)
次女夫婦は、孫たちのためにいわきを離れることにした    孫の将来を心配するじいじ(平)
ママ、僕の体には菌が入っているの?
子どもたちもストレスをため、夜泣きをしたり、すぐに兄弟喧嘩に    蛭田 節子(勿来町)
取引先も全て避難してしまい……水産業者は日々闘っています    小川 美郎(中央台飯野)
第11回公判 更新弁論
事故は収束していないし、被害は依然として続いている    伊東 達也(平)
子どもたちの被害の実態を肌で感じてきた保育士として
当たり前の日常を送るという権利を奪ったこと、許せなかった    草野 美由紀(泉町滝尻)
医療従事者の滞在者としての苦しみ、立場上逃げられなかった    矢吹 淑子(鹿島町)
原発事故は生徒の学習や生活に大きな影響を与えています    鈴木 茂男(石森)
日本語を十分に理解できない妻にとって、
放射能がどんなに恐怖であったか    関 耕作(四倉町)
今でも、あの頃のことを思うと涙が出てきます    美容院を営むお母さん(中央台鹿島)


 
“元の生活をかえせ・原発被害いわき市民訴訟原告団”では次の政策実現を求めています

①    特に子どもの健康を維持するための施策を確立すること

②    特に子どもたちが発病した場合には原因論争に終わらせず、安心して治療が受けられるようにすること


③    放射線量を3・11以前に戻すための施策を東京電力と政府の責任で推進すること
 

④    県内の10基の原発は全て廃炉にすること。
 

⑤    いわれなき偏見による差別を出さないように放射能についての学校教育・社会教育を推進すること
問い合わせ先 元の生活をかえせ・原発被害いわき市民訴訟原告団事務局 (0246)27-3322

2016年6月11日街頭活動チラシ①

~「応援」を続ける気持ち~

僕は昭和50年代に広島で学生時代を過ごした。
大学の前に原爆病院があって、そこには動くこともままならない被曝2世の人たちが入っていた。
僕らはそこの患者さんとの交流を持っていたが、彼らはマスコミに載らない、光の当たらない部分だと強く感じた。
当時僕がお世話になっていた会社の社長は「俺は被爆したが、嬉しい時だってあるし、孫ができて幸せに暮らしていると思っている。なのに、いつもカワイソウという目で見られる。被爆者はいつも暗い顔をしていなきゃいけないのか?広島は8月6日になると日本中から人々が集ってくるが、その時だけじゃないか」と語ってくれた。

これもマスコミの伝えない部分だと思う。

現地での暮らし、当事者の思いを伝えなければという使命感みたいなものをこのとき感じている。
福島の話も原爆と繋がっている。
僕の使命感みたいなものから、福島応援をしている(50代、男性)





熊本の地震があって「復興」っていわれているけど、福島には5年経っても戻れない人がいる。
東日本大震災は津波被害が大きかったけど、津波だけだったらまだ復興できたと思う。
原発事故があって、家族が離散して、元の暮らしに戻れない。国に「帰れ」といわれても元の町はないし、自宅に戻っても修理や建て替えが必要で、その費用だってどうやって出すか。
私の田舎の中通りの話だけど、蔵はみんな壊れていたし、所々にブルーシートで覆われた家があって、そこはローンが組めなくて修理の出来ないところだった。跡継ぎがいるところ、代替わりできたところはローンが組めるけど、高齢者だけの世帯はローンが組めなくて家の修繕が出来ないという話だった。

こんな話を黙っているわけには行かないと思う。
向き合わないとね。(70代女性)


「私も福島出身です」といって、毎月多額の募金をしてくれる人がいる。私も福島出身だから、話しているうちに顔馴染みになっちゃって、あの人たちの気持ちに応えるためにも、毎月、決まったときに、福島応援で街頭に立っています。(60代女性)


僕に出来るのは毎月ここにきて歌うことくらいだけど、それでも何かの意思表示にはなっていると思う。
そこにみんなが集れば、それだけでも力になると思う。
ここにくれば、今まで知らなかった話も聞くことが出来るし、無力な自分が今できることが「応援」だと思う。(40代男性)

2016年5月11日水曜日

2016年5月11日街頭活動チラシ②

~ある日から、80倍~

今年の4月28日、環境省は放射能汚染された指定廃棄物(汚泥、焼却灰、麦わら、堆肥など)の基準値を1キロ当たり8000ベクレルに定めました。

それまではキロ当たり100ベクレル以下だったものですから、基準値は80倍に緩和されたことになります。
指定廃棄物はその危険性から国が保管を義務付けて勝手には動かせないものですが、これにより「安全」と判断され、他所に動かし処分することが可能になります。

これまでも、震災で出たガレキなど放射性廃棄物は1キロ当たり8000ベクレル以下であれば、普通の廃棄物と同じ処分方法が取られています。
そして、今後は放射能汚染された土でも、キロ当たり8000ベクレルを下回っていれば公共事業に使えるとのこと。

「キロ当たり」という事は猛烈に汚染された廃棄物でも、他の物で薄めて基準値以下になれば良いということでもあります。

福島県楢葉町を訪れたとき、うずたかく積まれた無数のフレコンパック(家屋の解体や除染で出た放射性廃棄物が入っている)に圧倒されました。
「あれをどうするのか。私たちの見えないところへやって欲しい」との痛切な訴えを聞きました。

そして、国から出た答えがこれです。

ある日から、基準が80倍に緩和され、モノが動き出す。
 キロ当たり8000ベクレル以下の廃棄物は、処理に当たってその費用は国から出されるとのことです。
“通常の廃棄物処理”ということならば日本全国どこでやっても良いわけで、その上で国が費用負担をしてくれるのならば、処理に関わる事業者には大きなビジネスチャンスかもしれません。

2020年にオリンピックが開催され、それまでに除染や廃棄物の問題をどうにかすると国は言っています。

そして、そのための方策が環境省から出されたキロ当たり8000ベクレル基準だといえます。

廃棄物は薄められて全国で処理され、確かに被災地から廃棄物は無くなるかもしれません。
しかし、何か大切なものが抜けています。

安全性です。

ある日を境に基準を80倍まで緩和するこの姿勢は安全をおざなりにしていないか。
もちろん、廃棄物の処理には向き合わなければなりません。

2016年5月11日街頭活動チラシ①

~H28熊本地震~

2016年4月14日木曜日の深夜に熊本県益城町直下で起きた震度7の地震は、前触れでしかありませんでした。

その後さらに大きな地震が起き、多くの人が命を落としました。

地震は続き、3週間が経とうとする現在でも熊本、大分で震度4を記録する地震が起きています。
地震がいつ収束するのかわからないまま、現地の生活は再スタートを切り始めましたが、復興をスタートさせられないまま時間が過ぎています。

幸い津波はありませんでしたが、揺れ続ける大地の上、熊本、大分の人々は不安におののきながら暮らしています。

福島応援OnSongは難病ALS患者である佐々木公一さんの呼びかけからスタートしました。

ここでの募金は今まで、福島の難病患者への応援としてお見舞いや交流にも使われています。

今回は熊本の地震に苦しむ難病の方への応援のための募金も行っています。
被害の規模でも数でもなく、地震により苦しい立場に居る人々に対して心を寄せ、声をかけ、応援してゆくことが、わたしたちに出来ることだと思います。

「福島」応援OnSongではありますが、この応援は苦しむ全ての人々に届けてゆきたい。

福島応援OnSongのきっかけは東日本大震災と東京電力福島原子力発電所の事故ですが、この活動を続けてゆくことで、地震が起こるという事はどういうことか、震災に遭うとはどういうことか、復興とはどういうことか、私たちは知ることが出来ました。

そして知ることの大切さとそれを伝えることの重要性を感じます。

改めて、「福島を考える事は日本の未来を考えること」であると思います。
日本列島は自然災害の多い地域であり、そこに私たちは暮らしている。

自然の前に人間の存在はあまりにちっぽけなものです。
それでも、私たちは暮らしてきたし、これからも暮らしてゆかなければならない。

ならば、それを前提とした安全の確保をしてゆかなければならないのではないでしょうか。

しかし、福島に私たちは何を学んだのか。

熊本に何を学ぶのか。

今回の熊本の地震は大きな地震が連続して起きています。
今までにない「想定外(どこかで聞いた言葉ですね)」の事態です。

「地震だ、火を消せ」といいます。
ならば、なぜ原子力発電所は停めないのか。

2016年4月11日月曜日

2016年4月11日街頭活動チラシ③

人間は自らが否定されている事に対して防衛的になるが肯定されていることに対しては受け入れるようになるという話を聞いて、なるほどと感じました。

子どもに対しても「ダメだ」と叱るより褒めて伸ばすほうが効果的であることを思い出しました。

わたしたちの運動も「許さない」「NO!」というよりも「こうしたい!」「こうすると楽しい」(「どうしてできないの?」)と言ったほうが効果的なのかな。

ならば、希望と喜びをみんなに伝えて行こう。怒りは大切だとしても(編)